変化
シナリオ・センター代表の小林です。今日の最大トピックスはやはり菅総理の辞任でしょうか。
びっくりもしたけれどびっくりもしないような・・・。まったく決断ができない人だと思っていたので、やっぱりびっくりでしょうね。
とはいえ、自民党内では、菅さんが降りたら降りたで、新たな総裁選嵐が吹きまくっているだけで本質は何も変わらない。自民党の誰一人国民のことなど思っていない。なんてこったい!!
だったら、今です。今ですよ!菅総理!!
本気でコロナ対策専任を叫んだのなら、最後の最後に、国民の命を守るためにすべてを捧げた総理として、国民の記憶に残るようにしましょうよ。
このままならただただ晩節を汚すだけですから、ここで大芝居を!
パラリンピックに従事している300名近い医師・看護師の方々を使って、即刻コロナ病院を創り、抗体カクテル療法でもなんでもできるようにして重症者を減らす。
各都道府県にも医療予算をだして、どんどん医療施設を作らせる。
そして、国民に1カ月暮らせるだけでの給付金を配って、9月いっぱいお家から動かないでくれと要請、飲食店や会社には、店に応じてつぶれないような助成をする・・・。
もう党内の誰彼のことも気にせずに、後の始末はほっぽりだして、国民の事だけ考える。歴史に残る名総理大臣になりましょう。
杉原千畝さんのように人の命を守るとずーっと語り継がれます。なによりあなたが気持ちよくなる(笑)
今でも遅くない、今です。今です。すぐです。すぐです。
あ~。ホント、ドラマチックにやってほしいなぁ。
どなたか、最高のシナリオ描いてあげて!
ドラマとは、変化である。
ホームドラマ
コロナ禍で注目というか、改めて考えさせられたのは家族だったのではないでしょうか。
テレビラジオの批評誌GALAC(ぎゃらく)でも、「テレビのなかの家族」を取り上げていました。
最近のホームドラマは、何を昔ながらというかはまた論じるところではありますが、それはおいておいて、昔ながらのホームドラマとはちょっと違ってきています。
それは、生き方の多様性に関わってきていると思います。
この雑誌のなかでは、「俺の話は長い」「モコミ~彼女ちょっとヘンだけど~」「俺の家の話」「きのう何食べた?」のプロデューサーの方々がどういう家族を描きたかったのかをお話しされています。
「俺の話は長い」(NTV)はニート、「モコミ」(テレビ朝日)は特別な感覚をもったヒロイン、「俺の家の話」(TBS)は認知症と介護、「きのう何食べた?」(テレビ東京)がゲイカップルと、多種多様です。
坂元裕二さんの「大豆田とわ子と3人の元夫」(関テレ)もある意味ホームドラマですよね。
私が子供の頃、新井一は「ママちょっときて」(NTV)という山の手のサラリーマン家庭を明るく描いた連ドラを企画・脚本し、人気ドラマになりました。
戦後、戦争後遺症の中では幸せな家庭を見ることが欲されていたのかと思います。
その頃だって、きっと言葉は違えども、ニートや引きこもり、発達障害、性的マイノリティ、認知症、介護、虐待などなかったわけではないと思うのですが、見えてこなかったし、描くべきものとしてとらえられていなかったのでしょう。
今ですら、ジェンダーはおろか夫婦別姓も認めない人々、ニートや引きこもり、発達障害などを差別する人はまだまだいますものね。
60年代、「ママちょっときて」(NTV)「7人の孫」(TBS)「肝っ玉母さん」(TBS)「ありがとう」(TBS)等など、70年代「お荷物小荷物」(朝日放送)、「それぞれの秋」TBS)「岸辺のアルバム」(TBS)「となりの芝生」(NHK)「寺内貫太郎一家」(TBS)「阿修羅のごとく」(NHK)等など、80年代「金曜日の妻たち」(TBS)「約束の旅」(NHK)「北の国から」(CX)、90年代「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)「妹よ」(CX)、2000年代「すいか」(NTV)、「ごちそうさん」(NHK)・・・。
でも、こうしてみていくと、ホームドラマこそ時代の鏡のような気がします。
一人で生まれてきた人はいませんから、誰もが持っている、または持っていた家族。
でも、そこにはすべて違う個があり、集があり、向かい方があります。普遍的でありながら決してそれだけでは終わらない。
好き嫌い、相容れるいれないことも他人とは違うからこその感覚、感情。
人間を描くには最も難しいものがホームドラマかもしれませんね。
コロナ禍でのホームドラマはいかなるものになるのでしょうか。