シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。12月の気候だそうです。暑かったり、寒かったり・・・風邪引きさんが多いですね。お気をつけ下さい。
台風災害のあったフィリピンで銃撃戦で死者とか。救援物資の略奪が原因とのこと。
そんな報道をみると、日本人、いや東北人の偉さを改めて感じます。
なにが、違うんだろうと思います。
入試も人物本位でという提言が出ています。
実際にどうやって人物をみるのかはわかりませんが、ずいぶん難しいことを言うなあ・・・というのが正直な感想です。
人物本位・・・学力だけで見ないというのは賛成ですが、誰が人物を見極めるのだろうと考えると、?????マークが点滅してしまいます。
人物の良し悪しを決めるのは、選ぶ人の人格が深く関わる気がします。
好き嫌いで決められたらたまらない。
どんな人にも、生理的に合わないという人は必ずいます。
理屈じゃなく、いやなもんはいや、嫌いなもんは嫌い・・・虫が好かないわけで(笑)そんな中に自分が入っちゃって「なんか好きになれないタイプだから落としちゃいます」って、言われたら悲しいですよね。
昨日、ジェームス三木さんが朝日新聞のリレーおぴにおんで、「私の悪人論」を語っていらっしゃいました。
すごく面白かったので、一部抜粋させていただきます。
『僕の書いた作品には「悪人が登場しない」とよく指摘されます。
確かに、ドラマの脚本を書くとき、登場人物が「悪人なのか 善人なのか」と区別して考えることはありません。
まず、人間を描くために考えるのは「劣等感と欲望」です。
例えば、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の脚本では、伊達政宗が片目を失い、母に愛されていなかったことなどを踏まえて、「だから、何を欲したのか」と想像力を働かせます。
そうすると、人物が生き生きと動き出していく。
実は、視聴者も善悪にはあまり縛られません。
例えば、警官が泥棒を追いかけるストーリーを想定します。
泥棒であっても、そこに至る状況を丁寧に書き込んでおくと、泥棒を応援したくなるものです。
視聴者はより良く知っている人物に感情移入します。
「善人か、悪人か」は、それほど重要なよりどころではないのです。
考えてみると、動物の世界には善悪は存在しません。
人類も動物ですから、行動原理は欲望に強く影響されます。
しかし、集団生活を維持するには秩序が必要です。
要望の暴走を制御するために、人類は善悪の基準を作った。
それが、宗教、規範、法律などに形を変えていったと考えています。
やっかいなのは、国家権力です。
自分にとって都合のよい善悪を作り出すからです。
僕は、旧満州の奉天市で生まれ、10歳で敗戦を迎えました。(中略)「いざというときに、国家は国民を守らない」という現実を子供心に痛感しました。(中略)
本当の悪人は、国民に被害者意識を植え付け、戦争に駆り立てる政治家だと思います。
だから、憲法9条は、戦争を知る我々の世代が守り抜いて、子孫に引き継ぐ責任があります。(後略)』
面白いドラマは、こうした発想から生まれるんですね。
ジェームス三木さんがお持ちの信念とともに、さすが、大先輩は、「すごい!」と思いました。
明日は、「アニメ講座」開講です。1回目は、出身ライター広田光毅さん。 お楽しみに!!