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NHKプロデューサー篠原圭さんが語る脚本家・中園健司さん

2014.08.04 開催 THEミソ帳倶楽部「中園健司とドラマ『東京が戦争になった日』」
ゲスト 篠原圭さん(NHK編成局 チーフプロデューサー)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2014年11月号)よりご紹介。
今回のゲストは、NHKのコンテンツ開発センターのチーフプロデューサー・篠原圭さん。篠原さんは、2013年に急逝した出身ライター中園健司さんの遺作、NHKのスペシャルドラマ『東京が戦争になった日』(2014年3月15日にNHK総合にて放送)を担当されました。同作品は「第54回モンテカルロ・テレビ祭」にて「モナコ赤十字賞」を受賞。2014年8月15日に再放送されました。この作品をともに作った中園健司さんの脚本家としての姿勢・佇まいや、国外でも高く評価されたドラマ『東京が戦場になった日』について、お話いただきました。

3.11後に中園さん自らが企画提案

中園健司さんと私は、最初は『ルームシェアの女』というよるドラのコメディでご一緒して知り合いました。

脚本家と制作者としてガッチリ組んだのは、私がオリジナルで企画した土曜ドラマ『ジャッジ』が最初です。西島秀俊さん主演の、南の島の裁判官のお話です。制作は大阪放送局でした。

中園さんは、オリジナルを書く時には、とにかく取材から始めたいとおっしゃって、取材している間は、どういうストーリーにしたいという話を一切教えてくれないんですよね。私が企画書に書くあらすじに関しても、いいとも悪いとも言わない。

『ジャッジ』の時は元裁判官や島の人々に、今回の『東京が~』では元年少消防官の人々に、直に話を聞くところから始める。そういう方でした。 

本当は中園さんご自身がお話してくれればいいんですが、残念なことに昨年10月にガンで亡くなられました。病気のことがわかる前にシナリオは完成していました。

僕が中園さんと一緒に作ってきたという経緯があるので、今回このような場で皆さんにお話しさせてもらうことになりました。

今回のドラマの原案となったのは、中澤昭さんの『東京が戦場になった日―なぜ、多くの犠牲者をだしたのか!若き消防戦士と空襲火災記録―』(近代消防社)という記録本です。

第二次世界大戦下、二十歳前後の理科系の学生たちは徴兵を免除されていました。昭和19年の秋くらいから、つまり空襲が本土に始まる頃から、そういう人たちまでもが「学徒消防隊」として集められました。

また、18歳未満の、あと少しで戦地に送られる年齢の若者たちは、「年少消防官」として集められ、消防署で勤務させられたのです。

この史実を知った中園さんが、原案の本を元に企画書を書き、私のところに持ってこられました。それがちょうど2011年の夏。

皆さんご存知の通り、その年の3月に東日本大震災があって、人々が非常に大きなショックを受け、これから日本はどうなっていくんだろうという不安感に包まれていた時です。

 

震災の現場や福島では、ハイパーレスキュー隊が活躍したこともあって、困難と戦う消防隊が注目されていました。

災害と戦争ではまったく違いますけれども、そういう状況下で戦う学徒消防隊、または年少消防官を主人公にした終戦ドラマをやろうと、中園さんと私で企画を立てて提出したところ、企画は割とすんなり通りました。

でも実は、初めに中園さんの持ってきた企画は、学徒消防隊・年少消防官をやるというものではなかったんです。映画化を前提とした、戦争スペクタクル巨編でした。

具体的に言うと、B29と零戦が空中戦をやったり、そういう中で飛行兵を目指していた少年が挫折して消防官になっていく……というようなプロットでした。

私から「テレビの規模で消防隊に特化したドラマにしましょう」と提案し、中園さんとのやりとりを経て、学徒消防隊の話で行こうと決まったのが、2011年の12月のことでした。

