マンガシナリオの黎明期
私がマンガの原作を書き始めたのは、今から30年くらい前のことです。
近年は出版社と話をして、こういうマンガが世の中に必要じゃないかというところから、マンガを作って雑誌にしたり、単行本にしたり、ある時は出版社の依頼で連載マンガのプロデュースもしたりしています。
それから株式会社スパイスコミニケーションズというプロダクションの経営をしております。この中に編集部がありまして、編集員が何人もいて、マンガ雑誌を作っております。
この会社は広告会社でもあり、新しい広告の中にどういうマンガを入れていったらいいかとか、業界間をつなぐコラボレーションの実験作もやっています。マンガの可能性を試そうと、新しいフィールドの開拓もしています。
私の著作は2冊あり、5年前に書いた本は『~77の法則』ということで、「こういう風にした方がいいよ」ということを箇条書きで並べました。「法則」が先で、数学的なアプローチになっているのですが、今回の2作目は『感動をつくる~』ということで、どちらかというと文学系の仕切りで書いた本です。
1作目で書けなかったことを、2作目にはかなり盛り込みましたので、濃い内容になっていると思います。
マンガ原作の30年間の変遷を見てきましたが、昔はマンガのシナリオの書き方を教えてくれる人はいなかったので、編集者と一緒に考えていきました。
編集者もわからないので、シナリオライターの私に振ってくるわけです。私も研究して、新しいマンガを作るために色々本を読み、シナリオにして出すんですが、漫画家のところに持っていくと見向きもされなかったりして、そういうやりとりの中から生まれてきたのが、この2冊の本です。
でもこの本の前には様々な失敗とものすごい数の試行錯誤があって、私が始めた時は手書きでした。今の方々にはビックリかもしれませんが。ワープロはその1年後か2年後に出ました。
当時のNECの「文豪」は専用スタンドとイスを含めるとタタミ1畳くらいあって、上にプリンター、下にキーボード。1枚プリントアウトするのに3分くらいかかる。原稿をどういう書式にしていったらいいのかということも、私のやり方を出版社に提供しました。
私の原稿は縦20横40の800字詰めで、あとから色々書き込めるように余白を取ってあります。FAXで送る時に枚数が少ない方がいいので、800字詰めにしました。
漫画で24ページになることを想定すると、シナリオは800字詰めで大体11~12枚。案外短いですが、この中にすべてを詰め込んでいく。1回で読者を納得させる面白さが出ていて、かつ腑に落ちる何かが入っていないとダメです。当時、出版社ではこのシナリオの形がスタンダードになっていて、新しいライターにはこの形で書いてくれと言っていたようです。少しは貢献したかなと思っています。
私は会社勤めの傍ら、7~8年もの間、出版社から依頼を受けてマンガ原作の仕事をするという、二足のわらじ状態が続きました。『ビックコミック』系の大人の雑誌は隔週で、2つ連載を持つと月4本。プラス、月1本の連載で計5本。
サラリーマンとして勤めながら月5本の連載を持つという、すごいハードな生活をしていました。それも会社にバレないように原稿を書くという……。私も若かったし、出版業界にもそういう無茶をする人がいっぱいいる時代でした。懐かしく思い出しますが、非常に面白かったですね。
その毎月5本書いている時に、石ノ森章太郎先生との仕事が始まり、会社を辞める大きな決心をしました。ここで聴いていらっしゃる皆さんの中にも、いつか会社を辞めて文筆でやろうと決心しているかたがいると思います。私は会社をやめてすぐにマンガのプロダクションを作り、現在に至ります。