シナリオ・センター創設者・新井一は、『シナリオの基礎技術』『シナリオの技術』などシナリオの書き方に関する書籍をいくつも執筆しています。また、『月刊シナリオ教室』でも連載ページをもち、シナリオの技術を解説していました。その記事は、いま読んでも全く色褪せていません。
そこで、当時の記事を皆さんにご紹介。「シナリオってどう書くの?」という初心者の方も、「一度学んだけど、忘れちゃった…」という方も、これを読めばシナリオ作りが一層はかどります!
今回ご紹介するのは、「シナリオを書く」「シナリオを描く」について。新井一は「描く」の方が適当なのでは、と言っています。その理由は、“映像にするための設計図であるシナリオ”ならでは、ですよ。
目で見えるもの、音で聞こえるものが表現の武器
シナリオというものは、全部シーンでできていて、それがつながっています。実際の描写は、シナリオという特別なものがある訳でなく、シーンのつながりだけなのです。
ドラマや映画を観て、お客さんが面白いか面白くないか感じるのはシーンによってであり、しかも、セットや風景の中で、俳優さんが芝居をやるという感覚描写なのです。つまり目で見えるもの、音で聞こえるものが表現の武器なのです。
伊丹十三氏の映画『たんぽぽ』の中の描写では、ラーメン屋で「うまい」というのは理屈で、丼のおつゆを全部飲み干してしまうのが、「うまい」という言葉を使わずに感覚表現をしている訳です。
説明も理屈も心理描写も一切の抽象を排して具象のみで語る
今のシナリオは、「コクがない」とか「味がない」と言われています。映画と違ってテレビドラマは連続もので、ともかくストーリーを追わなければなりません。
そのため、“ストーリーを説明するための人物の配置”を考えることになって、登場人物のキャラクターをどうしようとか、出会いの仕方をどうしようとか、ディテールを考える暇がありません(※)。
ストーリーを説明するのに一番便利な人物の配置は、二人が向かい合う二人芝居を多く入れることですが、2人ずつの芝居は説明が多くなり、つまらなくなってしまう。
そこで、考えなければならないのがシナリオを作る“態度”です。
私たちは「シナリオを書く」と言っても何の不思議も感じませんでした。しかしキャメラには、俳優さんとセットと景色、それに小道具だけしか写りません。ですから、(文字や文章を表記する「書く」を使った)「シナリオを書く」よりは、(絵や図を表現する「描く」を使った)「シナリオを描く」のほうが、適当ではないでしょうか。
「描く」となれば、レンズの向こうに写るものだけで、そこには説明も理屈も心理描写も入りません。一切の抽象を排して、具象のみで語るものとなります。「具象のみで語る」というのは、柱・ト書の部分に対して、「場面が手に取るように描かれ、動作が目に見えるように描く」ということではないでしょうか。
そういう意味では、シナリオを50年もの間書いてきていますが、もう一度ハコ書から“絵柄”を作っていくシナリオの描き方に戻りたいと思います。
出典:『月刊シナリオ教室』1997年8月号新井一「巻頭言」より/2018年6月号「新井一.com」
★次回4月4日に更新予定です★
※こちらの記事も併せてご覧ください。
▼物語を進めるだけではシーンとは言えない/大切なのは「どんな〇〇」か
「シナリオは、だれでもうまくなれます」
「基礎さえしっかりしていれば、いま書いているライターぐらいには到達することは可能です」と、新井一は言っています。“最初の一歩”として、各講座に向けた体験ワークショップもオススメです。
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