沖縄慰霊の日
シナリオ・センター代表の小林です。今日は沖縄慰霊の日です。沖縄戦から77年目の慰霊の日です。
20万人沖縄の人々が犠牲になりました。本土の盾になったのです。
沖縄復帰50周年の今年、沖縄の方々はどのように思われていらっしゃるのでしょう。
アメリカ軍の基地は決して減っていないし、むしろ自衛隊も増えていて、辺野古も住民の気持ちを無視して進められています。
追悼式に岸田首相が参加されて、「私たちが享受している平和と繁栄は尊い犠牲と苦難の歴史にある」と述べられました。
本当に、そう思っているのでしょうか。
住民投票の結果を無視し、辺野古の埋め立てに遺骨のある土を平気で使った時点で尊い犠牲など本気で思っていないことがわかります。
亡くなった方の骨を埋め立てに使うなどありえないことです。
森山良子さんが歌われてヒットした「さとうきび畑」を創られた音楽家寺島尚彦さんは、沖縄にコンサートでいったときに戦跡めぐりを勧められ、サトウキビ畑で「あなたの歩いている土の下に、まだまだたくさんの戦没者が埋まっています」と教えられ、立ちすくんだといいます。
そして「轟然と吹き抜ける風の音だけが耳を圧倒し、その中に戦没者たちの怒号と嗚咽を私は確かに聴いた」と。「さとうきび畑」という曲が生まれました。
お上の方々は、沖縄に来て、寺島さんのように声を聴いたでしょうか。
聴こえはしないのでしょうね。もし聴こえたのなら、沖縄の民意に添うべきなのに何もしないなんてとはできませんから。よっぽど人でなしでもない限り。
岸田首相が述べられたように、「平和と繁栄を本土の我々が享受している」のは、沖縄のおかげです。
それは77年前のことではなく、今もなお戦中と同じことを沖縄の方々に強いているからなのだということを認識してもらいたいです。
空虚な言葉は、聞きたくありません。
どんなきれいな言葉を重ねても、その口の奥にはどす黒い考えがうごめいているのではないかとさえ思います。
参議院選も動き出しました。
誰を選ぶにしても大きな声で嘘の言葉を平気で言っている人は落としましょうね。
島守の塔
77年前、マヤーアブ壕から救出された翁長さんの記事を読みました。
米軍の投降を呼びかけられ、自決しようと思っていた15歳の翁長さんに中隊長が「生きていれば、私の家族に会うかもしれない、これを預かって欲しい」と数珠を首にかけられ、生き延びたそうです。
映画「島守の塔」が7月22日から全国公開されます。
出身のおふたり、柏田道夫さん脚本、五十嵐匠さん監督の作品です。
「島守の塔」は、命を懸けて沖縄の人々の命を守った二人の官僚の物語です。
沖縄戦の末期、知事になった島田叡と警察部長荒井退造は、「戦意高揚」を唱える軍の命令に、住民保護とは相反すると苦悩し、県民の命を守ることが自らの使命であると決意して、県民の疎開などに尽力しました。
そして、戦火が激しくなり一億玉砕が叫ばれる中、「命どぅ宝、生き抜け!」と死なずに逃げることを勧め、一人でも多くの県民の命を守ることに全力を尽くした、その姿を描きました。
平和祈念公園の平和の礎(いしじ)をご覧になったことはありますか。
広大な敷地にこれでもかと並ぶ刻銘碑。
青い海と空、整然と並ぶ刻銘碑・・・平和を祈る公園のレイアウトが素晴らしければ素晴らしいだけ悲しみの深さを感じます。
戦没者の氏名を刻銘した記念碑ですが、これだけ多くの人が犠牲になり、本土の盾になったことを語っています。
それでも、島田知事、荒井警察部長が助けた命が少しでもあったのです。
もし、軍部の言いなりになっていたら、もっと多くの犠牲者が生まれたことでしょう。
この映画「島守の塔」を見て、沖縄を感じ、沖縄の人々の犠牲とはなにかを、私たちのやるべきことを、声をあげるべきことを考えてみたいと思います。
沖縄できれいな海や空を感じるのと同じように、沖縄の心を感じたいです。