「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
今回は心理描写について。「心理描写って書くとダラダラしちゃう…」と頭を悩ましているかたも多いのでは?おそらく、ダラダラ感じてしまうのは映像的ではないからなのでは?映像的に書いてみるとガラリと変わりますよ。では、映像的な心理描写とはどんな文章か?向田邦子さんの小説を引用しながら考えていきましょう。
どのように描写すれば小説の文章として通用するか
小説の「描写」には、主に「情景描写」「人物描写」「心理描写」があると述べました。
この中でもやっかいなのは3つ目の「心理描写」かもしれません。シナリオの基礎講座では、最初にシナリオと小説の違いについて学びます。
シナリオは映像の設計図としての役割があるために、ト書は必要最小限で簡潔に、目に見える(映像にできる)ことしか基本は書けません。
“あれから30分経ったが、宏は一歩も動いていない。”といった時間経過。
“宏の身体はまるで岩のように固かった。”といった過剰な形容詞表現。
さらに“宏は婚約者の由美が現れるのを待っていた。”といった人物関係や目的。
そして“宏の由美への愛しいという思いは疑いに満ちようとしていた。”というような心理描写。
小説の地の文ではこうした文章で、宏が婚約者の由美を待っている姿であったり、その心情を書いてしまっても構わないわけです。
問題はどのように「描写」をすると、小説の文章として的確か、通用するかということでしょう。
特に「心理描写」として“宏は現れない由美のことを思っていた。”と書いても何ら問題はないのですが、それではあまりに工夫がなさ過ぎます。
「心理描写」も映像的に書ける?
優れた小説の文章、描写は「情景描写」や「人物描写」をしているうちに、その「心理描写」も読者に伝えていたりします。今回も引用をします。名脚本家から小説家になり直木賞をとった向田邦子の短編『花の名前』から。
台所でじゃがいもの皮を剥いていた。去年とれた古いいもは、ところどころに芽をつくっている。包丁の先を使ってえぐりながら、はじめて母に包丁の持ち方をおそわったときのことを思い出した。あのとき剥いたのも、たしかじゃがいもだった。
「しゃがいもの芽には毒があるんだよ」
薄荷と食い合わせると死ぬ、と教わったような気がする。ライスカレーやコロッケのおかずを食べながら、昼間そとで薄荷のドロップを食べたことに気がつき、どうしようと胸がつぶれる思いをしたのは、いくつのときだったのか。
茶の間で電話のベルが鳴った。
常子はやさしい響きに満足し、機嫌のいい声で返事をしながら、小走りにかけ出して受話器をとった。
弾んだ声で名乗ると、
「奥さんですか」
はじめて聞く女の声だった。
「どなたさま」
しばらく沈黙があって、
「ご主人にお世話になっているものですが」
こんどは常子が黙る番だった。
まさかとやっぱり。
ふたつの実感が、赤と青のねじりん棒の床屋の看板のように、頭のなかでぐるぐる廻っている。
少し長めの引用ですが見事ですね。主婦常子の日常の描写と感覚であったり、性格も動作と合わせて描写をしながら、突然(夫の愛人から)の電話。
それを受けた時の「心理描写」も、実に巧みな映像的な比喩表現を駆使して描かれています。これぞ小説の文章表現です。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2017年2月号)より
※要ブックマーク!これまでの“おさらい”はこちらのまとめ記事で。
▼「柏田道夫 シナリオ技法で小説を書こう スキル一覧」
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