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映画化する題材の見つけ方/映画プロデューサー桝井省志さんの視点

2013.05.28 開催 THEミソ帳倶楽部「アルタミラピクチャーズに学ぶ〝映画のタネの見つけ方〟」
ゲスト 桝井省志さん(アルタミラピクチャーズ代表・プロデューサー)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2013年10月号)よりご紹介。
ゲストはアルタミラピクチャーズ代表であり映画プロデューサーの桝井省志さん。周防正行監督や矢口史靖監督のヒット作品からドキュメンタリー映画まで、様々な題材を映画化しているアルタミラピクチャーズさんの“映画化する題材の見つけ方”に迫りました。特に、バタヤンという愛称で親しまれた歌手・ギタリストの田端義夫さんを追悼して公開された『オース!バタヤン』を軸に、題材と掘り下げ方についてお話していただきました。

音楽ドキュメンタリー映画を作りたい

アルタミラピクチャーズでは、大々的に宣伝して公開される商業映画とは別に、『タカダワタル的』『こまどり姉妹がやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』などの音楽ドキュメンタリー映画を製作してきました。今回公開された『オース! バタヤン』もそのひとつです。

元々私自身がジャンルを問わず大の音楽好きで、しかし、私の本業は劇映画のプロデューサー、普段から映画の中で音楽に対する自分の想いというか、ミュージシャンへのリスペクトをダイレクトに表現する機会はないだろうと感じていました。

そんなある時、俳優の柄本明さんに、フォークシンガーである高田渡さんを紹介してもらうことができました。高田渡さんは、メジャーではないけれど、その飄々とした風貌といい、憧れのミュージシャンだったんです。

お会いしてみるとすごく身近に感じて、ますますその魅力に圧倒されてしまい、このおじさんを映像に収めてみようと即座に思ったんです。ドキュメンタリーですから、カメラさえあればすぐに撮り始められる。

劇映画の場合はきちんとシナリオを作って、お金を集めて、やるかやらないかの決断をしてから、やっと撮影が始まりますから、実際には実現しない企画が山ほどもあります。

それに比べ、ドキュメンタリーの手法だと、「とりあえず行動する」ということができるんですね。もちろん最初は、これを作品として発表できる自信はなかったんですが、「何かできるんじゃないかな」と気楽に思って、とりあえずライヴ会場でカメラを回し始めました。そうして撮った『タカダワタル的』が、アルタミラの音楽ドキュメンタリーのスタートでした。

それと前後して製作したもう1つの音楽ドキュメンタリーが、「ワン・モア・タイム」です。

私が小学生の時、はるか昔の話ですが、日本の歌謡界というか音楽界は、グループサウンズが全盛期で、その中にザ・ゴールデン・カップスという横浜から出てきたバンドがあったんです。

星の数程あったバンドの中でも、カップスは音楽的にも本物だったし、その不良っぽいルックスが群を抜いてカッコよかった。彼らを中心に、米軍進駐によって出来た特殊な文化を持つ横浜を舞台に、60年代の横浜の不良達の青春グラフィティを映画にしたいなとずっと考えていました。

実は、私が大映にいた頃から、ずっと温めていた企画だったんです。『アメリカングラフィティ』の日本版を作りたいと思っていたんですね。60年代の若者たちのエネルギーに一種の憧れを持っていたんですねえ。

それを何とか劇映画の形にしたいと。ただ、当時の私は映画会社のサラリーマンプロデューサーでしたから、なかなか実現できませんでした。その後も、実現したいと思いながらもほったらかしにして、ずっと夢として残っていたんですね。

そして、 独立してようやく、長年の想いが実現しそうなチャンスがめぐってきました。まずは、メンバーの方とコンタクトを取って、インタビューをして当時の話を聞かせてもらったり、写真や映像資料を見せてもらったりと、取材をしているうちに、「このままドキュメンタリー映画にできるんじゃないか」という気がしてきたんです。

ちょっと違うぞ、田端義夫さん

そして「再結成コンサートをやろう!」という話になり、撮ったのが『ザ・ゴールデンカップス ワン・モア・タイム』。

1部がインタビューなどで構成されたドキュメンタリーで、2部が30年ぶりの再結成コンサートという2部構成です。ある意味、劇映画作りの作業の途中経過を作品にしてしまったみたいな感はあります。

私の中では、劇映画にできなかった残骸をかき集めて映画を作ったという感じです。でも、それが却って、作品に荒削りで混沌としたエネルギーみたいなものを与えたような気もします。

