なんだかんだ言って、テレビドラマがネットニュースなどで話題にならない時はありません。良くも悪くも。
誰もが「このドラマは面白い」とか「このドラマは面白くない」とかいいますが、では、そもそもドラマとは何なのでしょうか。シナリオ・センターの出身ライターの方々が、今クールも7割程度の連ドラの脚本を書かれています。せっかくの機会なので、「ドラマとは何か」を改めて考えてみました。
※そもそもシナリオとは何か ?を知りたい方は
>>シナリオとは?ドラマを映像化する設計図
ドラマとは、人間を描くこと
一般的に、ドラマとは人間を描くことだと言われています。「人間を描く」というと、なんとも難しいような気がしてしまいます。でも、ちょっと自分の日常を振返ってみると、「人間を描くって、そういうことね」とわかるのではないでしょうか。
シナリオ・センター創設者の新井一は『シナリオの技術』(ダヴィッド社)の中で、
『勉強をしなければいけないと思いながら、ついテレビを見てしまう。
わかっちゃいるけどやめられない、というのが人間です。そこのところを書くのです。(中略)
どうにもならない、そのつらい思いが人間なのです。ロボットではないところです。
人間を描くということは、人間の心の奥のそうした義理人情でも止められないところにあるのではないでしょうか』(『シナリオの技術』p125-126)
例えば、美しい夕陽を見た時、思わず立ち止まってしまうその心を、私たちはどう言葉にするのでしょうか。
例えば、最愛の人を亡くした時、天を仰ぎながら「フー」っと息をはく、その心を私たちはどう言葉にするのでしょうか。
ドラマを描くとは、言葉では言い尽くせない私たちの心の奥を描こうとする行為です。
言葉は、万能ではないからこそドラマがある
「ねぇ私のこと愛している?」というセリフに、
「愛しているよ」と返せば、それは愛のこもったセリフなのでしょうか。
「お前のことなんか、大嫌いだ!」と返せば、それは愛を拒絶したセリフなのでしょうか。
映画「Always三丁目の夕陽」のラストシーンに思わず涙してしまうのは、
淳之介が茶川竜之介に「なに戻って来てるんだよ、バカ」と見放されたからなのでしょうか。
シナリオの技術の中に、「セリフは嘘つき」というものがあります。
気持ちとは反対のことを言うという技術です。
こういう技術がなぜあるのか。それは私たちの心と言葉の関係が、そうそう素直な関係ではないからに他なりません。
私たちは、ドラマの登場人物の心を、ドラマを観ている人間の心を、簡単に代弁できるほど便利な言葉を持っているのでしょうか。もしも持っていたら、何千年も昔から現在に至るまでドラマが描かれることはなかったのではないでしょうか。
ドラマ製作の現場が、人間の心とは何かという問いを忘れた時、いいドラマが生まれることはないと思います。同様にドラマを観る方が、人間の心とは何かという問いを忘れた時、いいドラマは生まれないと思います。
どちらも人間への思いが至らないからです。
「このドラマ、なんかイマイチだな」と思ったら、その原因の一旦は、「人間って、こういう一面あるかもねぇ~」という風に自然と感情移入ができないからではないでしょうか。
ドラマは、視聴者とともに育っていく
シナリオ・センター創設者の新井一が、40数年前「一億総シナリオライター化」を理念にシナリオ・センターを設立したのは、作り手も観客も作家の目を持つことで、日本のドラマのクオリティーを上げていきたいと考えたからです。
そしてその根っこには、「人間とはなにか」という問いを常に考え続けることがあります。
『ドラマを追求するためには、その人物なり、周囲の事情というものが決定します。その人物が、どうした事情にいて、どうした環境(周囲)におかれているかを、はっきりと作者自身が見つめなければ、ドラマはできません。(中略)
人間の真実をどう見つめるかということなのです。そして、その真実以外はいらないということなのです。』(『シナリオの技術』p84)
「人間とは、わからないものだ」
そう腹をくくるからこそ、そこから作品は生まれるのだと思います。
「昔から人間観察が好きだった」という方は、シナリオライター・脚本家が向いているかもしれません。そんな方は、シナリオ・センターでお待ちしています。ドラマの描き方を学べるところがあるんだぁと思われた方は、お気軽にお問合せください。初心者の方から、わかりやすい講座をやっております。
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