ある日部長から電話があり、「あの企画が通ったからすぐに準備を始めるように」と言われたんです。「2012年8月の終戦時期に間に合わないか?」と言われましたが、この規模でやるなら無理ですと。というわけで、2013年の3月の放送を目指して、中園さんとの脚本作りがスタートしました。

納得できるまで取材をする中園さん

原案の本は、記録としての価値が高い本で、実名仮名でたくさんの人の実例が載っているのですが、あくまで記録であり、ドラマにはなっていません。

そこで著者の中澤さんの元を中園さんと2人で訪ね、実際どうだったのか、裏話を聞かせていただくことにしました。

中澤さんは当時70代半ばで、板橋の東京大空襲を子供の時に体験した方です。ご本人が消防官として東京大空襲を経験したわけではないので、その辺りのことは本物にあたるしかないということで、中澤さんのご紹介で何人かの年少消防官や学徒消防隊の方に会うことが出来ました。

元・年少消防官というと、戦争当時17歳くらい、つまり現在は80代後半という方々です。こちらがビックリするくらい記憶が鮮明な方がほとんどだったんですが、僕なんかはそんなに高齢ならば覚えていなくても当然だろうと思っていた。

ところが中園さんは、容赦なく聞くんですよね、「そこがわからないと書けないんで、もっと教えてください」とか、「それ、さっき言ってた話と食い違ってますよね」と。

もちろんリスペクトを持った上での質問でしたが。「中園さん、遠慮なく聞くんですね」と思わず言ったところ、「本当の声やその時の気持ちを聞いて、肌身でわかっておかないとホンが書けないんだ」とおっしゃっていたのが印象に残っています。

私はシナリオを書くプロではありませんが、中園さんの言う通り、書く前の段階で、「これで人物が作れる」と納得できるまで取材をすることが大切なのではないかと思います。

東京大空襲の話は、覚えているけど話したくないと、取材拒否をされる方もいましたが、そういうことも含めての取材でした。それだけ壮絶な体験をなさったということです。

例えば、老人がすがってくるのを振り払って出動したとか。中園さんはすべてをノートに書き留めていました。「書きっぱなしにしておいて、まずは考えるんだ」と。チラッとそのメモを見せてもらいましたが、「これでどういう人物が出来るのかな?」と思いました。

そういう感じで、2012年の5月か6月くらいまで取材に時間をかけました。それでやっとシナリオ執筆に入りましたが、この時点では、どういう枠で放送するかが決まっていなかったんですね。つまり、60分2本にするか、45分2本にするか、いろんな編成上の事情もありましたので。

私と中園さんで話し合った結果、最終的にどういう枠になるかわからないけれども、一番書きやすいのは120分1本だということになり、それで「白本」、つまり初稿を作ってみることにしました。

書き出したら早かったんですよ、第1稿は確か8月くらいには上がっていたと思います。それを3ヵ月かかって直して、「青本」の2稿にしました。

編成の方針も見えてきて、2012年の冬に、90分を想定した第3稿が出来ました。その後も紆余曲折を経て、2013年1月に44分×2本の決定稿を作りました。3月にクランクインの直前に、役者さんの名前なども入った「完本」という最終稿が出来ていました。

ところがその後になって、このドラマならば「NHKスペシャル」という枠でできるという話が浮上し、大型の放送枠になるということで私は飛びつきました。というわけで、88分の1話完結で、放送した通りの形になりました。

「これは放送できるのか」という冷静な目を

つまり、このホンに関しては8ヵ月くらいで5回ほど直して完本に漕ぎ着けています。直しをどうやって進めていったかというところが、シナリオライターを目指す皆さんには一番参考になる部分じゃないかと思います。

ひとつ例を挙げましょう。

初稿に、消防官らが「食べ物にありつけてよかった」などと話し合うシーンがあります。物資が不足していて消防官を必死で集めていた頃のことで、とにかく食べ物がなくて飢えていたという証言が多く聞かれたため、脚本家がこのセリフを書いた意図はわかります。落ち着いてホッとできるいいシーンに見えますね。

ただ、このシーンは真っ先にカットされました。なぜだかわかりますか? 