そして、こちらもやはり私が小学生だった頃のことですが、ビートルズやローリングストーンズと共に、田端義夫さんのエレキギターにもハマっていたんですね。「このおじさん、ちょっと違うぞ」というような・・・。

でも、学生時代はずっと洋楽に憧れていて、日本人である自分の足元のものをよく知らないくせに素通りしてしまう傾向があった。簡単に言えば、向こうの物はカッコいいけど、日本の物はダサい。あの頃は、世の中みんなそうでした。私が小津映画を初めて観たのも大学に入ってからでしたから。

磯村監督や周防監督、矢口監督の映画を製作し終わると、次の作品までの合間、特にやることもない(笑)、05年くらいから田端義夫さんのことを撮り始めました。

今は撮影機材も発達していて、インタビューなんかは少人数で簡単に撮りに行くことができます。田端さんの大ファンである立川談志さんのインタビューの時は、談志さんは当時入退院を繰り返していたので、一言だけでもコメントをいただければいいと思っていたんですね。

ところが始めてみたら1時間半。インタビューしている我々スタッフのためだけに、田端さんの物真似や独演会をしてくださったんです。表現者はすごいなと、つくづくその時思いましたね。カメラを前にしてベストを尽くしていただいた。

田端さんのドキュメンタリーを撮影することによって、談志さんやコンサートの司会を務めた浜村淳さんなど、「この人たちの姿を映像として記録に収めておきたい」と思える沢山の方々に参加していただけました。

皆さんが勉強している劇映画は、シナリオを書いて構成をして、設計図ができたものを製作者が撮るという作業ですが、ドキュメンタリーに関しては編集第一で構成していく手法です。

撮り集めた膨大な材料を長期間、編集を繰り返していくと、いろんな編集バージョンが出来てしまって、だんだん訳が分からなくなってくるんですけれど(笑)、スタッフに見せて感想を聞いたりして、試行錯誤しながら編集し続けて、これだっと納得できるまで1年くらいかかりました。

直感的に決めた『ウォーターボーイズ』

私は、元々は大映という会社の企画部にいて、ちょうど20年前に、周防正行監督と磯村一路監督と共にアルタミラピクチャーズを立ち上げました。

最初はスタッフも数人で、最初に作ったのが『Shall we ダンス?』、その次に『ウォーターボーイズ』を製作しました。のちにテレビドラマにもなった大ヒット作です。

『ウォーターボーイズ』の企画の発端は、テレビのニュース番組です。埼玉県の男子校、川越高校の水泳部が学園祭に女子高生を呼ぶために、シンクロのイベントをやっていると、たまたま自宅のテレビで観たんです。

埼玉のローカルな話題としては有名だったようですが、男の子のシンクロなんてキワモノ扱いです。でもテレビを見て私は直感的に「これだ!」と思いました。

当時は男性ストリップも流行っていたこともあり、ウケるんじゃないかな、なんて下世話な気持ちもあったりして。これ、当たった後だから言えることですが、普通に考えればボツになる企画です。ほとんどストーリーもありませんしね。矢口さんに最初に話した時も、嫌そうな顔をしていたのを覚えています(笑)。

とはいえ、矢口監督にテレビの映像を見てもらったら「しょうがないか」という感じで引き受けてくれた。それが実際のところです。フジテレビの映画部も、うちの映画が当たるとは思っていなかっただろうし、男性シンクロに対しては随分反対意見もあったようです。

担当プロデューサーが頑張ってくれて、ようやく企画のGOが出たのが、クランクインの3日前でした。「極めてよくわかんない企画」のひとつだったということでしょう。

結果的に『ウォーターボーイズ』はヒットして、周防監督、磯村監督と立ち上げたこの会社に、新しいラインが見つけられたかなと嬉しく思いました。

NOスターで映画を作ることがいかに楽しいか!妻夫木聡くん、玉木宏くんも、当時は無名。演技力なんてどうでもよくて、とにかく水泳と身体能力で選びました。男の子30人くらいで合宿して撮影をしてね。出演した役者さんたちが、その後活躍してくれているのは嬉しいですよ。若い人が主人公の映画は、誰でも出演するチャンスがあります。

ただ、それだけじゃ商業映画にはなりません。

ということで、竹中直人さんに出演してもらいました。竹中さんが出ているだけでコメディーだとわかってもらえるかなと(笑)。

あとは名もない子たちばかり。だけど、これからっていう人と一緒に仕事をするのは、本当に面白い。この商売、演技が上手い下手より、基本的には性格だということに気づかされます。

