場面と描写、シナリオと小説をどのように書き分けているか?
向田邦子の名作『隣りの女』の、シナリオと小説の表現の違いを考察しています。
シナリオのトップシーンは、主人公、時沢サチ子(28)(桃井かおり)が、ゴミ袋を持って、ゴミ収集車を追いかける場面からで、副主人公のアパートの“隣りの女”田坂峰子(38)(浅丘ルリ子)や、脇役たちも登場させるという人物紹介をアクションと生活感を見せる入り方になっています。
小説はサチ子が内職としてミシンを踏みながら、隣の部屋から聞こえてくる峰子と男の会話を、聞きたくないと思いながら、聞き耳をたててしまうサチ子の心理描写から入っています。それも、
ミシンは正直である。
機械の癖に、ミシンを掛ける女よりも率直に女の気持をしゃべってしまう。
という絶妙な一文から。
で、このミシンをかけているサチ子の住むアパートの描写を短く。
二DKのつつましいアパートである。居間兼食堂の六畳の、ちょうどミシンを踏んでいるサチ子の背にあたる白い壁に、泰西名画がかかっている。勿論複製である。声はいつもそのうしろから聞こえてくる。
いきなり激しい音がした。ガラスの器かなにかを壁に叩きつける音らしい。
シナリオはト書で、
“二DKのつつましい部屋。”と、“複製の泰西名画がかかった白い壁。向う側から、ガラスの器かなにかを壁にたたきつけたらしい、激しい音。”
というように簡潔です。そこから三宅(火野正平)と、峰子の痴話喧嘩の声と、聞き耳をたてるサチ子です。
シナリオは、
三宅(声)「ふざけんじゃねえよ!」
峰子(声)「やめなさいよ!」
というように、人物指定でセリフが書かれていて、交互にやりとりとして書かれています。
小説は“男と女の争う声がそれを追って聞こえた。”という地の文から、会話として書かれていません。
「ふざけるなよ」
「シオドキってのはどういう意味だ」
「誰なんだよ」
「ぶっ殺してやる」
これは男の声である。
「乱暴するなら出ていってよ」
「そんな人、いないわよ」
「なにすンのよ、離して」
女の声も激してくる。
もみ合う気配がして、
「ガラス、あぶないでしょ」
女の声が甘える調子になってゆく。
サチ子はミシンを離れ、壁ぎわに近づいて耳をすませた。
で、少し甘えに入るセリフを書いて、「峰子」「ノブちゃん」と互いを呼ぶ声が聞こえて、ようやく人物の説明です。
峰子というのは、隣りの部屋に住むスナックのママの名前であり、ノブちゃんはこの間から通ってくる現場監督風の若い男である。太いしわがれた声は三日にあけず聞いているのですぐ分かる。
二人の荒い息づかいが喘ぎになり、やがて壁はかすかに揺れはじめた。
シナリオはセリフのやりとりをしっかりと書いて、二人の喧嘩から愛し合う音への転換が書かれていますが、小説は逆に説明を的確に入れながら、サチ子視点での描写で、簡潔に書かれています。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2020年3月号)より
※こちらの記事「脚本と小説でトップシーンが違う『隣りの女』」も併せてご覧ください。
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小説家・脚本家 柏田道夫の「シナリオ技法で小説を書こう」ブログ記事一覧はこちらからご覧ください。比喩表現のほか、小説の人称や視点や描写などについても学んでいきましょう。