シナリオ・センターは「日本中の人にシナリオを書いてもらいたい」と思っている会社です。

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新井一という一人の脚本家から600名以上の脚本家が生まれた

シナリオ・センター創設者  新井一 プロフィール

1915年1月1日東京生まれ。理髪店の長男として生まれ、成城中学卒業後、理髪師、美容師として、理容学校の教師を勤める。
その後水産講習所(現水産大学)入学。卒業後魚河岸の魚河岸新聞「魚商通信」の編集に従事。戦中、「魚の配給に軍部の不正あり」と公表した為「事変惑乱罪」で逮捕される。出征後、無罪となる。

劇作家川村花菱に師事し、戦後、劇作家として「ボス」(新国劇)などを発表。
文春企画、東宝映画で映画企画に参画。東宝の総帥小林一三の肝いりで、東京映画の企画室長に。テレビ創世記には、テレビ部長を兼任し、映画企画にあたり、また脚本家として活躍。東宝のドル箱シリーズ「喜劇駅前シリーズ」ほか300本の映画脚本を執筆、ラジオ、テレビを含めると2000本以上にも及ぶ。
映画業界で、東宝の社員でありながら脚本家との2足のわらじをはいていたのは新井一がはじめて。「映画やテレビは藝術ぶらずみんなが楽しめなくちゃ」が口癖で喜劇が得意だった。

1997年11月23日83歳で死去。
シナリオ作家協会名誉会員
シナリオ作家協会功労賞
日本映画製作者連盟永年勤続功労賞
著書「シナリオの基礎技術」「シナリオの技術」「シナリオQ&A」(ダヴィッド社)
「シナリオ作法入門」(映人社)「シナリオ虎の巻」(彩流社)

脚本家から「シナリオの父」へと転身

1964年、東京映画撮影所で、「いい映画を創るためにはシナリオを知らなくて」とスタッフを集めてシナリオを教えて始める。
その後、企画実務と脚本家の経験を活かして、独自の「シナリオ基礎技術」「シナリオ診断学」「プランニング戦略」を開発。
映像表現のノウハウを体系的に創り上げ「シナリオ基礎技術」(ダヴィッド社刊)はシナリオのバイブルと言われている。
1970年シナリオライターの養成期間としてシナリオ・センターを創立。1972年に、株式会社となる。現在(12年1月)全国に3400名の会員を持ち、600名以上の出身ライターを輩出している。
多くのプロを産んだ功績とシナリオをこよなく愛していたことから「シナリオの父」と呼ばれた。

新井一 作品

『日本映画黄金期の影武者たち』(彩流社)、東宝 MOVIEDATABASE 参照

作品名
1953

脚色

北海の虎

1954

企画

その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人

1954

脚本

あんみつ姫 甘辛城の巻

1954

脚本

あんみつ姫 妖術競べの巻

1954

脚本

潜水艦ろ号 未だ浮上せず

1955

企画

赤いカンナの花咲けば

1955

脚本

若夫婦なやまし日記

1956

脚本

森繁よ何処へ行く

1956

脚本

ボロ靴交響楽

1956 脚本 へそくり社員とワンマン社長 へそくり社員敢闘す
1956 脚本 へそくり社員とワンマン社長 ワンマン社長純情す
1957 脚本 おしゃべり社長
1957 脚本

極楽島物語

1957 脚本 ますらを派出夫会 粉骨砕身す

1957

脚本 ますらを派出夫会 男なりゃこそ
1957 脚本 強情親爺とドレミハ娘
1957 脚本 強情親爺とピンボケ息子
1957 脚本 森繁の 僕は美容師
1957 脚本 月と接吻
1957 脚本 おトラさん
1958 脚本 草笛の丘
1958 脚本 お父さんはお人好し 家に五男七女あり
1958 脚本 別れの波止場
1958 脚本 お父さんはお人好し 花嫁善哉
1958 脚色 おトラさんのホームラン
1958 脚色 花ざかりおトラさん
1958 脚本 大笑い捕物帖
1958 脚色 おトラさんのお化け騒動
1958 脚色 おトラさんの公休日
1958 脚本 僕は三人前
1958 脚色 おトラさん大繁盛
1958 脚本 フランキーの僕は三人前
1959 脚本 デン助の ワンタン親父とシューマイ娘
1959 脚本 デン助のやりくり親父
1959 脚本 坊ちゃんとワンマン親爺
1960 脚本 別離の歌
1961 脚本 アワモリ君売出す
1961 脚本 アワモリ君乾杯!
1961 脚本 アワモリ君西へ行く
1962 脚本 雲の上団五郎一座
1964 脚本 喜劇 駅前音頭
1966 脚本 落語野郎 大脱線
1966 脚本 てなもんや東海道
1966 脚本 落語野郎 大馬鹿時代
1967 脚本 落語野郎 大爆笑
1967 脚本 喜劇 駅前学園
1967 脚本 落語野郎 大泥棒
1967 脚本 爆笑野郎 大事件
1968 脚本 河内フーテン族

私と新井一

脚本家 ジェームス三木さん

「表紙の書き方、原稿の綴じ方から教わった。名著『シナリオの基礎技術』は今でもバイブルのように参考にしている」

脚本家 洞澤美恵子さん

「書けなくて悩んでいた時期に励ましのお手紙をいただいて、感動した。今も辛いときに見る宝物です」

脚本家 内館牧子さん

「先生に教わったノウハウだけで、朝ドラも大河ドラマも書き終えました」

東京映画プロデューサー高倉三郎さん

「豊田四郎さんはじめ日本のトップ監督がたくさんやってきて、森繁久彌さんを筆頭に豪華な俳優たちが共演しあう名作が作られていく、その脚本づくりを支えていったのが新井さんでした」

