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小説家になるには/小説家・鈴木光司さんに学ぶ

2015.04.06 開催 THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ(2)~鈴木光司さん編~」
ゲスト 鈴木光司さん(小説家)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回2015年8月号)よりご紹介。
今回も、シナリオ・センター創設者新井一生誕100年を記念して行った模様をご紹介。新井一と縁のある出身ライターの方々に、ご自分のシナリオ作法について、お話をしていただく機会を設けました。題して「新井一生誕100年機縁」。今回のゲストは鈴木光司さん。シナリオ・センター在学時代、作家集団ゼミで書いてきた小説を毎週読み、クラスメートの反応を見ながら書き進め、それがあの大ヒットホラー小説『リング』となったことは、今やシナリオ・センターの伝説となっています。プロの小説家になるためのとっておきのノウハウを、鈴木さんの超前向き人生を通して、熱く語っていただきました。

人間パワースポット

僕はシナリオ・センターにはドップリ浸かっていました。基礎講座から本科に行って、研修科へ行って、作家集団。大学4年の時から作家デビューするまで、ずっと学んできました。

ものすごく恩のある場なんですね。シナリオ・センターにいたことによって、僕はどうにか作家デビューすることができたんじゃないかと思っています。

今日来ている皆さんは、小説家として、あるいはシナリオライターとして、生活を成り立たせたいと思っている人が多いと思うので、作家になるということ、つまり文章表現をやってどのように生活を成り立たせていくか、今日はその心構えを中心に喋ろうと思います。

小説家としての能力があるとしたら、それを使ってあと2つの職業ができると考えています。

ひとつは新興宗教の教祖。もうひとつは詐欺師。

僕の場合、どうにか小説家として成り立っているので、この2つに手を出さないでよかったと思いますが、小説というのは、要するに「世界」を作るんです。

新興宗教も詐欺師も、自分の世界を作ってそれを信じ込ませるというところが似ているかもしれない。

僕の場合は、すごくプラスのオーラを出していますので、今日、みんなに持って帰ってもらうものがあるとすれば、この「人間パワースポット」に触れて、モチベーションを高めてもらえればと思います。

角川書店から出した『人間パワースポット』は、僕の自伝のようなエッセイです。シナリオ・センターのこともいっぱい出てきます。僕がシナリオ・センターでいかに学んだかということが、具体的に書かれていますので、興味のある方は読んでみてください。

ではなぜ僕が「人間パワースポット」と呼ばれているかと言うと、僕と触れたり同じ空気を吸ったりすると、必ずいいことがある。自分で言ったんじゃないですよ、人から言われるんです。僕と一緒に仕事をすると、みんな実績が上がっていく。

例えば映画『リング』(1998年)に起用した中田秀夫監督、その頃は日活の助監督をしていて、『女優霊』という自主映画を1本作っただけでした。

でもその『女優霊』のビデオが、僕の知り合いのプロダクションの社長に渡り、たまたま僕が観た。それで『リング』の監督は彼にしようと提案しました。『リング』は東宝の正月映画として公開され、いきなりメジャーデビューして大ヒットしたわけです。

撮影中、中田監督が僕に「今住んでいる6畳の下宿は、雨漏りがして困る」と言っていたので、中田監督がその後作った『仄暗い水の底から』では、雨漏りのシーンがいっぱい出てくる(笑)。

でも『リング』が大ヒットして、その後『ザ・リング2』をハリウッドで中田監督が撮ることになった。製作費は70億から80億。そのギャラで、中田監督はビバリーヒルズに家を買いました。雨漏りする6畳一間からビバリーヒルズ! これも人間パワースポットのおかげです(笑)。

もうひとつ、人間パワースポットの本領発揮というというのを、皆さんにこっそり教えます。

16年前のことですが、NHKの番組取材でモンゴルに行きました。モンゴル相撲のチャンピオンのお父さんが、レスリングでオリンピックに出て、メダルを持って帰ってきた。モンゴル人でメダルを取ったのは初めてで、その人は国の英雄でした。

「息子が隣の体育館でモンゴル相撲をやっているから、見学に行ったらどうだ」ということになりました。すると、中学生たちがモンゴル相撲の練習をしていた。NHKのディレクターが「鈴木さん、中学生と試合やりましょうよ」と言うんです。

それで選手が出てきたけど、向こうはナメてるんです。日本から来た小説家なんてイチコロだろうと。相撲を取って、僕は勝ちました(笑)。2人目が出てきて、また僕が勝ちました。

すると次に、痩せて背の高い中学生が出てきて、大勝負になりました。なかなか勝負が決まらず、結局僕は負けたんです。

さて、その人は誰でしょう?

