認めない
シナリオ・センター代表の小林です。シナリオ・センターの夏休みが終わりました。あらら、休み明けは猛暑と来ました。まだ休みた~い。(笑)
皆様くれぐれも、暑さ対策を。コロナも怖いですが、熱中症は案外大変になります。油断大敵です。
今年はオリンピックを避けて、オリンピック中をお休みにしました。お陰様でよく寝ました。
連れ合いは、朝から晩まで一日中オリンピック観戦、私は本を持ってベッドの上という毎日でしたが、なぜか気がつくと本は開けっ放しで、寝ている始末。
お休みが終わる日に、コンディショニングへいったら、動きがとてもよく調子もいい、トレーナーに良く寝たせいですねと。
この1週間の昼寝量が身体をしっかり休ませてくれたようです。オリンピック様様(笑)
オリンピックへの想い、アスリートの方々のたゆまぬ努力、鍛え方の半端なさに頭は下がるし、尊敬もしていて、熱戦には興奮もしました。
ただ、私は負けず嫌いではなく、むしろ戦いたくない、人生で勝ち負け、黒白、右左って決めつけるというのが、どうも苦手。
もし、素晴らしい運動神経を持っていても、まったくアスリート向きではありません。
趣味のテニスでも、白熱のラリーが続いたりすることの方が面白く、勝ち負けにこだわらないというか、捨てているというか・・・。
なんて奴だと怒られそうですが、なんかほんわか生きていたいのだよぉ。
仕事はもちろん一生懸命やりますが、それだけでは生きていたくない。
世の中の矛盾には真摯に怒りまくりますが、それだけではないと思っています。
生き方、考え方は人それぞれ、多様性を認め合っていきたいですね。
でも、絶対に認めたくない、認められないものがあります。戦争。
昨日は長崎原爆の日、核兵器廃絶を訴える署名を国連に届けている「高校生平和大使」ら約80人が原爆落下中心地碑を囲む「人間の鎖」を作り、平和を祈ったそうです。
戦争を知らない子どもたちのこうした行動はとても嬉しかったのですが、広島原爆の日では、戦争も原爆も、76年前のことではなく、今も続いていることもわからない方のろくでもない所業がどれだけの人を傷つけまくったのだろうかと心が痛みました。
終戦はしても、街は整っても、被爆者、戦傷者の方々の身体は蝕まれたまま、心は常に傷つけられ、また遺された家族の方々もいわれのない差別を向けられ、深い傷を負わされ続けています。
戦争は、終わりがない。一人ひとり誰もに人生があり、生活があり家族があったのに、それを閉ざされたままだから。
永遠と続く負のループを作らないためにも、もう二度と過ちをくり返してはいけないのです。
相変わらずそんな認識のかけらもないのがお上です。
お上は常に国民に対して、加害者になりうるのだということを思っていなければいけない。
コロナで亡くなった方も感染した方も数字ではないということ、人間だということ、未来永劫失ったものは二度と取り返せないのだということをしっかりと感じ、考えて対処して欲しいものです。
聖林寺十一面観音
国宝の聖林寺十一面観音に会ってきました。
奈良でお会いした時と、ずいぶんと印象が変わるものだと思いました。
奈良桜井の聖林寺に鎮座ましましている時は、こんなに大きく流麗なお姿とは感じませんでした。
上野の国立博物館では、四方から拝見できるガラス張りの展示でしたので、初めて後姿も拝見でき、そのなだらかな優し気な肩から背中にかけての美しさに思わずため息が出ました。
日本彫刻の最高傑作のひとつと言われ、手、指の美しさはよく語られているのですが、よく考えれば驚くことでもない、手や指は、肩から繋がっているのですものね。
なんで後ろ姿ばかりにと言われそうですが、肩の線、背中の丸みの温かさは感動的です。
予約制のおかげで混雑をしていないので、ゆっくりと拝見できることができ、暑さも吹き飛ぶほど堪能しました。
聖林寺の観音堂は昭和34年に建てられたもので、老朽化がひどく、大改修を行っています。
確かに私がお伺いした時も、つぶれそうな感じがしていましたもの。(笑)
私は、仏像はお寺でお会いするのが一番と思っているのですが、あまりにイメージが違ったのは、老朽化した観音堂のせいだったのですね。
観音堂改修のためのクラウドファンディングを行っていますので、こちらのご協力もお願いいたします。博物館でも寄付ができます。
やはり、気持ちよく過ごしていただきたいですものね。
箱(観音堂)は朽ち果てても、千三百年経っても神々しさ、美しさが変わらないというのは御仏の力なのでしょうか。仏像ってすごいです。
博物館は予約制で案外空いているので、癒されにいらっしゃってはいかがでしょう。
奈良にお戻りになられたら、またお会いしに行きたいと思っています。コロナが終焉しますように。