コロナ禍
シナリオ・センター代表の小林です。山陰山陽とも大雨で、熱海付近もまた今日降るとかで、これ以上災害が広がらないことを祈るばかりです。
コロナも再び蔓延の兆しで、災害と二重苦三重苦になりそうな今、こんな時に平気でオリンピック開催をするなど正気の沙汰とは思えません。
先日お話ししたコロナで重篤になった親友の娘は、お蔭さまで昨日退院してほっとしたのですが、それが完治したからではなく、肺もまだ白いけれど、病床と看護の人出が足りないので通院での治療となったとか。え~と思います。
ワクチン接種がうまくいけばと菅首相は言っているけれど、どんなに急いでもオリンピックには間に合わない、ワクチンがすぐに効くわけでもないし、オリンピック関係者にもコロナ感染者が出てきているし、どうするつもりなのでしょう。
アスリートの皆さんにはまったく罪はないのに、罪悪感を持つ方もいらっしゃり、こんなに盛り上がらないオリンピック開催に固執するIOCも日本政府も東京都もJOCも、どこをみているんだろうと思います。
何故、パンデミックでも緊急事態でも延期も中止もできないのかを、ちゃんと理由を教えて欲しいです。
才能
コロナ禍で家と会社の行き来がほとんどシナリオ・センタースタッフ、体力維持を考えてミズノのスクワット椅子を買いました。
みんなで交代でのっているのですが、個々の違いが見えてホントに面白い。
体重が少なすぎて沈みこまない人(うらやましい!)、座っただけで動けない人、即筋肉痛になる人、軽々と色々なやり方をこなす人と色々です。
私はというと、ちょっと自慢。毎週トレーニングを続けているので、スクワットはまったくOKです。
なのですが、ちっとも肥満解消にならないのが難です。(笑)
全てに通じますが、続けていくことが大事なので、スタッフのみんなが飽きずに続けて、体幹を鍛えてくれたらいいなと願っています。
そう、何でも続けることが大事なのです。
ダイエットひとつ続かない私では説得力はありませんが、でも、でもです。
「表参道シナリオ日記」は、2006年か15年続けているし、シナリオ・センターだって51年続けていますから。どうだ!(笑)
では、なぜ続けられるものと続けられないものがあるのかというと、たぶん「好き」に尽きるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
アスリートが苦しい辛い練習に耐え続けるのは、競技が好きで、結果を出すことはもっともっと好きだからではないでしょうか。
創作をされる方は、シナリオであれ小説であれ好きだからこそだと思います。
趣味として書く楽しさもありますが、やはり世のなかに認められたいですね。
もしかしたらある意味アスリートよりもしんどいかもしれません。
努力が実らない場合があるというのは共通しています。
ですが、アスリートの方は100m走なら9秒台をだせば、トップを走れば結果がみえます。
誰もが認める物差しがちゃんとあります。
ところが創作は、いくらいいものを書いても、結果が見えない、認められないこともあります。
創作には100%の正解がないからです。
その時は認められなくても、ゴッホのように後世認められることはあります。
でも、やっぱり書いているとき認められたいですよね。(笑)
では、どうすればいいのか、私のわずか50年のシナリオ・センターでのことだけでの経験だけですが、このふたつかと思います。
「表現することが好き」という気持ち+他人への「想像力」。
「好きこそものの上手なれ」その反対に「下手の横好き」というのもありますが、どちらも好きであれば続くのですから、それはそれでいいのです。
その時に大事なのは、想像力。
ほとんどの方は、他人に何かいわれたらとかどう見られているかとかを気にしてしまいます。
それで落ち込んだり、やめたくなったりします。
でも、本当に必要な想像力とは、他人の自分に対する気持ちを推しはかることではなく、もっと広い視野で、なぜこう見る人がいるのだろう、こう考える人がいるのだろうと深堀りできる力のことではないでしょうか。
「猫弁」等の売れっ子小説家大山淳子さんは、ゼミ生の時に、ゼミで、お仲間に言われた感想、意見、講師の講評を受けとめて、もう一度言われたことを全部とり入れて書き直しをされていたそうです。
言われたことをぜーーーんぶ入れこんでみると何がわかりにくかったのか、何が悪かったのかがわかり、反対によけいに改悪になったりもしたと思うのですが、そこで始めてご自分の作品を客観的に俯瞰で見ることができたのだと思います。
創作には100%の正解がないからこそ、自分の思うようにも書けるのですが、客観的な視点を持って書くことで他人の共感を呼ぶことができるのではないかと思います。
才能というものがあるとしたら、「続ける精神力」かもしれません。
自分を信じて、楽しみながら書き続けていきたいものです。