矢口監督と周防監督の違う点

『ウォーターボーイズ』のストーリーは、どう考えても最後にシンクロするしかないんですよ(笑)。それだけでいいからと、監督に頼みました。複雑な話にする必要はないから、と。矢口さんは『シコふんじゃった。』を非常にリスペクトしているので、少し意識はしていたようです。

ただ、矢口監督が周防監督と違う点は、彼は川越高校の取材を一切していないということ。

私は取材に行きましたが、矢口さんは最初に見たニュース映像だけ。そこが矢口さんの面白いところなんです。当時は取材することのモチベーションが、彼の中になかったのかなと思います。それより自分の中でアイデアを熟成させてシナリオに起こした方がノリが良かったんだと思うんです。

周防監督は自分の頭の中でストーリーは考えているんだけれども、その裏付けも含めて緻密に取材を繰り返していくタイプ。それと真反対で、普通ならちょっと川越高校に行ってみようかなと思うところ、矢口さんはまったく興味を示さない。それが矢口流だったのかなと思います。

のちに『ハッピーフライト』を撮った時は、矢口監督は、取材することに命を懸けていました。彼は飛行機オタクだったのでね(笑)。『ロボジー』の時にも取材していました。ロボットオタクでもあるんです。あちこちの大学のロボット研究室に足を運びました。「映画のどこに反映してるんだろう?」と思うくらいにね(笑)。

うーん、今振り返って見ると、やっぱり『ウォーターボーイズ』の時にはシンクロそのものに興味がなかったんでしょうね(笑)。でも、その軽やかさがいいんです。

取材をしていくと、そのリアリティを背負い込んでしまうということがある。「実際はこうだから」って思い込んでしまうことって誰にでもあるじゃないですか。実際に取材したことを、そのままなぞれば、ヨシとする傾向があって、もちろんそれの良い点もあるとは思いますが、本当は作品が面白ければいいんです。

矢口さんは何も現実に縛られないでイマジネーションだけで話を広げていった結果、ああいう映画ができたんですね。

周防監督の『それでもボクはやってない』は痴漢冤罪の話ですが、これは周防監督が個人的に裁判に興味を持って調べて行った結果、出会った題材です。監督は勉強家ですからね(笑)、1年以上裁判所に通って取材をしていました。痴漢裁判の当事者の方たちと知り合って、実際の痴漢冤罪裁判で裁判所に提出するビデオ映像を手弁当で制作したりして……。

こんなことを言うと信じてもらえないかもしれませんが、この取材時点では映画にすることを考えていなかったんです。周防監督と私の共通認識は、「映画を作るために」こういうことをしたくないんですよね。

もちろん映画を作らなきゃ食っていけないんですが、だけど今やっていることは映画のためだって思うのは気分が良くない。映画になるかどうかは、ギリギリのところで判断すればいい。ともかく単純に興味のあることを、1年2年突き詰めていくという作業をしていた感じです。

ある時、「このままだと、一生裁判見学して終わるのかな」って不安になってきて(笑)、監督に「そろそろ映画にしませんか」と言いました。監督は勉強好きなので、たぶん一生裁判を見続けていくと思います。「とりあえず中間発表ということで映画にしてください」と頼んだんですね。

アルタミラ流企画の通し方

『ウォーターボーイズ』は、たまたま東宝の宣伝部の人に「こういう企画があるんだけど」と話したら「面白いね」と言ってくれたので、フジテレビの担当者にも話をして。それでホン作り始めちゃったんですよ。だから企画書なんて用意してない。『それボク~』の時も同様に口頭でプレゼンしました。もちろんこれは我々の特殊なやり方であって、勉強中の皆さんに通用するやり方ではないですけど。

でも、どんなに立派な企画書を作ってもそれがすべてではないし。企画書を作らなくても、個人的に考えを整理するためにメモを書くことはあります。でもそれは他人に見せません。

字面で企画内容を説明してしまうと、それで足元をすくわれる気がして。作戦として、あえて文字にしないという方法論を取っています。「男子シンクロ、面白いでしょう。想像してみてよ!」と言ってその気にさせる。実際にはストーリーなんてまだ考えていないのに、詐欺師みたいなものかな(笑)。

『それでもボクは~』の場合は、周防監督が日本の司法制度をまったく知らない目で見て体験した驚きを、そのまま映画にしたいと言うことだったので、エンターテインメントにはしたくないと。裁判の実情をなぞるようにみせたいということでした。だから映画を面白くする要素を作為的に入れたりはしていないのです。

