シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。あっという間に7月になります。今日はTBS連ドラシナリオ大賞のガイダンスがあります。
最近の公開講座は、常に満員御礼。受講生の皆さんの頑張りに敬意を表したいです。
そんな皆さんを少しでも多くご聴講していただけるようにと、スクール形式からシアター形式にしているのですが、そのたびに事務局が椅子と机を動かさねばならないので、この時期は汗だく。事務局一同着替えを持って取り組んでいます。
実のところ、今まで私はわざわざシアター形式にしてまでは考えてはいなかったのですが、事務局の若いスタッフたちが自ら発案し、毎回汗を流しながら頑張ってくれています。代表の私よりずーっと意識の高い事務局スタッフに、私はいつも感謝の気持ちしか返せません。
今日は、スタッフの一人と藤山直美さんの「おもろい女」という芝居を観に行ってきました。
久々の商業演劇を楽しんできましたが、悲しいかな観客のほとんどがおじさんおばさんばかりで、若い方が少ない。このままでは商業演劇は宝塚しか残らないのではないかと心配してしまいます。
「おもろい女」は、実在の漫才師ミスワカナの壮絶な半生を描いたものです。お芝居としては森光子さんが400回以上演じていらっしゃいます。
NHK放映されたのがきっかけでお芝居になったそうで、テレビドラマ(1935年9月放映)では森光子さんと相方は藤山直美さんのお父さん寛美さんでした。私はこのドラマを見た覚えがあります。
今回は、藤山寛美さんの娘である直美さんと渡辺いっけいさんのコンビで上演されました。
ミスワカナを知っていらっしゃる方は、もうほとんどいないでしょう。
ミスワカナは学校にも行けなかった貧しい育ちゆえに字も読めないが耳がすごいバイタリティと才能にあふれた女性であり、漫才をこよなく愛して、相方の知性溢れる一郎とコンビでどんどん突き進んでいきます。
彼女は、最後は満員の西宮球場で漫才を演じ、万雷の拍手をもらった後ヒロポン中毒で死ぬのですが、彼女の生き様は戦争と色濃くリンクしています。
舞台でも、戦争中の「皇軍慰問わらわし隊」で慰問先の兵士たちの笑顔の写真や、原爆、戦後の闇市など本物の白黒写真が大きく映し出されていました。
ある意味、ヒロポン中毒になったミスワカナも戦争の犠牲者だったと思います。
慰問に行った上海で、あまりの寒さに凍えたワカナに、飯塚部隊長が自分の防寒着を与えます。実際のお話で、飯塚部隊長の戦死を知ったワカナが、飯塚部隊長の思い出をラジオで語ったのが、泣かせ漫才として後世に残っています。
どうしても半生記は、歴史を追いがちで、この舞台もワカナがなぜ変わっていたのかを描く部分が希薄だったのが残念でしたが、「おもろい女」は笑える時代がどんなに大切なのか、幸せなのかを感じさせてくれたいいお芝居でした。