シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
4月1日、シナリオ・センター代表の小林です。
本日をもって表参道シナリオ日記は終わります。長きにわたってご愛読ありがとうございました。
というわけで、4月1日の表参道シナリオ日記です。(笑)
シナリオ・センターには、かって地獄の底からの声とか言われた強面の名物事務局長がいました。
シナリオ・センターの事務局は、対応がいい、優しいという評判をいただいている中で、彼だけは怖いと思われていました。
でも、本当はとってもお茶目。
毎年4月1日には、横浜教室担当の相川にエイプリルフールを仕掛けることに情熱を燃やしていました。
講師の中でもピカ一冷静沈着な相川にぎゃふんと言わせたいその一念で、毎年手を変え品を変え仕掛けるのですが、残念なまま、2009年3月に亡くなってしまいました。
新井にシナリオがヘタ、事情、背景が作りこまれていないと笑われていました。
私のエイプリルフールはいかがでしょうか。(笑)
昨日の朝日新聞に、『NHK「ごちそうさん」戦時統制、しっかり描写』という記事が載っていました。
「空襲から逃げるな、と国民に強いた法律防空法を正面からとり上げた例のないドラマだ」と早稲田大学の水島教授が指摘されています。
め以子の夫悠太郎は「空から火のついたガソリンが、降ってくるようなもんや、消してなんかおられん、命が惜しかったら、とにかく逃げろ!」と叫び逮捕されます。
大阪空襲の日、め以子は夫の意を汲んで地下鉄に逃げ込もうとするのですが、職員に「空襲時は、駅はあけられない。防空法できまっとるんや」と拒まれます。
「防空法」を破ると、死刑・無期懲役を含む重罰に科されたのです。
悠太郎も、罰として満州へ行かされてしまいましたね。
当時は、放送も新聞も厳しくチェックされ、すべては戦意高揚のため。自由にものが言えない時代でした。
森下さんは、次男を戦死させたと嘆くめ以子にこう言わせます。
「笑われても、怖うても、恥ずかしうても、おかしいと思うたら、言わなあかん。無力な大人の責任や。偉い人はそれを言わせなあかん。どちらも無責任やったんや」
さすがです、森下さん。現代への警鐘が聞こえます。
これは、あえてか偶然かわかりませんが、この記事の隣に「医は仁術展」の記事。
『TBS系で放送された幕末が舞台の医療ドラマ「JIN-仁」を下敷きに、江戸時代の医のあり方を紹介しようとした特別展「医は仁術」が東京・上野公園の国立科学博物館で開かれている』とのこと。
このドラマは、もちろん森下佳子さんの脚本です。
ドラマはこんなにも、色々な形で影響力を持つことができるのです。
ドラマ作りの醍醐味を感じた新聞記事でした。