難しい二人芝居
シナリオ・センター代表の小林です。柏原寛司さんが、内館牧子さん原作の映画「終わった人」にエキストラを引き連れて行ったというブログを書かれていました。
舘さんが主役なので、柏原さんは石原プロ繋がりで力を貸されたのでしょうけれど、なんだか柏原寛司さんと内館牧子さんというセンター出身ライターが、こんなところでも繫がるというのが、なんとなく微笑ましく、映画も応援したいです。
映画でもドラマでも、たくさんの人が出てくるにも関わらず、皆さんが描かれているシナリオは二人芝居が多いですね。
ちょっとご自分が描かれたシナリオをご覧になってみてください。面白くできていますか?
新井一は、よく「二人芝居は馬鹿でも描ける」と申しておりました。(笑)
『二人の会話は、相手に話しかけ、語りかける。これに返事して・・・と日常生活の中でいつもやっていますから、大変自然ですし、さらに登場人物の気持ちもお互いに自分の想っていることを相手にまかせようとして、しゃべるわけですから、これまたよくわかります。
ですが、よくわかるというだけがドラマ作法ではないのです。
よくわかると同時に、観ている人、聴いている人に感動を与えなければならないのです。
感動を与えるということはどういうことかというと、話の中に参加するということです。
二人が一生懸命話し合っていると、なかなかその中には入れませんね、仲間はずれの感じです。
それでは、感動しません。
ドラマの二人芝居のセリフというものは、相手の人だけでなく、第三者(観客)にも常に「ねぇ、そうでしょう」と語りかけておく必要があります。
これは大変難しい技術なのです。
間(観客に考えていただく時間です)、またセリフは嘘つきであったり、一緒に昔のことを思い出したりしなくてはなりません。 本当の二人でのドラマは容易にはできません。
プライベートとオープン
では、三人芝居にすればいいのかというと、これもまた難しい。
何故難しいかというと、二人芝居は実は何でもしゃべることができるのです。
愛の言葉でも睦言でも喧嘩でも、他人が聴いているわけではありませんから気兼ねなくできます。(初心者の落とし穴はここです)
ところが、三人芝居となると、必ずもう一人の人がいるからそれに気兼ねします。
例えば、夫婦で寝室で二人っきりなら何でも話せますが、この間に目をキョロキョロさせている小学生の子供がいたら、二人だけの時と話せる話はだいぶ変わってきます。
どれだけ違うかというと二人だけのときは、プライベート(私)の中でのセリフですが、三人になると、子供であろうがお店の人であろうが、オープン(公の席上)と同じなのです。
そこで、遠慮したり、気配りがあって、言うことにワンクッション置かなければなりません。
間接表現になるわけです。
間接表現というと第三者(観客の思考)が入れます。 だから面白いのです。
二人芝居だと直接表現になるので、感動を呼ばないです。』(新井一の一口コラム抜粋)
セリフ1つに観客を意識して創らなければいけないのが、ドラマです。
頭の片隅に、いつも入れておいてください。