シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。今日は東京大空襲、明日は東日本大震災が起きた日です。もはや過去の傷のようですが、今も傷のまま。70年経とうと4年経とうと、受けた傷は風化しないのです。
そのことをわからないまま歴史認識などはできないと私は思います。
他人の痛みは、もちろん100%わかり得ませんが、少しでも想像することが人として大切なことなのではないかと思います。
昨年放映された亡くなった中園健司さんが描かれた「東京が戦場になった日」(NHK放映)は、中園さんが命を賭して書かれた遺作ですが、二度と戦場にならないで欲しいという願いを込めた作品でした。
他人の痛みを感じる心を持っていることは、創作者として一番必要なことのように思います。
昨日、TBSで放映されたドキュメンタリー特集「戦後70年 千の証言スペシャル 私の街も戦場だった」を観ました。
俳優の佐藤浩一さんがナビゲーターで、語り続けたいとおっしゃっていました。
高尾山のふもと湯の花トンネルで、機銃照射を受け、列車とともに60名以上の民間人が小型戦闘機に撃たれて亡くなっています。
そのパイロットをアメリカまで行って探しだし、インタビューをするなどなかなか気骨のある企画でした。
その中で、列車に乗っていて、姉が庇ってくれたことで助かった黒柳さんというご婦人が、おっしゃった言葉が胸に響きます。
「戦争はどっちにしても勝っても負けても悲しいことが起きていることでしょう」
何かが起きたときに、一方から見る人は多いものです。
まして、自分が被害にあった人であればなおさらです。お母様は列車に乗せたことを亡くなるまで責めていらしたそうです。黒柳さん自身、姉のおかげで命が助かった、ある意味辛いことであったでしょう。
それなのに、黒柳さんはすべての人に想いを馳せていらっしゃる。それはすごいことだと思います。
この想いを世界中の人が理解をしたら、戦争は起こらないのではないでしょうか。
まずは、日本のお上から理解してもらいたいと切に願います。
東日本大震災では、家族を亡くされ、帰る家をなくされ、さまざまに辛い思いをされています。それでも人は生きなければならない。
だからこそ、人が人を支えていかなければならないのだと思うのです。
そして、細くても忘れずに長く続けていくこと、風化はありえないのですから。
まず今日明日は、せめて犠牲になった方々へ想いを馳せていきたいと思います。