白鵬です。

その時、彼は中学1年か2年だったと思うんだけど、その後日本に渡り四国の高校に入って相撲をやるようになった……だから白鵬が優勝記録をどんどん伸ばしているのも、人間パワースポットのおかげということになるんですね(笑)。

小説書くにはシナリオ・センターが最適

僕が漠然と「小説を書いていければいいなあ」と思ったのは、小学校5~6年の頃。4年の頃から、詩を書き始めていました。職業として小説家になると決めたのは、大学に入る前。

そして大学では文学部に進学し、フランス文学を学んでいました。でも大学では実作はやらないので、実作がやりたくてたまらなかったんですね。

でも「俺は絶対に小説家になりたい。しかし、どうやってなればいいのかが全くわからない」。これは、皆さんも抱えているんじゃないでしょうか。大きな悩みですね。小説家になるルートは決まっていない。

とりあえずは新人賞を取ればいいと思うんだけれども、新人賞を取ったからといって作家になれるとは限らない。今は、芥川賞を取ってもプロの作家として成り立たない場合もあり、非常に厳しい。

例えば弁護士になるなら、試験に受かればいい。受かって司法修習さえ終われば、あとは弁護士になれます。しかし小説家になるには試験などない。どうやって勉強すればいいのか、さっぱりわからない。

男として、結婚したい女性は小学校5年の時に既に決めていました。初恋の女です。ずーっと僕の片思いだったんだけれども、彼女と結婚して僕が小説家になったら、彼女をハッピーにしてやらなきゃならない。

小説家になりたいという夢を追い続けて、ずっとうだつが上がらなかったらどうなるんだろう?という不安がありました。それで在学中に自分が作家になれるかどうかを見極めようと思って、やってきたのがシナリオ・センター。

小説家としてやっていける力があるかどうかを見極めるには、書くしかない。でもひとりで書いていてもダメなんです。人の目に触れさせないと。そして、人にどう評価されるか。

要するに、小説のライブ活動のようなものです。これをやる場として、シナリオ・センターが最適ではないかと考えたんです。

まず最初は、シナリオを書き始めました。基礎を出て本科に入ったのが、今から35年くらい前のことですが、上田睦子先生に教わりました。

20本の課題を最短の5ヵ月で駆け抜けていきました。シナリオ・センターに払う月謝を、1円たりとも無駄にしないというのが僕の流儀で、来るからには、絶対に書いてくる。月4本は必ず書いていましたね。

それから研修科は相川優子先生のクラスに進みました。相川先生は今、横浜教室で教えていますね。そしてこのクラスに入った時に僕は結婚しました。

小説家になれるかどうかはわからないけれども、見切り発車でもう行こう!と思ったんです。塾を経営し、いろんなアルバイトをやりながらでした。

相川先生と上田先生には、結婚式に来てもらいました。といっても、お金が無くてまともな結婚式は挙げられなかったので、公共のホールを借りて立食のパーティーです。

相川先生には「僕はまだ海のものとも山のものとも知れないけれども、スピーチを頼むよ。妻は俺が一体どうなるか心配しているから、先生から、鈴木光司は将来見込みがあると言ってよ。ウソでいいから」と脅しを掛けたんです(笑)。

先生は「わかったわよぉ」と、スピーチで「鈴木光司という男は、とても将来性がある」と言ってくれました。それを聞いてうちの妻は「そっかぁ」と安心して、めでたく結婚できたんですね。

子供が生まれて、絶対プロになる

結婚して2年目に長女が生まれました。妻は高校の先生をやっていたので、僕が子供の世話を一手に引き受けたんです。

シナリオ・センターにはまだ通っていました。当時は研修科を修了するとシノプシス科に上がったので、僕は森栄晃先生のシノプシスのクラスにいたんですが、そこでも20本書かなきゃならない。皆さんご存知の通り、シノプシスとは企画書なんですが、そこで僕だけ小説を書くようになりました。