もちろん『Shall we ダンス?』の評価があってこそできた企画だと思いますが、商業映画にはならないんじゃないかと思っていました。自主制作して、監督の講演付きで上映する方がいいんじゃないかと。幸い東宝とフジテレビが、商業映画として付き合いましょうと言ってくれて、興行収入は10億ちょい行きました。

10年前20年前に立てた企画が、機が熟してきて復活することがあります。『ロボジー』もそうですし、今、周防監督が撮っているミュージカル映画『舞妓はレディ』は、『Shall we~』よりも前にあった企画なんですよ。

『マイフェアレディ』のダジャレですが、意外と気づかない方も多くて。田舎から出て来た少女が舞妓を目指すファンタジーです。久々に若い子のオーディションをして新鮮でした。

この企画を立てた当時、山形県酒田市が舞妓株式会社というのを作って、観光舞妓を育成していたんです。じゃあ取材に行こうとなり、行きの車中で周防監督が『Shall we~』のハコ書きを書き上げた。1枚程度で箇条書き程度のものですが、これが非常によくできた、お手本のようなハコでした。

それで一気にこっちをやろうということになって、舞妓のことは忘れちゃったんです(笑)。 『Shall we~』の後に舞妓の企画をやろうと思ったら、舞妓の映画が続いていてタイミングを逃してしまったんですね。そんなことがあって、ようやく今になって実現したというわけです。

音楽にはこだわりたいですね。『スウィングガールズ』でも、ジャズの名曲をたくさん使ったりね。キャストが弱い分、音楽では贅沢をしようというコンセプトです。うちの場合、他の映画より、音楽に対する予算は多いかもしれません。

オリジナルほど楽しいものはない

最近の映画を観ていると、我々が昔から映画的だと思っていたことが次第に失われていく危機感を感じます。映画監督や脚本家といった作り手に対して、リスペクトが少ない現場になっているような気がします。

かつて映画会社にいた時に学んだことは、作家に対するリスペクトですね。単純に監督や脚本家はは駒じゃないよ、とか、使い捨てじゃないよってこと。流行りものを並べて、組み合わせて作るのではなくて、一作家として認めていく。作家として守ってをいくことが大切なんだろうなという気がします。

「この人と仕事しよう」と思う基準は、はっきりいって「近くにいる人」です。身近にいて頑張ってる人。そんなに天才的な人を必要としません。書くことに一生懸命で、やる気のある人と一緒に仕事をやりたいじゃないですか。少々書く技術が足りなくても、アイデアと発想だけでも値打ちがあると思います。

「企画マン」としてだけでも食い扶持になる時代になればいいなと思っています。もちろん立派なシナリオが書ければそれに越したことはないけれども、そこにたどり着かなくても、皆さんはたくさん企画を持っているでしょうから、いつか出会えればいいなと思います。

去年の映画興行成績トップ30のうち、9割方が原作ものです。オリジナル作品の『ロボジー』は興行成績28番目です。原作ものを否定するつもりは全くないんですが、オリジナルほど楽しいものはないですよ。『ロボジー』のようなささやかな話でも、矢口さんの脚本は3年か4年かけて作っています。

オリジナル作るのって大変で、皆さんもそれを実感しているでしょう。でも、オリジナルを作ることを忘れたら、この商売はないと思うし、皆さんには苦労してでもオリジナルの話をゼロから考えてほしい。オリジナルのアイデアに自信を持ってください。皆さんには、オリジナルを作る腕を磨いてほしいですね。 

出典:『月刊シナリオ教室』(2013年10月号)より

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部 達人の根っこ「アルタミラピクチャーズに学ぶ〝映画のタネの見つけ方〟」
ゲスト:桝井省志(アルタミラピクチャーズ代表 プロデューサー)
2013年5月28日採録

次回は6月11日に更新予定です

プロフィール:桝井省志(ますい・しょうじ)

アルタミラピクチャーズ代表取締役社長であり映画プロデューサー。大映映画・企画製作室入社し、プロデューサーとして周防正行監督の『ファンシイダンス』(1989)『シコふんじゃった。』(1991)などを手掛ける。アルタミラピクチャーズを設立し、『Shall we ダンス?』(1996)『がんばっていきまっしょい』(1998)『ウォーターボーイズ』(2001)『スウィングガールズ』(2004)『ロボジー』(2012)『終の信託』(2012)など、数々の映画でプロデューサーを務めている。

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