元テレビ朝日プロデューサー碓氷夕焼さん

「新井先生は、褒め上手な方だった。褒め殺しという言葉があるが、先生は『褒め活かし』の名手だった。挫けそうなとき、自信をなくしたとき、先生の言葉でどれだけ元気づけられ元気がでたことだろうか」

脚本家 柏原寛司さん

「野球選手もボクサーも優れたコーチにめぐり合わなければ、大成することはできない。自分の名誉や金銭は二の次で、新人ライター発掘に尽力をそそいだ新井先生こそ、シナリオ界の名コーチである。」

脚本家 森治美さん

「先生から伝授されたことで何が一番かといえば『書き続ける事』の一言に集約されます。自分の駄目さを思う時いつも、その一言が蘇り、支えられました。きっと書き続けてさえいればと・・・」

脚本家 林 千代さん

「拙作のドラマが放送されると先生から暖かいご批評のハガキをいただいた。また、シナリオに行き詰ると先生を訪ねた。適切なアドバイスと励ましを受けて、書く自信と意欲を取り戻すのが常だった。」

製作 西尾嘉十さん

「東京映画にシナリオ研究会ができたのは昭和39年のことである。20枚シナリオ作法はいまでこそすっかり有名になったが、実はこのときすでに始まっていたのである。
新井さんの好きさ加減は尋常ではなかった。仕事も生活も渾然一体となって、すべてがシナリオだったのである。」

脚本家・監督・シナリオ・センター講師 高山由紀子さん

「もし新井先生がいらっしゃらなかったら私はシナリオを書いてはいなかっただろう」

脚本家 田波靖男さん

「他の作家に脚本を発注する立場にいて、自分でもシナリオを書くというのは微妙なものです。ばくち打ち(脚本家)か目明し(社員)かはっきりしろと迫る作家もいました。課長、部長と会社員のステップを登りながら脚本を書きまくっているピンさん(新井の呼び名)の姿は無言の励ましでした。」

脚本家・小説家 渡邊由自さん

「『もっと相手の身になって教えなければだめだよ』『でも、幾度も同じこと繰り返していると、いらいらして』と僕」

監督 木下亮さん

「『ハロー、ハロー、グッドモーニング、エブリボディ』殊更なジャパン英語。同期の活躍を思うにつけ、あせりにあせった僕を明るく励ましてくれたのはあの朝の声だった。そして、現役脚本家としてバリバリ働いておられた新井さんから、何かと吸収させていただいた。」

構成作家・演出家 床波ヒロ子さん

「新井先生が構成作家デビューして間もない私について『いつも頑張っていたっけ』というタイトルでコメントをくださった。その文章が今でも私の心の大きな支えになっている」

プロデューサー 杉崎隆行さん

「君ねえ、映画を創りたいならシナリオを読めなくちゃいけないよ、シナリオ、その一言でシナリオ基礎講座に飛び入り参加したのだった。」

東宝テレビ部 砂原博康さん

「先生の凄さは、自分のペンを措いて新人指導にあたられたことにある。徒弟修業を否定し、技法伝習のシステムを工夫された。」

東阪企画専務 大下晴義さん

「大家の脚本に『面白くない何とかならないのか』との要求に対して、ゴーストライターとしてものすごい速さで手を入れていかれる姿を何度も見ております。」

プロデューサー・演出家 大山勝美

「シナリオは厄介である。ストーリーや人物設定、キャラクター、構成、そしてほとんどをイキイキとした会話でつづっていかなければならない。先生は、それをまず20枚シナリオを手がける入門法を発案され、めざましい効果を上げられた。碧眼というほかない。」

シナリオ・センター講師 河合雅子さん

「初めて先生とお会いしたのは15歳の夏、以来、娘のように可愛がっていただき、私も師と仰ぎ、父と慕わせていただいておりました。講師をさせていただくようになってからは講座の前には必ず「がんばれよ」と笑顔で声をかけてくださいました。」

シナリオ・センター講師 原島将郎さん

「つまらないという思い込みがあったのでしょう。面白いところを探すことができませんでした。新井先生がみえ『どうしても探そうという気がないから見つからないんだよ』といわれ、その気でみたらたくさんみつかりました。どうしても良いところを探す気持ち、センターのゼミで作品と接するとき、この言葉が蘇ります」

シナリオ・センター講師 樋口 利さん

「ストーリーとドラマの区別ができず頭の中がゴチャ混ぜの生徒に『オテンテンを狙うのは論文、ドラマはハート、つまり胸を打たなければ駄目。』生徒一同フムフム」

新井語録

「ものを書くということは自分自身の考えを持つことだ」
「ドラマとは変化である」
「ドラマとはアクションとリアクションで進む」
「ドラマはストーリーではない」
「タイトルは作品の顔」
「ト書は棒のように書け」
「二人芝居だけでは面白くない」
「セリフは嘘つき」
「世界定め(天地人)をしっかりと」
「いい作品のストーリーは3行で言える」
「ディテールを大切に」

 

はじめの一歩は、ここから踏みだせる。

 

表参道シナリオ日記

20170220a
金の殿
2017.2.20
シナリオ・センター代表の小林です。春の嵐とか、気候が目まぐるしく変わって、体調管理が難しいですね。昨日、「中島みゆきリスペクトコンサート」に行きました。お客さんの層を見て、年齢が幅広いことにびっくり。...