森先生と出会うことによって、僕はシナリオ・センターに来た目的が徐々に果たせてきました。自分はこのまま小説家を目指していていいのだろうかという疑問は、ずーっとあったんですが、森先生が、直接は言わないんですけれども、「OKだよ」って言ってくれていると察知しました。

森先生は東宝のプロデューサーをしていたんですが、その当時文藝春秋社の辣腕編集者だった半藤一利さんに会わせてくれました。「この子はとっても見込みがある、小説が素晴らしい」と言ってくださって、それが27歳くらいの時でした。

赤ちゃんを抱っこして保育園の送り迎えをしながら、塾をやり、アルバイトをしながら、「この子が小学校に入るまでには、絶対に小説家になるぞ」と決心しました。

シノプシス科も5ヵ月で通過して、僕は作家集団に入りました。作家集団では課題もないし、期限もない。ここで作家デビューを目指すわけですが、最初は30枚、40枚、そこから50枚、60枚と、どんどん短編小説の枚数を増やしていきました。

インスピレーションがやってきた!

そして1989年の桜のシーズンだったと思うんだけど、右斜めの方向から、ものすごいインスピレーションがやってきました。「500枚ですごく面白い小説が書けるぞ」というインスピレーションでした。なぜか500枚で、画期的に面白いものが書ける。ストーリーはまったく教えてくれない。

とりあえず、僕はワープロの前に座って書き始めました。プロットやあらすじは一切決めずに、ダーッと書いていったんです。自分でも10枚先の展開が分からない、この先どうなるのか知るためには、自分が書くしかない。

自分がどのような小説を書くのか、その楽しみで書いていたようなものです。誰にも催促されなくても、ドーッとブルドーザーが行くように書いていきました。

森先生のクラスで毎週読んだんだけれど、1回に読む枚数がペラで60枚くらい。他の生徒は発表する時間がないから、たまったもんじゃない(笑)。ちょっと不公平だったかなと思いますが、あの当時はなんでもOKでした。

僕はたぶんセンターで小説を書き始めた最初の人間ですね。シナリオライターを養成する場所で、なぜか小説を書き始めて、読む枚数も勝手にどんどん増やしていき、たった3ヵ月で書き上げた。

皆さんもご存じの通り、ゼミ形式というのは紙芝居みたいなもんです。読みながら、みんなの反応を見るわけです。今自分が読んでるのが、みんなにウケてるかどうか、ダイレクトにわかる。「今日もウケた」というのを次週に書くエネルギーに換えて、3ヵ月間で書き上げたのが『リング』なんです。

そうやって500枚を書き上げることができました。3ヵ月で500枚の小説を書き上げたのは、後にも先にも『リング』だけです。

あれほど費用対効果のいいものはないです。今年の11月には『リング3』がハリウッドで公開されます。26年前にシナリオ・センターで書いた原作が、今でも映画化されている。自分でも、書いていた当時は、まさかこのような展開になるとは思わなかったですね。

『リング』で逃して、『楽園』で受賞

『リング』を書き上げた時、森先生は「これは素晴らしい」と太鼓判を押してくれましたので、僕は角川書店の横溝正史賞に送ったんです。横溝正史賞は、当時賞金が1000万円。あの頃はまだ高額賞金の文学賞があったんですね。

僕は1~2年で必ずプロデビューできると踏んでいたので、塾の看板も下ろして、執筆の時間を増やせるよう時間配分していました。

横溝正史賞に応募した3ヵ月後、角川書店の編集長から「お会いしたい」と電話がかかってきました。僕はオートバイを飛ばして、角川書店の本社に行きました。

編集長は「『リング』は素晴らしい。画期的です。最終候補作3本の中の1本になりました。編集部としては、これがイチオシです」と言ってくれました。

それを聞いて、これはもう受賞が決まったようなもんだと。1000万ゲットした! これで作家デビューが決まったようなものであると思いました。

そのとき長女は3歳、妻のお腹の中には2人目の子どもがいるという状況でした。そして1990年2月2日の選考日を迎えました。電話の前でお待ちくださいと言われていたので、朝からドキドキしながら待っていましたが、時間になっても電話がかかってこない。