理由は単純です。火事場の家の中から密造酒の甕を見つけて「酒が飲める」と言って食事をするシーンなんです。確かにこのエピソードは取材先で聞いた実話ですが、現代の私たちの感覚からすると完全に火事場泥棒ですよね。

実際の戦時中はこれどころじゃなく、もっと切実な状況だったとは思いますが、火事場から持ってきた物をみんなで食べるというシーンは、現代の人には見せられないという判断でカットになりました。

ホンを作る上で、いい話・人の心を揺さぶる話と、社会のルールを踏み外している話は表裏一体だったりするんですよね。でも、テレビドラマにおいて、その中でも特にNHKでは、コンプライアンスの観点でできないと言われてしまうことが多々あります。

最初の発想からこういうことを意識していては、委縮して書けなくなってしまうかもしれませんが、その一方で「これは放送できるのか」という冷静な目も持っていてほしいですね。

話の筋が面白いかどうか、どうやったら面白くできるか

中園さんと私が戦ったというか、共に悩んだところがあります。このドラマの冒頭とラストに現代のシーンがあるんですね。

そもそもこの企画は、現代の東日本大震災での消防隊の姿を描きたいという想いから始まっています。現代の人に伝えるために作っていますから、その現代をどう描くかはすごく悩みました。

加藤武さん演じる元・年少消防官だった現代の徳男が、団地の火事を見上げているというところから始まります。居ても立ってもいられず、徳男は火事に飛び込んでいきます。

なぜかというと、その前に東日本大震災の映像を見て、思うところがあったから。飛び込んだ先の団地の部屋に、逃げまどう母子がいます。徳男は彼らを助けるのか、それとも一緒に死んでしまうのか。

ネタバレしますが、結論から言うと、徳男は母子を助けようとするが火に阻まれ、その手前で倒れてしまって、救急車で搬送され、死んでしまいます。

この結論にたどりつくまでにたくさん議論をしました。これは無駄死にじゃないかとか、80代のお爺さんが母子を助けるというエピソードにした方がいいんじゃないかとか、クリント・イーストウッドならそうするだろうとか。ドラマですから、どちらを選んでも良かった。

最終的には、徳男が最期に何を見たか、現代の消防隊が母子を助け出す姿を見たのだ、というラストにしました。これが良かったのかどうか。

ドラマが出来上がった時には、中園さんと2人で「これで良かったよね」と話し合いましたが、ご覧になった皆さんがどう感じたのかを是非聞いてみたいです。

話の筋が面白いかどうか、どうやったら面白くできるかということを、我々はいつも心を砕いています。観てくださる人たちの価値観にどうはめ込んでいくか、あるいがその価値観をどう裏切ってみせるか。現代の日本はこうじゃないということを、今の日本人にどうやったら分かっていただけるのか、どう伝えるのか。

今回のドラマだけではないですが、そこは作家とプロデューサーが最後まで悩むべきところだと思います。悩んでおかないと、ドラマが地に足の着いたものにならないんですね。

シナリオ化することでメッセージ性を発揮できる

終戦ドラマがNHKにおいてはどういう扱いになっているかというと、ドラマ部だけで100人くらいいて、皆が終戦ドラマを企画したいと思っています。

どんなドラマが通るのかは、その年によって違いますから、確たることは言えませんが、来年2015年は終戦70年、そしてNHK放送開始90年という節目の年。戦争絡みのドラマがたくさん出てきて、ひとつのピークを迎える、などと言われています。

今の時代、世界中で「戦争をどう考えるか」というテーマの番組が注目されています。現状、世界からまだ戦争が無くならない中で、「なぜ戦争が無くならないのか」というコンテンツに対するニーズが、非常に高まっているのです。

