判決
シナリオ・センター代表の小林です。熱中症警戒アラートが16都県に出された本日です。
部屋の中にいればさほど大変とも思いませんが、外でのお仕事の方は大変でしょうね。
今はくれぐれも気をつけてほしいと思います。
大雨とか猛暑とか、最近の気候は極端すぎて、頭も体もついていけません。
昨日は「三権分立になっていない!」と怒っていましたが、久々にまともな判決を聴くことができました。
旧優生保護法により不妊手術を強制された人たちが国に賠償を求めた裁判で、最高裁は、旧優生保護法は憲法に違反するとして、国に賠償を命じる判決を言い渡しました。
不法行為から20年で賠償請求権が消滅する「除斥期間」を申し立てた国についても「著しく正義・公平の理念に反し、容認することができない場合は適用されない」との初判断を示しました。
憲法を遵守した素晴らしい判決だと思います。
不信任つけないように裁判長の名前、覚えておこうっと。戸倉三郎裁判長ですね。
憲法を自分のいいようにいじくりまわそうとしているお上に、決して13条「国民は個人として尊重される」、14条「国民は法の下に平等」を触れさせたくないと思います。
強制的に障害があるというだけで2万5千人も、そのうち1万6千人もの人の同意もなく不妊手術をするという発想は、一体どこから生まれたのでしょう。
旧優生保護法って、1946年新憲法発布の後に「不良子孫出生防止」として作られたんですよね。
もう新憲法が施行されて13条・14条があるにも関わらず「不良子孫」ってどういう判断で作られたのでしょうか。
未だに、障害のある人に対して排他的な考えを持っている人は少なくはありません。
冤罪なども同じ芽だと思うのですが、人が人を見下し、自分の思うようにしようとする社会には絶対したくないですね。
100通り
昨日は7月8週間講座の開講、明日は150期シナリオ作家養成講座の修了とバタバタしています。
出身ライターの皆さんも、こうした過程を経て、今活躍してくださっているのですが、その活躍ぶりは本当に嬉しいものです。創設者の新井一は「シナリオの基礎技術は、あいうえおと同じ。あとは、本人の力なのだ」と自分が育てたような顔をしてしまう講師を常に戒めていました。
シナリオは、普通の文章とは違うので、もちろんシナリオ形式を習わないとシナリオを描くのは難しいですが、出身ライターの方々は、各々が基本の技術を基に、描き続けたのです。描き続ける事こそがプロになる力なのです。
昔は映画を観ながら、シナリオを描きだして学ばれたという脚本家は結構いらっしゃいました。
または大御所の脚本家のお弟子さんになるとか。シナリオ・センターで教えてもらうなんて方法はありませんでしたからね。
こんなエピソードがあります。
新井一とよく一緒に映画「駅前シリーズ」などの仕事をしていた長瀬喜伴さんという大御所脚本家がいらっしゃいました。
ある日、長瀬さんと新井は、缶詰め(宿屋にこもること)になってシーンの箱書きを作っていました。
その時長瀬さんは、お弟子さんに「この話のシーンを明日までに書いてこい」と命じました。
お弟子さんは映画の一部を書かせてもらえると喜び勇んで描いてきました。
次の日原稿を持っていくと、読み終わった長瀬さんは一言も言わずに原稿をビリビリと破いてしまいました。
次に出たセリフは「もう一度書いてこい!」
次の日も次の日も書いて持っていくとビリビリ・・・。
そんなことが5,6度続いた時「よし、これでいいだろう」と笑って受け取ってくれました。
「なあ、一つのシーンを書こうと思った時、そのシーンは100通りあるんだ」と長瀬さん。
シーンはシナリオの一番最小の描写をする場所です。
このシーンが100も200も集まって一つのストーリーが語られるシナリオになる大事なものです。
ストーリーの運びだと安易に考えるのではなく、シーンひとつひとつに心を込めて、これでいいか、いくつも考えてみることが大事だと長瀬さんも新井も伝えたかったのです。
シナリオ界の大御所八住利雄さんは、菊島隆三さんが亡くなった時の弔辞で
「この頃のシナリオライターは楽に書くことばかりを心がけ、ストーリーや心理を安易に流すことはうまくなっても、全体を組み立てたり、一つのシーンを描き切ったりすることを怠ける奴が多くなったと、いつも君と話し合ったものでした」
述べられたそうです。
「安易に書き流さないこと」「シーンを描き切ること」これがシナリオをよくする、面白くする素だと新井は言っています。
要は、映像になるところを選び、どう登場人物を持ってくるかが大事なのです。
シナリオの技術は、このためにあります。
これから基礎を学ぼうとする方も修了された方も、表現方法は山のようにあることを知って、その技術をしっかりと使って、いいドラマを描いてほしいと思います。