脚本家でもあり小説家でもあるシナリオ・センターの柏田道夫講師が、公開されている最新映画を中心に、DVDで観られる名作や話題作について、いわゆる感想レビューではなく、作劇法のポイントに焦点を当てて語ります。脚本家・演出家などクリエーター志望者は大いに参考にしてください。普通にただ観るよりも、勉強になってかつ何倍も面白く観れますよ。
-柏田道夫の「映画のここを見ろ!」その45-
『由宇子の天秤』 現代日本で主人公を追い込むカセ、トラブルの数々とは
単館系公開の低予算映画ながら話題を集め、じわじわと拡大公開、ロングラン上映となりそうな『由宇子の天秤』を取り上げます。
脚本・監督は長編二作目の春本雄二郎。“日本芸術大学映画学科を卒業後、映画やドラマの現場で10年間働くも、現在の日本の商業スタイルでは自分の理想とする表現はできないと判断し、独立映画製作の道を選ぶ。”とパンフにあり、一作目の『かぞくへ』(2016)を作ったとのこと。
それ以前から執筆・完成していた本作脚本を、日芸大教授で映画監督の松島哲也と、やはり日芸大特任教授でアニメーション映画『この世界の片隅に』の監督でもある片渕須直がプロデューサーとして参加、本作が生まれたそうです。日芸チームがメインとなって、素晴らしい傑作を誕生させたわけです。
主人公の木下由宇子(瀧内公美)はフリーのドキュメンタリーディレクターで、3年前に起きた女子高校生のいじめ自殺事件を追っている。学校がいじめを隠蔽するために、講師と交友関係があったことをでっちあげ、その講師も身の潔白を告げた遺書を残して自殺した。興味本位で取り上げたマスコミのせいで、自殺者遺族は私生活を奪われてしまった。由宇子は彼らに粘り強く取材を重ね、真実を明らかにしようとする。
一方、由宇子は夜、父の政志(光石研)が経営している学習塾の講師として高校生たちを教えている。生徒の一人の萌(河合優実)が、ある問題を起こし、助けているうちに由宇子は、驚愕の事実を知ってしまう。
この映画は、今の日本が抱えているいくつもの問題点をえぐり出しますし、これらを背景としています。
例えば、デジタルメディア時代になって、SNSやネットとかでは特に、白か黒か、賛成か反対か、悪か善か、というように色分けされてしまう。悪と決めつけられたら、その是非は検証されずに徹底的に叩かれる。その恐ろしさ。
でも、人間は生きていれば、1か0のデジタルではなく、あいまいさで切り抜けたり、意図的にグレーにしたりしてやり過ごすこともある。けれども今の社会はそれさえ許してくれない。そうした生きづらさを、由宇子のほぼ一視点的な脚本で、観客に問題提起しつつ、実にリアルにサスペンスフルに描きます。まさにドキュメンタリータッチで、回想もナレーションもなく、由宇子の行動として見せていく。すごい!
で、「今回のここを見ろ!」は、まさに主人公を(浅田講師流の)これでもか、これでもかと困らせるドラマの作りです。
ドキュメンタリーを作る、真実こそを浮かび上がらせる、という目標に向かって邁進する仕事上だけでなく、父の学習塾内部で起きてしまった信じられないトラブルという私的な出来事の数々が、容赦なく主人公を困らせる。もうひたすら対立・葛藤・相克のジェットコースタードラマなのです。
この「これでもか、と主人公を追い詰める困難で感動に繋げる!」として、13回に『風をつかまえた少年』(※)を取り上げました。
この映画では、アフリカ大陸のマラウイという貧しい国の少年が、困難を乗り越えて自家発電の風車を作って水を引く、という実話が元になっていました。この少年の場合は、置かれている境遇からして困難、カセだらけで、彼が進もうとして立ちはだかるトラブルも、分かりやすく作りやすいとも言えます。
さて、現代の日本に生きる我々だってもちろん、それなりにトラブルはあるし、生きづらい時代ともいえます。ただし、多少のカセとか困難を与えても、そんなの誰にもでもあるよ、って矮小化されてしまいがち。
じゃあ、どうすればドラマとなる対立・葛藤を主人公に与えられるのか?ここは結構、皆さん悩むところかもしれませんね。そういう方こそ、この映画でひたすら葛藤する由宇子を見てほしいのです。
そういえば、基礎講座で皆さんに「カセ表」をお配りしているはず。これ、皆さん活用していますか?どこかに埋もれさせていませんか?この『由宇子の天秤』を見て、もう一度カセ表を拡げて、どのカセが脚本に活かされているか、を検証してみてください。なるほど、カセがドラマを生むのだ、というのが改めて分かるはず。
そうそう、このタイトルの「天秤」の意味も、グサグサと観客に突き刺さります。今年の邦画の大収穫映画です。ぜひとも、見逃さないで下さい
※『風をつかまえた少年』のコラムはこちらから