なんとなく嫌な予感がしました。選考が揉めているんじゃないかと。やっと電話がかかってきて受話器を取ったら、落選の通知でした。

取れると思っていたものがスーッと落ちていく。奈落の底に叩き落される感覚でしたね。皆さん、『リング』を読んだり見たりして「とっても怖かった」と言ってくるんだけど、俺はあの時の方がもっと怖かった(笑)。恐怖のどん底でした。

本当に落ち込んで、心が折れそうになりました。しかし、ここで折れたままだったら、我が家の家計は、2人目の子供が生まれるというのに大ピンチ。僕に何ができるかというと、新しい意欲で新しい小説を書くことだけです。

どうにか2~3日でモヤモヤを吹っ切って、新しい小説『楽園』を書き始めました。そしてまたシナリオ・センターの森先生のクラスで発表し、500枚を書き上げました。

ちょうど新潮社が賞金500万円の「日本ファンタジーノベル大賞」を募集していたので、それに送ったところ、2ヵ月後に新潮社の編集長から電話が掛かってきました。「『楽園』が日本ファンタジーノベル大賞最終候補作5本の中の1本になりました」。

新潮社は社名の通り慎重な会社で、「最有力」とか、そういう余計なことは言わなかったです(笑)。そして『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞をいただけることになり、ようやく作家デビューしました。

人生を賭けて見極めるしかない

大学4年の時から『楽園』でデビューするまでシナリオ・センターにいて、どうにか作家になることができたわけですが、その思いをどうやって皆さんに伝えればいいのか。

人生は、どうやって折り合いをつけるかということなんです。小説家になろうとする時、ここが非常にむずかしいところ。後輩である皆さんの気持ちはすごく良くわかる。

何年か前にある雑誌で小説の添削をやっていたことがあるんですが、作家志望の男性から、手紙が添えられていました。「鈴木光司先生。読んでみて、僕が小説家になれるかなれないか、教えてください。なれないなら諦めます」と書いてありました。

小説家になれるなれないを教えてくれる人間なんかいません。いたら、俺だって早く聞きたかった。例えばカール・ルイスが中学校くらいの時に、「俺は100メートル10秒の壁を破ることができるんだろうか。できるとわかっていたら教えてください、一生懸命努力しますから。

できないんだったら、サッカー選手とか他のことをやります」と言ったとしたら? 最初からわかっていたら、誰も努力しないわけです。

僕は答えようがないので「君が人生を賭けて見極めていくしかない。見極めるためには他人の言葉をもらっちゃダメだ。君が行動して何らかのアクションを起こすことだ。数年かけなければ絶対に見極めることなどできない。

その時に必要なのは、仲間たちだよ。いい講師だよ。これがなかったら、自分の力を判断することは絶対にできない。独りだけで書いていたら、自分で悦に入って『今日は俺、良い小説書いちゃったぜ』という気分になるかもしれない。けれども、他の人が読んだら箸にも棒にもかからないものかもしれない」。

皆さんも、このシナリオ・センターという場所を、そのように使ってほしい。受け身的じゃなく、自分流のやり方でこの場を使ってほしいです。

体験をもとにしたリアリズムの追求

作家として、これだけは負けないと思うのは、肉体感覚のある文章かなと思います。それとリアリティ。僕は、実はファンタジーが苦手なんですよ、日本ファンタジーノベル大賞をもらったけど。ホラーも全然ダメで、好きじゃない。

自分の中で最高の出来だと思っているのは、『鋼鉄の叫び』という小説です。特攻隊の隊長が、自分の部下を全員生還させる物語です。ゼロ戦のファイターの気持ちを知るために、調布飛行場まで行って自分で操縦かんを握るところまで体験しました。

その体験が細胞の中に刻み込まれ、『鋼鉄の叫び』の中にリアルに描かれています。生半可な迫力じゃない。『永遠のゼロ』どころじゃないです(笑)。自分の体験を大事にして、リアリズムを追求する。これが小説家として誰にも負けないところだと思っています。

本科と研修科で合計50本を書いたんですけれど、シナリオは必ず映像を思い浮かべて書くわけですね。これによって、小説を書く時にも映像をクリアにして書く習慣が付いた。これは良かったと思います。僕の小説を読んだ人は、「映像が浮かんでくるようでした」と言ってくれる。

