OUT
シナリオ・センター代表の小林です。新しい社会が始まろうとしています。う~、いい方向へと進めばいいのですが、どうでしょうか。
とりあえず、少しだけ変化は生まれてきそうで、下々の声でいい方向へ変えていけたらと思います。
それにしても、どうしてこうもろくでもないのでしょうか。毎日ろくでもない事項を上げろと言われたら、枚挙にいとまないほどの日々にウンザリします。
「ばかじゃないの?」あちらこちらからそんな声が聴こえます。
色々な考えの人がいます。人はみんな違うのだから、違っていて当たり前というのが私の持論です。
私の考えや想いに反対だと思う人を拒むものでもなく、賛成してくれた人と喜び合うことでもなく、お互いの持論をぶつけあうことが大切だと思っています。
けれど、今のろくでもない人たちは考え方の違いというより、あまりにも人間性が欠如しているとしか思えません。
そんな人たちが社会を動かしていることには、どうしてもどうしても100歩譲っても納得がいきません。
余りにもろくでもない人が多いので何を取り上げるか迷いますが、最新のろくでもなさは国民民主の玉木さんの不倫。
話しも聞きたくないほどうんざりな話です。
で、それに輪をかけて国民民主の幹事長が「代表の続投を支援」なんて平気で言い、党内からも異論が出ないというのは、この党は全員OUT!党則はOUTだったんじゃないですか?
しかも当人は誰かが創ったカンペを読みながら、いかにも潔いとばかり「概ね事実」と宣う。そのカンペには「逃げている印象にならないよう注意してください」というご丁寧な指示がついていたそうな。もはやコメディ。
不倫など大した問題ではないとか男なら一回や二回はとか言う方が必ずいます。
で、不倫相手の女性は観光大使を解任されるって、意味不明です。過去の不倫問題でも女性はみんな斬られていますが男性は生き残っています。これは男性社会の勝手な思考なんですよ。
玉木さんは、妻に支持者に謝っても、代表も議員も辞任する気はない。まともなら周りが支援してくれたらなおのこと、自分から降りなくっちゃ。
でも、本当に悪いとは思っていないから「ありがたく」なんて言っちゃって「頑張ろう!」なんて恥ずかしげもなく・・・で、何を頑張るんだ?
何度も言いますが、これは男とか女とかではない人間性の問題なんです。
少なくとも上に立つ人として最低レベルでOUTなのです。玉木さん及び支援される方々、わかっていますか。
十一面観音
お休みに、十一面観音巡りをしてきました。
京都の六波羅蜜寺の12年に一度の御開帳を機に合わせて七体の国宝十一面観音ツアーがあり、12年後にはもういける歳ではないなと、思い切っていってきました。
渡岸寺(向源寺)、六波羅蜜寺、聖林寺、室生寺は過去にお伺いしたことがあるのですが、国宝7体をいっぺんに拝顔できるチャンスは二度ないだろうと、心惹かれてしまったのは歳のせいですね。
仏像が好きです。とはいえ、テレビの博士ちゃんのように、突き詰めるわけでもなく、ただ何となく好き、なんだかわからないけれど癒される感じ、ボーっと見ているのが好きなだけなんですが。
渡岸寺(向源寺)から始まって、六波羅蜜寺、聖林寺、室生寺、道明寺、法華寺、観音寺とまわりました。
十一面観音は、現世利益、滅罪なども含めて多くの功徳を持つ観音様といわれて、経典の中で、十一面観音を信仰すると10種の現世利益と4種の来世功徳を得られるとされています。
四方八方と天・地を自由自在に見ていて衆生を助けるという仏様ですが、私が十一面観音が仏像の中でもとりわけ好きなのは、功徳がたくさんあることより、十一のお顔の中に人間の感情があるからなのです。
十一の顔はそれぞれに役割があって創られたそうで、頭上の天辺に悟りの表情をする「仏面」が1面、正面側に穏やかな顔で衆生に慈悲を与える「菩薩面」を3面、頭右側に邪悪な衆生を戒めて仏道へ向かわせる「忿怒面(ふんぬめん)」が3面、左側に行いの清らかな衆生を励ます「狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)」が3面、そして頭の背後に悪への怒りが極まるあまり大笑いで悪を滅する「暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)」1面があります。
本来は役割として作られたお顔ですが、私は、「菩薩面」「忿怒面(ふんぬめん)」「狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)」「暴悪大笑面(ぼうあくだいしょうめん)」の様々な表情の中に、人間の生きざまをみる気がするのです。
様々な想いや考えがあって、優しかったり、泣いたり、怒ったり、笑ったり、悪事を働いたり、善行を施したり、私の中にあるごちゃごちゃしたものを見られているような、ちょっと表現しにくいのですが、安心感というのか包容力というのかそんなものを感じるのです。
無宗教で右でも左でもなく、その場の感情で、柳に風みたいないい加減な生き方をしているだけの私ですが、十一面観音菩薩の前ではちょっと真面目に世界中の子どもたちに未来があるように願いました。