シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。秋期のシナリオ作家養成講座の東京、大阪校の開講で入学式だけでなく、説明会だワークショップだのといつもバタバタなのに、その上創立パーティーもありーのっていう感じで、10月は目が回るほど。
それでも痩せない・・・(笑)パーティー当日までに5キロ痩せは夢のまた夢、1キロ痩せたら御の字か・・・元気が一番と言い聞かせている自分が悲しい毎日です。
昨日は、125期シナリオ作家養成講座の直前説明会でした。
9月末に開催しているので、その時においでになれなかった方とか、その後に興味を持たれた方など20名ほどの方がお集まりいただきました。
皆さん、真剣にお話を聞いてくださって、久々に説明会登場の後藤所長は張り切って、いっぱいお話しをしました。
私自身、説明会やオリエンテーションでお話をしていると、今までになく熱い想いの自分がいることに気がつきました。
戦後70年、いい悪い、是非はともかくとして、日本の社会が成熟するか、日本人そのものの成熟度が試される時期にきています。
そんな時期に、新井一の生誕百年、創立45周年がぶつかり、否が応でも、「創作する」「表現する」ということをとことん考えるチャンスに恵まれたからだと思います。
なんのためにシナリオ・センターを新井が創ったのか、シナリオ・センターは何を学ぶところなのか、シナリオでできることはなんなのか・・・。
結局突きつめると、シナリオ・センターのミッション「日本中の人にシナリオを書いてもらいたい」に行きつきます。
「シナリオ書いてもらいたい」書いてもらってどうしたいのかというと、個人個人が自分の頭で考え、想い、表現する力を持てるようにするということなんですね。
新井が、戦争中、軍部が配給の魚を横流ししていたことをリークして「事変惑乱罪」で捕まったお話はここでもさせていただきまたが、そのことを考えていた時に、新井自身が話したわけではないのですけれど、もしかしたら、1946年のここからシナリオ・センターは生まれたといってもいいのではないかと思いました。
その時の新井は、自分で考え、想い、表現することがいかに大切でそれができる社会でなければいけないと、自身の体験からひしひしと感じたからだと思うのです。
政治学者の丸山真男さんは、戦前どのようにして先の戦争に突入していったのかを「なんとなく、なにものかに押されつつ、ずるずると」と分析していらっしゃいます。
「なんとなく」わけもわからないまま、「なにものかに押されつつ」誰ともわからない誰かの言葉に惑わされて、何も考えないまま「ずるずると」という社会にならないためにも、シナリオを日本中の人に書いてもらいたい。
自分で考えて自分の言葉で、自分の想いを表現してほしいと強く思うのです。