一方で、日本では戦争体験者が年々減ってきていて、だったらもう戦争ドラマはやらなくていいんじゃないかという意見も出ます。でも、「いや、だからこそ伝えていかなければいけないんだ」という声の方が強いです。

私自身も戦争を体験していませんが、私の専門分野であるドラマでなら、戦争体験を伝えていけると思いました。

シナリオライターである皆さんにも、ドラマという手法で、戦争の悲惨さ、二度と起こしてはいけないという想いを伝えていってもらいたい。シナリオを書いてみるとわかると思うんですが、シナリオ化することでメッセージ性を発揮できるんです。

来年のピークの後、NHKが戦争ドラマをどう作っていくかわかりませんが、私個人としては終戦ドラマは後世に伝えていくべきものだと思いますし、言い方は悪いかもしれませんがネタの宝庫ですので、皆さんにも取り組んでもらいたい。

戦争という状況がどんな風に人間を変えていったか、戦争という設定の力も強いですので、戦争を題材にすることはシナリオの勉強にもなるはずです。

『東京が戦争になった日』は、6月にモンテカルロ国際映画祭で「モナコ赤十字賞」を受賞しました。戦争を二度と起こしてはならないというメッセージが、赤十字社の「人道」と「奉仕」の精神に合致したということです。

NHKは公平・中立という立場もあるので、あまりメッセージ性の強いドラマは苦手なんですけれども、こと戦争に関しては「二度と起こしてはいけない」と強く発信できます。

目を背けたくなるようなこともあるテーマですが、私も挑戦し続けていきたいと思っていますし、皆さんにも、ぜひそうあって欲しいと思います。

ドラマには人を感動させる力があります。「明日も元気に仕事に行こう」とか、見ている人の背中を押すような番組を作るべきだと思っています。誰かを傷つける作品を作ってはならない、これが放送上の最大の縛りです。

最近も、NHKのドラマ『サイレント・プア』のように、マイノリティの人たちに光を当てることは良いことです。ただし、こちらの思いやメッセージだけではなく、いつも冷静な目も持っていてほしいと思います。光の当て方によっては、さらにその人たちを窮地に追い込む恐れもあります

ただ面白ければいいというのではなく、放送できるシナリオを作る必要があります。常に脚本家はそれと格闘していると思いますし、我々プロデューサーは、面白いと思いながらも、その一方でそれを否定する目を持たなければなりません。

放送に出るまでには、演出やプロデューサーが作ったものがそのまま流れるわけではなく、試写で見た局内の他の部署の人々の意見で放送前に急きょ内容を変更することもあります。

シナリオ作家の方はやりたいことは言うべきだし、自分が面白いと思うことを書いてもらいたい。

意思をはっきり表明して欲しい。けれどもそれと同時に、一歩引いた視点というか、他人の意見にも耳を傾ける余地も持っていてくれるとありがたいなと思っています。

中園健司さんは私にとっては、そういう作家の方でした。

 

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「中園健司とドラマ『東京が戦争になった日』」
ゲスト:篠原圭(NHK編成局 チーフプロデューサー)
2014年8月4日採録

次回は9月10日に更新予定です

プロフィール:篠原圭(しのはら・けい)

連続テレビ小説『ほんまもん』(2001:脚本 西荻弓絵・主演 池脇千鶴)や、中園健司脚本作品では『ルームシェアの女』『ジャッジ~島の裁判官奮闘記〜』『ジャッジⅡ~島の裁判官奮闘記〜』『東京が戦場になった日』にプロデューサーとして関わる。その他、『アイアングランマ』『その男、意識高い系。』(ともに2015年)『水族館ガール』(2016年)『PTAグランパ!』(2017年)など、話題のNHKドラマの制作・制作統括を担当している。

※出身ライター中園健司さんについては、こちらのブログ「さよなら、中園健司さん。」を是非ご覧ください。

 

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