僕にとって非常に嬉しいことだし、自分でもそうなるように気を付けている。僕の頭の中で明確な映像が浮かんで、それをデッサンしているような気持ちで小説を書いています。

小説家は、芝居で言ったら演出家と脚本家の2つの役を1人で果たさなければならない。頭の中に人物を思い浮かべたら、その演出もしなきゃいけない。

頭の中の映像がはっきりしていればいるほど、相手に伝わりやすい。ボヤッとしてたら伝わらないですね。他の人の小説を読んでいて、「この作者は映像を浮かべていない」というのはすぐにわかります。このように、シナリオを小説に生かしてきました。

小説を書く前段階においては、一体何が必要か。きちっと考えることなんです。文章を書く前には、深く考える態度が絶対に必要になる。にもかかわらず、これを疎かにしている人があまりにも多い。

あらゆることを、ちゃんと考えてほしいんです。
今までどうですか?
疎かにしていたんじゃないかな? 

僕は大学の時にフランス文学を専攻すると同時に、哲学も深く学びました。哲学の基本は、常に疑問を抱くこと。心の中に常にクエスチョンマークを持つこと。良い疑問を浮かべることが素晴らしい解決策につながる。

そして疑問が浮かんだ時に、その疑問は自分の思考力で解けるのかということも、考えてみてください。解けるものは自分で解く。自分ではいかんともしがたい疑問は、それ以外の、人に聞くとか専門の本を読むといった方法を考えるしかない。その見極めも大事になってくる。

その時に、風潮とか世間一般で言われていることを信じては絶対にダメ。自分の頭を使って考えること。風潮に流されたら、画期的な小説は絶対に書けません。

固定観念を変え先入観を捨てる

僕の小説を原作として色々な映画の企画が来るんですけれど、監督やシナリオライターに来てもらってアドバイスをします。

『リング』を作った時にも、僕は中田監督と一瀬隆重プロデューサーに注文を出しました。『リング』はホラー映画だけれども、「血は一滴も出すな」「幽霊は出すな」「どこかで見たようなシチュエーションは絶対にやるな」、この3つです。

「どこかで見たような~」というのは、小説で言ったら「手垢のついた表現」、例えば「A君はその知らせを聞いて飛び上がって喜んだ」みたいな表現ですね。こういうのはダメ。

『リング』ではこの3つの縛りを与えたわけですが、「幽霊は絶対に出すな」と言ったので、脚本家は頭をひねってテレビの中から出してきたわけです。

読んで、「これはいいじゃないか」と思った。厳しい制約を与えると、一生懸命工夫するんです。だから今でも僕はそのような制約を与えるんです。

今やろうとしている映画に対しても、「血は一滴も出すな」「幽霊は出すな」「貞子の二番煎じは絶対に止めろ」「これまでに見たこともないようなものを作れ」。君たちのやるべきことはそれだ、妥協するんじゃないと。

『リング』はホラー小説と言われているけれども、僕はホラー小説を書いたつもりは全くない。原作を読まれた方はわかると思うけれども、別に幽霊が出てくるわけじゃないし、論理的な話なんです。

角川書店の編集長から『リング』の続編の『らせん』を書けと言われた時、医学的な知識を投入して、科学的なバックボーンを克明に考えて書いていきました。そして続く完結作の『ループ』に至っては、物理とか人工生命の話を科学的なバックボーンで明確にさせました。

どうしてか。ホラーは一般的には非科学的なものと言われています。ところが、「ホラーでありながら徹底的に科学的」という、相反する要素をミクスチャーさせたことによって画期的な作品になった。これまでの固定概念を変え、先入観を捨てたということです。

皆さんがやらなきゃいけないのは、そういうことです。そこまで心して書かなければ。「世間ではこういうのがいいと言われてるよね」という予定調和的なところにハマってはダメです。そんなことしたら、絶対にいい小説は書けません。

僕は、読者の首根っこを掴んで自分の本の中に引っぱりこんで、傷口があったらそこに塩を塗りこんで、2~3回ひっぱたいて、放り出す。そのくらいの心構えで書いています。甘い情緒には寄り添いません。

