「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)から紹介。
今回は、シナリオと小説の視点の違いとともに、まずは小説を一人称で書くときの基本事項をご紹介します。
シナリオは三人称多視点
シナリオ技法を駆使して小説を書くために、まずはシナリオと小説の表現の違いを述べています。
シナリオは三人称多視点ですし、人物もト書では“日野真美(18)、交差点を渡る。”というように客観描写をします。その際、ト書は必要最小限ですので、例えば“真美は身長160センチの中肉中背で、髪はショートカット。革ジャンにジーンズで、背中には大きなバッグを背負っている。”といったところまでは通常書きません。
ここまで書いていたら枚数ばかり食ってしまうし、キャストなどが決まっていない段階では、実践的でなかったりします。
ただ物語上で必要であったり、真美という人物の個性、特徴として伝えておいた方がいいならば書きます。例えば“真美は太目の身体でぜいぜい息を吐きながら交差点を渡る。”というト書で、物語の中でダイエットに励むといった展開となるならば、ということです。
シナリオ初心者の中には“真美は故郷から上京したばかりで、渋谷は初めて訪れた。”みたいなト書を書いてしまって、添削で「映像にできません」とか「小説的表現です」と赤が入ったりします。
まさにこうした事情や背景などは、小説の地の文ならば書けます。シナリオのト書は見えている部分だけですので、上記の“背中に大きなバッグを背負っている。”は、上京したという意味合いの一環として書いても構わないわけです。
さてト書では書けないのですが、小説ではそうした描写、表現こそが必要になりますし、的確に描いていくことが求められます。
これをどう書いていくか? その前に前回述べましたが、小説を書く際に「視点」がシナリオ以上に重要となります。「私」や「僕」といった一人称か、「真美」「佐倉」など三人称で描いていくかの選択があります。
さらには章ごとにそれらを混ぜて描いていく、といった手法もありますが、それは例外として、両者の違いなりポイントを述べていきます。
一人称表現=女性かもしれないし男性かもしれない
まずは一人称表現から。主人公(もしくは視点者)を“私”で運んで行く。主人公が18歳で東京に来た日野真美。彼女を“私”で描いていくとします。
一人称の場合の基本として、まず私の見た目、視点で見えるものしか描いてはいけない。同様に私が何を思っているか、心理や事情、背景なども、基本的には私以外は分かりません。ここが一人称の書きやすさである反面、難しさにもなります。
例えば、
私はようやく東京に来た。ここが憧れていた渋谷の交差点だ。
平日の昼間なのに、スクランブル交差点は人が溢れている。私は大きなバッグを背負い直すと、人の波に弾かれないように踏み出した。
といった描写で展開していく。初心者で間違いやすい点がいくつかあるのですが、まずこの視点者である“私”の情報なりを伝えないまま展開してしまう。
ミステリーなどで、作者が意図的に情報を隠す場合もあったりしますが、読者は文章を読みながら、さまざまな情報を拾っていきます。
この“私”の性別、年齢、容姿、事情などなど。これまで“日野真美”という人物を前提として語っていますので、皆さんはこの場合の“私”は、若い女性だと思い込んで読んでいたはず。
でも、これが1P目だとしたら、読者は私の性別は分かっていません。実は30代の男性かもしれないのです。
“私”の一人称で描く作者も、時として思い込みで(読者不在で)描いてしまう場合があります。そうした情報をどう伝えるか? 例えば(あまりうまいとは言えないが)“私は18歳の女の子。名前は日野真美、高校の卒業式を終えるなり、夕べの夜行バスで九州からやってきた。”と書いてしまう。
また、視点のぶれも間違いやすい。“私はあまりの人の多さに、大きな目をくりくりとさせて、あんぐりと口を開けた。”みたいな表現をしてしまう。どこがおかしいか、お分かりですか?
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2014年9月号)より
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