シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。秋が急にやってきたような東京です。小さな秋みつけた~。
昨日、表参道の角にある老舗本屋さん「山陽堂書店」で映画「野火」の監督塚本晋也監督のトークショーがあり、聴講させていただきました。
明治21年創業の山陽堂書店は小さな本屋さんですが、表参道の顔とも言える本屋さんで、2階3階にはギャラリーがあり、いつも素敵な展示をしていたりします。
現在「野火」の写真展をやっており、20名も入ればいっぱいになってしまうギャラリーで、30名ほどの方が集まって、熱心に塚本晋也監督の「野火」を創ったお話をお聞きしました。
「野火」は、大岡昇平さんがご自身の経験をもとに第二次世界大戦のフィリピン戦線での日本軍の彷徨を描いた小説です。
1959年市川崑監督で映画化されていますが、塚本監督は、高校の時読んだ「野火」の衝撃が脳裏から離れず、20年以上映画化したいと望んできたそうです。
ですが、資金も集まらず、企画にも乗ってもらえず映画は作れない。
しかし、10年前に戦場に言った方々(戦争体験者)が80歳を超えたときに強い焦りを感じ、お話しだけでも聞いておきたいとインタビューを始めたそうです。経験者の方々の口は固く、ともに遺骨取集もされながら、ポツポツとでる言葉を拾うようなインタビューだったとか。
でも、まだ作れなかった。
戦後70年、実際に戦争の痛みを知る人がいよいよ少なくなるにつれ、また戦争をしようとする動きが起こっている気がしてならず、今作るしかないと、もう自主制作自主上映を決めたのだそうです。
映像は、低予算で創られとは思えない作品ですが、実は、装甲車は段ボールでできているとか・・・びっくりですよ。(笑)
登場人物も市川監督の時と違い、わずか。主役の田村はご自身で演じ、自分の身体にわいてきた蛆を食べるシーンも実際に食べられたそうです。
ドラマ的ではなく、むしろ、体験者の肉声を吸い込ませたドキュメンタリーのような映画です。
フィリッピン戦線では、手りゅう弾と弾もほとんどない銃剣にわずかな食料を持たせられて送り込まれ、戦死ではなくほとんどの兵士が餓えで亡くなっています。
いつの世でも、お上は高みの見物で庶民がわけもわからないまま、死地に追いやられるのです。そこを私たちは忘れてはならないと思います。
「野火」は、人間の肉体・精神の極限状態を描いています。そして、主役の田村は狂気へと向かいます。
人間が極限に追いやられた時、普通の人が普通の人を殺してしまう、仲間の人肉を食べようとしてしまう・・・そんな状況でも一片の正常心をもっているからこそ、狂気へと精神は向かわざるを得なくなるのはないでしょうか。
戦争体験者の方々の口が重いのは、大なり小なりそういう経験してきたからです。私の父も戦争の話はほとんどしませんでした。
塚本監督は、「映画は一定の思想を押し付けるものではありません。感じ方は自由です。しかし、戦争体験者の肉声を体に浸みこませ反映させたこの映画を、今の若い人はじめ少しでも多くの人に見てもらい、いろいろなことを感じてもらいたいと思いました。そして、議論の場に使っていただけたら幸いです」とおっしゃっています。
東京では、渋谷のユーロスペースで、これから全国各地上映していきます。
本当に救いのない映画です。
トークショーの中でも、子供にはすごすぎて見せられないので、絵本にしてほしいという声がありました。
ですが、私は、戦争を知らない私たちは、全ての人がこれをみてトラウマになることも必要なのではないかとも思っています。