https://www.scenario.co.jp/online/24706/
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映画『由宇子の天秤』予告編
-柏田道夫の「映画のここを見ろ!」その46
『Our Friend/アワー・フレンド』感動を導く美しい“聖トライアングル”
今回取り上げる『Our Friend/アワー・フレンド』は、ジャンルでくくると、いわゆる(私は個人的にはあまり好きじゃない)「難病もの」です。
ただ、タイトルが示すように、メインとなっているテーマが「友情」です。原作はジャーナリストのマシュー・ディーグが「エスカイア」誌に書いたエッセイ。パンフに全文が掲載されていて読み応えがありますので、これもぜひ。
これを『ファナース/訣別の朝』のブラッド・イングルスビーが脚色、長編映画二作目のガブリエラ・カウパースウェイト監督。ちなみに、エグゼクティブ・プロデューサーとして巨匠リドリー・スコットが名を連ねています。
シナリオは幾分、複雑な構成で、「ガンの告知」を基準として「〇年前」とか「〇ヶ月後」といったテロップが出て、ガンとなった妻のニコル(ダコタ・ジョンソン)と、夫のマット(ケイシー・アフレック)、二人の友人のデイン(ジェイソン・シーゲル)の逸話が時間軸を交差させながら展開します。
ニコルの苦しい闘病の日々と、その妻を献身的にケア、娘たちの世話に追われ続けるマット、さらにそれを見かねて、デインが仕事も引き払って、マットの家に居候、ニコルの死まで、一年以上も住み込みで一家を助ける。この夫妻とデインとの「友情」が描かれるわけです。
さて、今回の「ここを見ろ!」は、この三人の関係性。映画を見ていて「久しぶりの聖トライアングルだ!」と思って嬉しくなったのですが、まさにこの(私が勝手に命名しているのですが)“聖トライアングル”について。
受講生さんから「一番好きな映画は何ですか?」と聞かれたりして、とても絞り切れないのですが、「まず『太陽がいっぱい』と『冒険者たち』で、それから『雨に唄えば』とか……」と、この三作を挙げたりします。
最初の二作の共通点としては、主演がアラン・ドロンですね。さらに三作に共通項があるとすると「トライアングル」の関係性でしょうか。ただ『太陽がいっぱい』には“聖”はつけ辛い(淀川長治さんによると、モーリス・ロネとドロンのゲイ的な心情がメインなので、ドロンはロネと同化する思いで、恋人であったマリー・ラフォレを自分のものにしてしまう)。
ですが後者二作は“聖トライアングル”の三人になっています。特に『冒険者たち』は、三角形の頂点に女性のレティシア(ジョアンナ・シムカス)がいて、アラン・ドロンとリノ・バンチュラの男二人でトライアングルが成立しており、それも三者は“聖”で関係性が保たれています。
この“聖トライアングル”の名作をあげると、フランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』や、ベルナルド・ベルトルッチの(性的要素も入るけど)『ドリーマーズ』、ジョージ・ロイ・ヒルの『明日に向って撃て!』も中盤はこの構図です。
なんとなくこの“聖トライアングル”の人物関係性がお分かりでしょうか?これがただの“三角関係”だと、恋愛がらみのドロドロとか、裏切りの愛憎物語とかになってしまう。
もうひとつこの“聖トライアングル”映画は、女一人と男二人で成立しています。男が一人で女二人が、というのはあまり浮かばない。もちろん、これからの時代は、さまざまなトライアングルが成立するかもしれませんが。
『アワー・フレンド』に話を戻すと、まさに女一人と男二人で、片方は夫婦なのですが、もう一角の男と彼らとは固い「友情」でトライアングルが成立している。まさに“聖”がつくわけです。こうした関係性を作るだけで、青春物やヒューマンドラマとしても、美しく心に染みる物語が作れるかもしれません。それもできれば“聖”がつくようなトライアングルとする。発想や展開が拡がりそうですね。
もうひとつ、パンフで監督も語っているのですが、「(シナリオの)この場面ですべてがピタリとはまった」と述べている中盤の素晴らしい場面があります。「ケータイの留守番メッセージ」なのですが、私もこの場面で、笑いながらも泣けてきました。ぜひ確かめて下さい。
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ケイシー・アフレック『Our Friend/アワー・フレンド』予告
- 「映画が何倍も面白く観れるようになります!」
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