それくらいしないと、固定概念や先入観を捨てることはできない。僕が若かった時に読んで素晴らしいと思ったのは、それまで「こんなもんだろうな」と思っていた先入観を根本から崩してくれた本です。読書の面白さが出てきて、カタルシスを得ることができるんです。

非常に難しいことだけれど、トライしてもらいたい。小説家を目指すならばやってもらうしかない。その域に到達しなかったとしても、必ず良いことはあるので、ぜひやってみてください。

自分の世界観にお客さんを引き込むコツは、書かれた文字を介在させて相手の頭の中にイメージさせること。みんな、『リング』を読んで、めちゃくちゃ怖いって言うんです。

だけど、何も出てきませんよ。読者の想像力を刺激するんです。読者の頭の中で勝手な妄想が始まるように持っていく。これが出来ると読者はスッと小説の中に入っていきます。

極端な話、文字を媒介にして、読者が臭いを感じたり、音楽が聞こえてきたり、風景が浮かんだり。そのような言葉を、ネチネチと選んでいる。キチンと選ばないと、流れて終わっちゃう。これもセンスとしか言いようがないので、むずかしいですね。

秋から連載が始まる『ユービキタス』

作り立てホヤホヤの新刊『樹海』が、文藝春秋社から4月に発売になりましたが、今はもう次の小説に取り掛かっています。

本当は角川書店で、すぐにも連載を始める予定だったんですが、別の映画の話が突如浮上したため、一旦それは置いてあります。『ユービキタス』という小説です。ユービキタスとは、遍在するとか、どこにでもいるという意味。小説の舞台は、メキシコやアメリカです。

なぜ日本がほとんど出てこないのかというと、僕の本はアメリカであまり売れていないんです。ヨーロッパではフランス語訳やロシア語訳、イタリア語訳、ドイツ語訳なども出ていて売れているんですが、なぜかアメリカでの英語訳が売れないんですよね。

アメリカ人は単純です。『リング』『らせん』も全部翻訳されているけれども、『リング』は横浜から始まって足利で終わる物語。登場人物はすべて日本名。山村貞子とかね。アメリカ人はそういうものは全然読まないんです。映画『ザ・リング』は大ヒットしたんだけれども、本は売れない。

これはどういうことだろうと思って、2008年に書いた『エッジ』ではアメリカを意識しました。冒頭シーンはアメリカ・サンフランシスコの断層があるところ。ハワイのマウナケア天文台やスタンフォード大学の研究室が出てくる。ラストもカリフォルニアに持っていきました。

この『エッジ』は、2012年に英語翻訳されて、2013年にシャーリー・ジャクソン賞という文学賞を取りました。アメリカで始まりアメリカで終わる物語で、アメリカ人もいっぱい出したら、ちゃんと評価してくれた。とてもわかりやすい人たちだなと思います(笑)。

『ユービキタス』は、全部アメリカ大陸を舞台にしてやろうと思っています。戦略です。ハリウッドで映画化しやすいように英語のタイトルにして。舞台は中南米で、アメリカ国防総省が絡んでくる。

何を描くかというと、世界最大の暗号文章と言われている、ボイニッチ手稿。わけのわからない文字とイラストが描かれていて、1500年代に書かれたものではないかと言われています。ローマ近郊の教会で発見されました。

ギリシャ語とかラテン語に近いのではないかと言われているけれども、誰も読めない。これまで暗号解読者のプロが何人もトライしているけれど、何が書かれているかさっぱりわからないという、230ページの羊皮紙の本です。

誰が何の目的で書いたのかわからないまま、イエール大学の図書館に保管されています。今はネットで検索すれば全ページが出てくるから、誰でもプリントアウトすることができます。今、僕も角川書店も、その230枚を持っています。

誰も解読したことのないこの暗号を、僕は小説の中で解こうと考えています。大体どのような内容かというのはわかってきたので、それを小説の中に盛り込もうとしています。答えは言えないので、小説が出来た時にどうぞ読んでください。

『リング』『らせん』『ループ』『エス』『タイド』のリングシリーズ5冊は、すべて暗号解読の物語です。今回のは最大級の難問で、徹底的に論理的に解いて、知的アドベンチャーを加える。マヤ文明がなぜ滅んでしまったのか、世界の謎に挑むのが、この『ユービキタス』です。9月から連載が始まります。

