シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。長い夏休みが終わりました。8日間あったのですが、これとして大したこともしないうちにズルズル過ぎていきました。
5年日記をみていたら、ずーっと毎年同じことが書いてありました。進歩のない自分に嫌気をさしながら、本日、雨の中すごすご出社しました。
やらねばならないことが満載なのに、ちっともはかどらない・・・これもまた休み明けの定番・・・エンジンのかかりが遅い、ギアが入らない・・・進歩なし。
それでも、今年ちょっと違ったことは、気持です。夏休みの間もいくつかの記念日がありました。
8月9日、長崎の原爆記念日
8月11日、川内原発再稼働
8月12日、御巣鷹山日航機墜落30年
8月15日、終戦記念日
戦後70年という節目でもあり、安保法案、沖縄辺野古基地問題、原発再稼働など、問題が山積していることもあり、今まで以上に考えさせられ、関連のものなどを見聞きするようになりました。
そこに全て共通することは、当事者の方々にとっては、歴史ではなく、30年経とうが70年経とうが、今もなお続いている事実であり、悲しみ、苦しみなのだということでした。
生きている限り続く悲しみであり苦しみなのだということです。
当事者でない私たちは、先の戦争も歴史の一部としか考えないのでしょう。しかも自分の都合の良い歴史観でみてしまいます。
見方を一つ変えれば真実も虚実になりますし、虚実も真実になります。
でも、いまだに原爆病に苦しんでいらっしゃる被爆者、いまだに野ざらしになっている何万という遺骨、いまだに戸籍を抹消せずに帰りを待つ妻子、いまだに体も心の傷も消えない元兵士や遺族の方々・・・現実です。
戦争は、もちろん相手国の方々へたくさんの悲しみ苦しみを生みだしました。悲しみ苦しみの違いはありません。
国は加害者ですが、国民は被害者でもあります。
そして、人は生きている限り、その過去を忘れることはなく、心も身体の傷も元に戻ることはありません。 巻き戻しはできないのです。
戦争が終わっても、今もなお被爆者、戦傷者、戦争未亡人や戦争孤児々など様々な方々がいわれない差別を受けています。
私は戦争を知りません。
当事者の方々の痛みを同じように感じることはできません。
父親を戦争で亡くしたいとこへの社会の目の冷たさ、差別は知っていても、自分ごとではありません。
でも、ですが、想像することはできます。
もはや、戦争を知らない子供たちの方が圧倒的になってきています。
だからこそ、少なくともすべての人が、本当にわからないにしても、実感できないことだからこそ、想像することが、これからの私たちの生き方ではないかと思うのです。
「戦争に行きたくない、したくない」当たり前のことが当たり前の声として通る世の中であるために。
この夏休み、何冊かの本、テレビ新聞などの特番や映画などを見聞きしてきました。
そんなことでわかるようなことでも、すむようなことでも全くありませんが、ひとつひとつ積み重ねていくこと、想像すること、考えること・・・新井一がシナリオ・センターを創った想いとあわせて、私も繋いでいきたいと思ったこの1週間でした。