シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。今日は、直前説明会。いつもの説明会とちょっと趣を変えて、私一人でお話と質問を。楽しんでいただけるようにしなくては。
昨日の続きですが、「テレビ小説読本」(洋泉社刊)の中で、脚本家としてロングインタビューを受けているのは、「ちゅらさん」の岡田惠和さん、「ゲゲゲの女房」の山本むつみさん、「あぐり」「すずらん」と2本も「朝ドラ」を書かれた清水有生さんと出身ライターの方ばかりなのがちょっと嬉しい。
なるほどなるほどと思いながら読ませていただきました。
「ちゅらさん」は、沖縄を描いてみませんかいうところから始まったそうです。
沖縄の女の子とその家族を面白楽しく、今までの「朝ドラ」にはない描き方をしたドラマでした。
沖縄というと背負うものが大きくて、とてもつらく難しい背景があります。いままであまり陽気な沖縄像というのは描かれたことはありません。
岡田さんは、「僕も『ちゅらさん』で、そこを“やらない”と決めたことにものすごく勇気が必要で、プロデューサーともたくさん話をしました。“どういう覚悟で作るのか”と。
最終的に1シーンだけ描くことにしました。それは、一風館のみづえさんに向っておばぁが「沖縄に遊びに来てね」というシーン。みづえさんは『辛いことがあった島に、楽しい気持ちで遊びに行けない』というんですけれど、おばぁは『そういう人にこそ来てほしいんだよ』って返すんです。ある種のリスクを背負う覚悟で、このシーンだけにしました」
「ゲゲゲの女房」のモデルの水木しげる先生は戦争で片腕がありません。
山本むつみさんは、「水木先生は今でも戦争の夢を見るそうで『亡くなった仲間が自分にマンガを書かせている』とおっしゃっています。私も水木先生をとおして『戦争のことを伝えなさい』といわれているんじゃないかと思うことがありました。(略)水木マンガを語る上でも昭和を描くためにも、絶対にはずすことのできない、向き合わなければならないことでした。」
町山さんもおっしゃっていましたが、片腕がないことがテーマとして前面に出されず、日常の、何気ない点景として描かれていることにドラマのうまさを感じます。
「水木先生ご本人が、左腕がないことを気にされていないんですよ。『自分は漫画も書けるし、なんでもできるから、これは障害じゃない』と。(略)『生きている人間には同情しないんです。死んだ人間が一番かわいそうだから』と(略)自分にも同情しないのでしょうね。ドラマの中では、戦争の傷を引きずって苦しんでいる貸本屋のご主人に『自分をかわいそうがるのはつまらんことですよ』と声かけるシーンを作りました。このドラマの貫くテーマが何度も繰り返し語られる「見えんけどおる」という言葉です」
清水有生さんは、まったく傾向の違う朝ドラを2本書かれていらっしゃいます。
ダメ亭主と明るい妻の夫婦模様をユーモラスに描かれた「あぐり」、北海道のひなびた駅舎に捨てられた女性の一生を描いた「すずらん」です。
「『あぐり』はとにかく、主人公の二人のキャラクターを掘り下げるところから始まったし、(略)『すずらん』にはまず地域があった」
「原作を読むとあぐりさんって、(略)かなり自由奔放なイメージだったんです。(略)「相手も見もしないで結婚して見たら、一番嫌いなタイプの男だった」という入口であぐりが抱えている矛盾がそのまま視聴者に受け入れてもらえたら大丈夫だろうと舵を切りつつ、主婦にも働く女性にも受け入れられるキャラクターに程よくアレンジしていきました。シークエンスを立てる前に二人のキャラクター作りにはとにかくこだわりましたね」
平成の「おしん」といわれた「すずらん」は、「日本の鉄道というものがどういう役割を果たして、どういう風に衰退していったかのかという、もっと広い日本社会という軸を考えていけば、ヒロインの人生がたとえどんなに過酷であろうと流されずにいけるかなと思ったんですね」と清水有生さん。
長くなりましたが、お三方のロングインタビューのほんのわずかなところを抜粋したのですが、脚本家って色々なものを背負って、創作するのだなあと改めて思いました。脚本家を志す方には、是非とも全文を読んでいただきたいです。