主人公の外見・生き方・終わり方全てがロールモデル
いつまでも「自分たちこそ若者の代表!」なんて若ぶってたアホ団塊世代の一員なので、年取ることへの心構えがぜんっぜん出来てない。
「白くなった髪は染めるのか白髪で行くのか」「シワは塗りこめるのか放置か」「派手な服で若作りするかトシ相応で行くか」などの「外見どうする」問題でさえ、いちいち悩む始末。
ましてや「終末どうするか」というような大問題には手も足も出なかったのだけれど、映画『木洩れ日の家で』(07/ポーランド/ドロタ・ケンジェジャフスカヤ)の主演女優、91歳のダヌタ・シャフラルスカのあまりにも魅力的なその姿を見て「これだ!手本はこれだよ!」と興奮してしまった。
「白髪はそのままでふんわりボブカット。化粧は口紅にとどめシワは放置するが眼力(めぢから)を強くする。服は花柄中心だな。」って、外見だけ真似してどうする。
そう、問題は中身なのでした。
「人生のロールモデル(模範・手本)を具体的に示す」というのが映画の大きな役割の一つだと思っているけれど、まさに彼女は外見、生き方、終わり方すべてが高齢者のロールモデルだった。
辛い時代でも、
生き生きと「今」を生きる主人公のキャラクター
舞台はワルシャワ郊外にある古い屋敷。
木々に囲まれたこの屋敷に、愛犬フィラと住んでいるのが91歳のアニェラだ。彼女は息子夫婦と一緒にこの屋敷に住みたいのだが、息子とその嫁はそれを拒んでいる。
アニェラの楽しみは双眼鏡で隣家の様子を観察すること。
向かいの家は、金持ちの愛人らしい女が住み、もう一軒の家は若い夫婦が子どもたちの音楽教室を開いている。
時折子どもがアニェラの家の庭に忍び込んだりすると、その姿が幼いころの愛らしい息子の姿と重なる(実際の息子はだらしなく太った中年男)。
ある日向かいの女から、アニェラの屋敷を高く買い取りたいという申し込みがある。彼女はすぐ断るのだが、実はその話はアニェラに内緒で息子が持ちかけたものだとわかり、ショックを受ける。
死にたいとまで思うアニェラだが、気を取り直し、ある決断をする…。
アニェラはごく普通の高齢者。
名声に恵まれていたわけでもなく、革命家としての生涯を送った人というわけでもない。現在の状態に不満もいろいろある。
しかしそんなアニェエラが孤独でも寂しげでもなく、時には頑固で小憎らしく、ある時には可愛らしく、生き生きと「今」を生きているように見えるのはなぜ?
それは彼女が人生に対し、決して絶望しないからではないだろうか。
息子は期待ハズレだったけど、愛情の対象を犬に代えて可愛がり、たとえバタートーストとお茶だけの食事でもそれを楽しみ、隣家に好奇心を燃やす。時々弱った自分にガックリ来たり、息子の仕打ちに死にたくなったりするけれど、またそこから気力をふるって立ち上がる。
アニェラこそ、20世紀という辛い時代を生き抜いてきた女性の象徴なのかも知れない。
見習うべきはここだった!
“高齢者あるあるネタ”でリアリティーたっぷり
四半世紀ほど前に比べ、高齢者を主人公にした映画は格段に増えて来ている。
その先鞭をつけたのは87年の『八月の鯨』(アメリカ/リンゼイ・アンダーソン)だろう。
90歳のリリアン・ギッシュ、79歳のベティ・デービスが姉妹を演じたこの映画は、「ほう、バーサンジーサンだけが登場する映画でも、結構イケるじゃないか。」と製作者に思わせる大変いい先例になった。
『ドライビングMissデイジー』(90/アメリカ/ブルース・ベレスフォード)は80歳のジェシカ・タンディ主演。
彼女はこの映画でアカデミー賞主演女優賞を獲得している。
イギリスには元気なジーサン大活躍の『ウェイクアップ!ネッド』(98/イギリス/カーク・ジョーンズ)、『ラヴェンダーの咲く庭で』(04/イギリス/チャールズ・ダンス)という秀作があるが、主演がそれぞれ70歳のイアン・バネン、同じく70歳のジュディ・デンチなので、91歳のダヌタ・シャフラルスカを見たあとだと「年寄りというには早いよね」と感じてしまうかも。
日本でも、『デンデラ』(2011/天願大介)という「往年の美人女優が汚な作りで大集合!」(浅丘ルリ子70歳、草笛光子77歳)という珍しい映画が作られている。
どれもそれぞれに面白いのだけれど、「う~ん、私もいずれはこうか…。」という「身につまされ感」がイマイチ薄かったような気がする。
ところが『木洩れ日の家で』には、「部屋にやってきたけれど、何しに来たのか忘れる」「電話が鳴ってあわてて二階から降りてくるけれど、取った途端に切れる」「椅子でちょっと一杯飲ると、ついそのまま寝込んでしまう」というような「高齢者あるあるネタ」にリアリティーたっぷり。上手いね。
主人公の性格・背景が分かる登場シーンと
余韻が残るラストシーン
シナリオの分析を私メがするなどオコがましいけれど、この映画の脚本作りの見事さには舌を巻いた。
文字通り最初にやられたのはファーストシーン。
アニェラが病院に行き、女医の「服を脱いで横になって。」という無礼な言葉に腹を立て、「ふざけないでちょうだい。」とタンカをきって診察を受けずに帰るというわずか2~3分の場面なのに、そこから得られる情報量が実に多いのだ。
①アニェラは街から遠いところに住んでいる
②体の不調を自覚している
③彼女の母は医者だった
④彼女は自分の価値観を持った誇り高い人間である
⑤頑固で自分の意思は曲げない性格
――という具合。
これらが全部その後の伏線になっている。
その昔、シナリオの勉強をしていたとき、先生方から「主人公が登場したら、その人がどんな背景を持ち、どんな性格の人間なのかすぐにわかるよう工夫して書くこと。」と教えられた意味が、今更ながらよくわかった。
飛んでラストシーン。
アニェラの屋敷に続々と子どもたちが入ってくる。
枯れた体に血液がめぐるように、子どもたちの賑やかな声と活気が家を満たし、屋敷の生気がみるみる甦る。
それを見届けたように、アニェラの魂は体を離れていく。
カメラは樹の幹を伝い葉を分け森の上に出る。
そして俯瞰で森の中の屋敷を眺める。これはまさに天に昇っていくアニェラの視線だ。
自分の終わりのとき、「自分は消えても次の世代に何かを繋いだ」と感じられるなら、それはまさに「人としての理想の終わり方」といえるのではないだろうか。
耳の奥に、アニェラの満足のため息が聞こえたような気がした。
う~ん、映画観て鳥肌立ったの久しぶり。
ドロタ・ケンジェジャフスカヤ監督ありがとう。
これで老後の心構えがちょっとばかし出来ました。
映画『木洩れ日の家で』データ
原題『PORA UMIERAC』
上映時間:104分
製作年:2007年
製作国:ポーランド
監督・脚本:ドロタ・ケンジェルザヴスカ
配給:パイオニア映画シネマデスク
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