「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
今回は一人称小説の注意点のまとめ。小説を書くとき、初心者が入っていきやすいのが一人称。ただ、読者の興味を失わずに展開させていくかは至難の技。どういったところを注意すべきか、そして、どんな小説が参考になるかも併せて解説いたします。
ブログの延長で一人称小説を書くな
小説を書こうとする際に、まず決めなくていけはないのは「人称」です。一人称か三人称かの選択ですが、これはすなわちその物語の語り手、視点者を決めるということになります。
ここのところはまず、初心者が入っていきやすい一人称について述べてきましたが、一人称小説の注意点をまとめておきます。
「私は」「僕は」「自分は」といった一人称が書きやすい理由は、書き手の思いなり感慨、見た目=私(僕、俺)として展開しやすい。
昔からある日記だったり、近年目まぐるしく増えているネット上のブログなどは基本的に、個人(私)の日常や体験談を書きますので、ほとんど全部一人称ですね。
そうしたブログなどで書き慣れた人が、「小説も書いてみよう」とチャレンジするケースが増えています。
すると、そのまま一人称小説のスタイルとなり、結果日記的な自分語りやエッセイ風、あるいは自身の赤裸々な体験や恥などを暴露するいわゆる「私小説」が多くなります。
作者の感慨や体験を、“私”に託して綴ったり、語って聞かせるという手法は、書き手は入っていきやすいのですが、それで読者の興味を失わずに展開させるのは至難の技だと認識しましょう。
つまり語りのうまさが求められるのです。
無料のブログであっても、多くの読者を獲得するには、何らかの売り、その人だけの特別な何かがないと難しいでしょう。ましてやお金を払って本を買ってもらう小説とするには、ブログの延長では通用しません。特にこれは純文学系新人賞の下読みが、愚痴まじりに述べる感想に顕著です。
ともあれ、一人称は“私”で物語を展開させます。常に私の行動なり見たものしか書けませんので、まずは私の情報をどう伝えるか?
さらに、私と関わる人物たちの心情なり行動を、どう表現していくかがポイントになります。
“私”が誰かに語りかけるスタイル
また、一人称小説の手法として、まさに“私”が誰か(読者の場合も)に語りかけるというスタイルもあります。
例えば、そもそもシナリオから出発して、ベストセラー作家となった湊かなえさんは、『聖職者』という短編ミステリー小説で「小説推理新人賞」を受賞しました。最初の単行本の『告白』は、『聖職者』をスタートとする短編連作集として書かれたものです。
「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」という衝撃的なセリフから始まるこの『聖職者』は全編、女教師がホームルームで生徒たちに語りかけるという構造になっています。
ともあれ、私の体験談や告白であったりする手法は、それだけで展開させるのが難しいために、短編により向くスタイルといえます。
長編を一人称だけでおもしろく展開させるのは、相当の書き手の力量が必要となるわけです。
ちなみに、スティーブン・キングの『11/22/63』は、2段組の上下巻という壮大な長編ミステリー小説です。
このタイトルはかのケネディ大統領暗殺の日付を意味していますが、主人公の高校教師ジェイク・エピングが、タイムトラベルの手段を見つけたことから、ケネディ暗殺を阻止しようと、現代と過去を行ったり来たりする物語。なんとこの長編は全編を、主人公の“私”の一人称で展開します。
一般読者は「一人称で通されている」といったことは、ほとんど意識せずにジェイクの冒険譚に心奪われて読み進めるでしょう。
書き手の端くれとしては、その難しさと、キングの豪腕ぶりにひたすら驚嘆していましたが。
ともあれ、一人称は小説を書き始める入口としてオススメですが、難しさと裏腹だということは頭の片隅に留めておきましょう。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2014年12月号)より
※ブログ「小説を一人称で書くときⅠ」はコチラからご覧ください。
※ブログ「小説を一人称で書くときⅡ」はコチラからご覧ください。
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これまでの“おさらい”はこちらのまとめ記事で。
「柏田道夫 シナリオ技法で小説を書こう スキル一覧」
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