人災
シナリオ・センター代表の小林です。今日は七夕、なのに山陰地方、鳥取、島根では、半日で7月の雨量を超えるという大雨だそうです。
織姫・彦星は、なんでこんな雨の季節を1年に一度の逢瀬の日にしたのでしょう。
それにしても、熱海も再び土石流の危険がと言われていますし、またまたあちらこちらで災害が起こるのではないかと心配です。
今回、熱海市は避難所をホテルにしました。久々に自治体のいい判断ですね。どの地域でもやっていただきたいです。
コロナ感染も心配ですし、個室でゆっくりできることは人間の生活として大切なことです。
家が流されたり、お身内と連絡がつかなかったり、避難せざるを得なかった方々は、それだけでもご心痛なのですから、できるだけ快適な環境を作ることこそ、政を司る人の役目だと思います。
今は特にコロナ禍でホテル・旅館も空いていて一石二鳥だと思いますが、むしろ常にホテル・旅館は災害時は避難所として使わせていただけるようなシステムにしておけばいいのではと思います。
今日の東京感染者920名、専門家の皆さんが心配されていたことが、現実になりつつあります。
オリンピックは即刻中止にしましょう。
無観客でオリンピック貴族たちだけが優雅に観戦(感染?)というのもおかしなものですし、選手村からも感染者が出ているし、世界中でまた感染が広がっているのですし・・・その上日本各地で災害が起こっている今グズグズしている暇はありません。
何故決断ができないのか、本当に悲しくなるほど情けないお上です。
わずかなオリンピック貴族の横暴から、大事な国民の命をコロナから、災害から守って欲しいものです。守れないとしたら、それは人災ですよ。
橋田寿賀子さん
月刊シナリオ教室7月号では、橋田賞新人脚本賞が掲載されています。
今年は佳作お二人、「ハゼと私とホタテと」藤田知多佳さん、「スミレの道標」山脇さやかさん。
最終の16編に残られた方のうち、シナリオ・センターで学ばれた方が11名もいらっしゃいました。
皆さんの頑張りが伝わってきて、本当の嬉しいです。
でも、今年も去年と引き続きコロナ禍のために授賞式は行われず、とても寂しいですが、それ以上に橋田壽賀子先生ご自身がいらっしゃらないことが残念です。
平成4年第1回目の橋田賞授賞式からお伺いしているので、30年近くになるのでしょうか。
新人賞のみならず出身ライターの橋田賞受賞もあり、欠かさずどなたかが受賞させていただいていたので、毎年5月10日の橋田先生のお誕生日に元気なお顔をお拝見し、天然ぶりのお話しを楽しく聞かせていただいていました。
シナリオ・センターで学ばれていた山形上山温泉の「日本の宿 古窯」の女将(現副会長)佐藤さんも、橋田先生と深い交流をお持ちです。
亡くなられた時に各新聞でコメントや追悼文を書かれていらっしゃいました。
NHKの朝ドラ「おしん」の撮影時に古窯に泊まられたことがきっかけで、40年以上のお付き合いというのは、佐藤さんからお聞きしていたのですが、橋田財団を創られた時にお力になられたのが佐藤さんだったということを初めて知りました。
橋田先生が、ある日佐藤さんに「実は恵まれない脚本家に私のありったけの財産を分けてあげたい。財団法人を作り、毎年若い人にいくばくかのお金を差し上げて育てたい」と相談されたのだそうです。
そして、今日まで続けて下さったわけですが、「のちに先生は『夫の死後、引退を決めて楽をしようと思ったが、財団に全財産を費やしても足りなかった。だから書くのは止められなくなった』と話した。そして渡る世間は鬼ばかりが誕生した。」佐藤さんは書いていらっしゃいます。
「歯に衣を着せぬ物言いをされますが、とにかく人助けが好きで義理堅い人でした。自立する女性を励まし続けた、私の人生の先生です」とも。
橋田先生のご遺志はこれからも続いていかれるようですが、応募する私たちは、橋田先生の設立時のお気持ちを、また財団を維持するために95歳で亡くなるまで描いて下さっていたお力を、ありがたく受け止め、橋田先生をうならせるような作品を描いていきたいものです。
百か日を迎える今月、改めて橋田先生の偉業と遺された者へのメッセージを受け止めて、シナリオ・センターもたくさんの脚本家を世に出していきたいと思います。