目が見えなくなってから、見えることがある
「田村さんみたいに見えなくなったら私、生きていけないわ」。
田村啓子さんが言われて一番イヤな言葉だったと仰います。
日本でも大ヒットした韓国ドラマ『冬のソナタ』(2002)や、24時間テレビ内で放送されたドラマ『盲目のヨシノリ先生 ~光を失って心が見えた~』(2016)など、目が見えない方を描くときは、かわいそうとか、悲劇といった切り取り方をしていることが少なくないですよね。
田村さんは目が見えなくなってから、シナリオ・センターに通い、水泳も始めました。
そして、地域のボラインティアグループと連携し、見える人も見えない人も一緒に楽しめる場として「座・スーパーマーケット」を立ち上げ、音楽・朗読・地域のネットワーク作りを目的に活動を開始。イベントプロデューサーとして様々なプロジェクトを企画・実施しています。
「体験が大切」と仰る田村さんのお話を聞いたら、かわいそう・悲劇という描き方をしようとは思わないはず。
きれいごとではなく、目が見えなくなってから、見えることがある、と感じるからです。
そこで、どんなことが見えるようになったのかを、「Theミソ帳倶楽部 わたしの普通」での田村さんのコメントからご紹介します。
耳で想像する
田村さん:目が見えないと言うと、大人は「かわいそう…」というリアクションをします。
でも、子どもは違う。
私の孫は「輪投げしよう!」「パズルやろう!」と誘ってくれます。
輪投げのときは「手を叩くから。こっちに投げて」と誘導してくれますし、パズルのときは私の手を持って「ココだよ」と教えてくれて、一緒に遊ぼうとするんです。
あるとき、孫のお友達がいて、孫がそのお友達に「ちゃんと声に出さないと分からないからね」と、私に言葉で伝えるように説明していました。言葉で伝えてもらうと、耳で想像できます。
「見えなくなったら生きていけない」と言う人がいますが、それは見ることに拘っているから。私も最初はそうでしたが、見えなかったらどうすればいいのかを考えるようになりました。そして今、耳で想像しています。
だから、目が見えない方と接するときは、年齢・身長・格好といったあなたの姿をまず、言葉で見せてください。
触覚で覚える
田村さん:家事訓練で訓練士として教えて下さったのは全盲の方でした。その方に、「じゃがいもの皮はどう剥きますか?」と質問されました。
皆さん、どう剥くと思いますか?上から剥きますか?上から剥くと皮が残ってしまいます。じゃがいもの皮は、輪切りにしてから、クルッと剥くんです。
これを知ったとき、モノの考え方が大きく変わりました。今までの調理法を少し変えれば、なんでも出来ると思いました。
つまり、触覚で覚えるということ。
点字もそうです。指先で覚えます。
点字といえば、いまは食品の瓶などにもついているのですが、例えば、何のドレッシングなのか、何のジャムなのかは点字表示がないんです。なので、点字テープを自分で作り貼っておきます。いつ買ったのかとか、賞味期限も点字で打ちますね。
薬も、薬の名前や処方された日にちを点字テープに打って、貼っておきます。そうすれば指でいつでも確認できますからね。
香りも目印に
田村さんは耳や手のほかにも、鼻でも色々なものを見ます。
今回もそうでしたが、いつもシナリオ・センターにお越し頂く際は、表参道駅地下にあるお店「Soup Stock Tokyo」の近くで待ち合わせをします。というのは、スープのいい香りが田村さんの目印になるからです。田村さんの聴覚、触覚、嗅覚は凄いですよ!
ドラマではこういうところ、描かれないですよね。
皆さんも固定概念にとらわれずに、田村さんのように色々な方向からモノを見て、それをベースにシナリオを書いていきましょう!
※座・スーパーマーケットのブログ「ほっとひといき」はこちらからご覧ください。
2017年09月11日のブログに、今回のミソ帳の模様をご紹介して頂いていますのでご覧ください!