映画『海難1890』の原作本

※You Tube↑ 東映映画チャンネル 海難1890 ダイジェスト特別映像PART2

連載が9月に延期になった理由ですが、日本とトルコの合作映画『海難1890』が12月に公開されるんですが、『海難1890』の原作本を書くことになったんですね。

皆さん知ってますか。1890年、和歌山県の串本沖で、トルコの軍艦エルトゥールル号が座礁して沈没したんです。乗員約650人の中の69人を日本人が救って、手厚く看病して、軍艦でトルコに戻してあげた。そのことにトルコは恩を感じ、トルコは日本のことが大好きなんです。ものすごい親日国です。

1890年のエルトゥールル号海難事故が、相当な予算を投入した日本・トルコ合作映画となって公開されます。そうした史実があるけれども、それについて書かれた小説がないということが、なんと今年の1月くらいになって初めてわかった。

そこで東宝が小学館に「誰か原作小説を書ける人いないか?」と打診。僕の友だちの小学館の編集長が、「海のことを書けるのは鈴木光司しかいない」と依頼してきたのです。

その大スペクタクルの小説化は、急きょ決まったことなので、今度、串本の沈没地点に行ってきます。遺品を海底から拾い上げたダイバーに話を聞いて取材します。僕は自分の船で串本沖を何度も通過していますから、あの辺の海域についてはよく知っています。

このように、小説家はいろんな仕事があります。僕は明後日、浜松にある新設高校の式典に出なきゃいけないんだけど、なぜかというと、そこの校歌を作ったんです。大河ドラマの音楽を担当したこともある作曲家の友達と2人で作詞作曲して。だから、式典でスピーチします。

小説家は、ただ小説を書くだけじゃない。地方に行って講演したりします。NHKでもいろんなことをやらされました。僕は自分で「文壇の松岡修造」って言ってるけど、「文壇の猿岩石」とも言ってる。

猿岩石のように何でもやらされる。ある時は海に潜ってエビを取って来い、モンゴル相撲の選手と相撲を取れとね。

小説家は体験、経験が命です。自分で体験したことが小説の種になる。芽を出させて、いい養分を与え、大きな枝ぶりにして、綺麗な花を咲かせる。最初の種は必ず経験ですから、いろんな経験を積んでみてください。

作家は「これであらねばならない」と縛られては、絶対にダメです。何でもできると考えてください。そしていろんな体験をすれば、必ずいい物語に発展していく。

小説家になるということは、日々、そのような態度をとることです。生きる態度。品行方正を目指してはいけません。ワイルドでいてください。生真面目な人間が、ダイナミックな小説を書けるわけがありません。羽目を外してください。

今、出版界は非常な不況で、作家を職業として成立させるのは、実は至難の業です。しかし文章を磨くこと、小説やシナリオで文章表現をするということは、たとえその道でプロになれなかったとしても、必ず人生で役に立ちます。

文章を書いて相手に理解してもらう、相手を納得させることができたら、とてつもない武器になる。ほとんどの仕事はコミュニケーションで成り立っていますから、書く勉強が無駄になることはない。

今勉強していることは必ず皆さんの力になると信じて、進んでいってください。僕はシナリオ・センターの先輩として、心から応援しています。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部「新井一生誕100年機縁シリーズ~鈴木光司さん編~」
ゲスト:鈴木光司さん(小説家)
2015年4月6日採録
次回は11月26日に更新予定です

※You Tube
シナリオ・センター
小説家 鈴木光司さんの根っこ・前篇【Theミソ帳倶楽部】より

小説家 鈴木光司さんの根っこ・後編【Theミソ帳倶楽部】より

プロフィール:鈴木光司(すずき・こうじ)

1990年『楽園』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞し作家デビュー。1991年に刊行された『リング』が圧倒的に支持され、その続編『らせん』で吉川英治文学新人賞を受賞。2作に続く『ループ』『バースデイ』シリーズの他に『仄暗い水の底から』『生と死の幻想』『家族の絆』『シーズ ザ デイ』『神々のプロムナード』などがある。また小説以外にも『情緒から論理へ』『選択の時代 ~言葉を与えるために』『人間パワースポット 成功と幸せを“引き寄せる”生き方』など多数。

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