シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。浅間山に続いて、口永良部島ではまた噴火が、全国津々浦々の荒れ模様のお天気だけでも悩ましいのに、安保法案もさることながら、役に立たないから国立大学文系廃止とか税金使っているから国旗国歌要請とか、日本はいったいどうなっちゃうのかと思うことが続々と出てきます。
文化芸術を大切にしていない国だとは、常日頃から思ってはいました。
経済一辺倒。お金はないよりあった方がいいでしょうが、お金さえあれば幸せだと本当に思っているのでしょうか。
心の、頭の、身体の健康は、お金で買えますか。
文科省の指導要綱でもある豊かな心、想像する、考える力というのは、文化芸術に育まれるのです。
シナリオ・センターは、シナリオの技術を教えていますが、技術は感性を広げる手立てであって、技術だけではシナリオは書けないのです。そこに作者の感性がなければ。
感性を磨くことこそが、人としてどう生きるかを決めることなのです。
誰もが一人一人違う、唯一無二の存在であるのに、なぜ画一したロボットのような人間を育てようとするのか、まったく理解に苦しみます。
私自身は、大学は、たくさんの経験を積める場所であったと思っています。
大人でもなく、子供でもなく、一番自由な時間が大学生活でした。
クラブ活動に燃えたり、恋をしたり、哲学にかぶれたり、学生運動をかじったり、40年経っても変わらぬ友達を得たりしたことが、今とても大事な財産になっていると信じています。
国文学など、文科省からしたら、くその役にも立たない(下品で失礼!)ものを学びました。
ですが、近松や鶴屋南北や紫式部が想像力というものを育ててくれました。
他人を想う心や、言葉の美しさ、歴史に学ぶことなどたくさんのことを教えてくれました。
「役に立つ」とはどういうことでしょうか。様々な考え方はあると思いますが、簡単に今すぐに役に立たないからと否定をしてはいけないと思うのです。
人間が育つということの根本を考えてほしいのです。
これからの人へ大きな広い視野をどれだけもたせることができるか、その環境を作ること、これこそが大人の、先人のやるべきことだと思うのですが、それを閉ざしてどうするのでしょう。
シナリオを描くには、人を見る目、社会を見る目、ものを見る目、この3つの目が必要です。
シナリオを通して、大きく広い視野を、想像力、創造力を持ってもらえるように、小さな小さな灯火ですが、私は、子供から大人までシナリオを教え続けていきたいと強く思っています。