しゃれおつなお店や人々が行きかう街、表参道。そこで働くシナリオ・センタースタッフの見たもの触れたものをご紹介します。
突撃代表インタビューの後編です。前篇の累積赤字の衝撃なんてなんのその。後編は、超いばらの道を歩んできたシナリオ・センターの姿が浮き彫りになっちゃいます。若干ひかれるのではないかと心配なシナリオ・センターの新井です。むしろ、プロジェクトXあたりで取り上げてほしい。
インタビュー前篇はこちらから
土下座?しましたよ。「すごいみじめだな」と思いましたね。 |
新井 | 累積赤字がそれだけあっても、46年目を迎えられたのは、代表様のお蔭ということで… |
小林 | センターが創立20周年の時だから赤字真っ只中の時。 |
新井 | 「借りまくりです」って…そんな開き直られても(笑)。 |
小林 | (笑)。借りる時も新井一は「困ったなぁ、※堀江君に借りようかな」と口では言うんですけど…。 ※堀江史朗…昭和57年広告代理店博報堂の副社長で退職後、シナリオ・センター最高顧問に就任。創立者の新井一とは親友であり、平成21年に95歳でなくなるまで、講義・ゼミなどに携わる。 |
新井 | …なるほど、暗に「頼んで欲しい」と(笑)。 |
小林 | そう。仕方なく、私が堀江先生に頼みました。そんな当時の経営はお金が入ると返してって、ずっと自転車操業。ハツカネズミみたいによく働きましたね。 |
新井 | 確かに、私が小学生くらいの時だから、1990年くらいはやせた気がする。 |
小林 | 今よりは…やせていましたね(笑)。 |
新井 | 3年!?元祖ブラック企業じゃない(笑) |
小林 | スタッフへの給与を払うと、もうなくなっちゃうんだもん。 |
新井 | ・・・・・・ |
小林 | 私は楽しくなかったよ。そんなわけがないでしょう。 |
新井 | そりゃ、そうだよね(笑)。おじいちゃんと後藤先生は良いだろうけど。二人は好きで「シナリオを広めたい」って始めたわけだから。 |
小林 | そうね。二人でシナリオを教えて「こうしよう、ああしよう」って楽しそうでしたよ。人の気も知らないで。 |
新井 | でも、そんな二人を尻目に自分はマネジメントしないといけないでしょう? |
小林 | そうね、憎たらしい時もあった(笑)。今でも覚えているのは南青山にシナリオ・センターがあって、家賃を9ヶ月分滞納した時のこと。 |
新井 | 9か月…。 |
小林 | さすがに不動産屋さんに呼び出されまして。 |
新井 | はい・・・ |
小林 | その時に新井一は「俺はいきたいくない」と(笑) |
新井 | (笑)。じゃあ、「誰が行くの?」と… |
小林 | 当然、私ですよ。他にいないですから(笑)。大体逃げるのよ、借金取りの時にあの人は(笑)。 |
新井 | まあまあ(笑)。 |
小林 | それで六本木まで不動産屋さんのいったわけです。足取り重く… |
新井 | それで? |
小林 | 謝られても困るって。 |
新井 | ほう。でも、払うこともできないし… |
小林 | そしたら、土下座しろって。 |
新井 | ん?土下座?? |
小林 | そう。土下座。 |
新井 | え!?したの、土下座? |
小林 | もちろん、土下座して謝りました。 |
新井 | そしたら? |
小林 | 「土下座されても困る」って! |
新井 | えぇ~!?せっかく土下座したのに? |
小林 | 「すごいみじめだな」と思いましたね。 |
新井 | いや、それはそうだよね。 |
小林 | 帰りに半分やけになって、六本木の有名な高いおそば屋さんに寄って一番高い天ぷらそばを食べて。 |
新井 | お金ないんでしょう(笑)。 |
小林 | ない(笑)。 |
新井 | 泣けるわ~それは、泣ける。泣いちゃうよ。そば、しょっぱくなっちゃう。 |
小林 | それで、とぼとぼ歩いて帰ったら、新井一が笑って「ご苦労さん」って(笑)。 |
新井 | えっ、一言なの(笑)。家賃は結局どうなったの? |
小林 | 小刻みに払って、ちゃんと完済しましたね。 |
新井 | 昔の事とはいえ、本当に大変だったんだねぇ。 |
小林 | でも、印刷屋さんもそうだったけど、コツコツ返していたので信じてくれて我慢してくれた。ありがたいことです。それがなかったらつぶれていたよ。 |
新井 | (笑)。まあまあ、そこまで言わなくたって。 |
小林 | でも「シナリオを広めたいから全国行脚したい」って思ったら、北海道、仙台、大阪、岡山、福岡って行くわけです。行く先々で100人くらいの会場を抑えても、集まるのが5人とか6人。そう思わないとやっていられないでしょう(笑)。 |
新井 | あ、それ後藤先生も前のインタビューで話してた。 |
小林 | だから、新井一に比べると私の経営は特別なことをしていないんです。家計簿と同じように地道にコツコツと、ですね。それに45年も続けられているのは「シナリオを教えたい」「シナリオを教えることが楽しい」と後藤先生をはじめ、講師たちに思ってもらえていることです。 |
新井 | 本当講師たちに「生き甲斐にしてもらえてる」からこそ支えられているよね。きっと、ある種の新井一化が起きるんだろうね。どこかの瞬間で。 |
小林 | そうですね。私は全く楽しくなかったですけどね(笑)。 |
新井 | でも、そこから盛り返したわけじゃない?1996年くらいから。 |
小林 | それはね、たまたま時代がトレンディドラマ全盛時代になったんです。赤字の会社を立て直せたことは、私の手腕のように言われるけど、ただの「運」! |
新井 | それくらいから、恰幅も良くなられて(笑) |
小林 | そう。みんながリアルタイムでテレビドラマを見ている時代。 それからバブルが崩壊して、家賃が下がったので今のところに移ったんです。 その前は青山通りはさんでスパイラルホールの裏でした。その3.4年後に新井一は亡くなったんですね。 |
新井 | ずっと赤字続きだったシナリオ・センターが、ようやく活気づいたところで亡くなったんだね。 |
小林 | そうですね。一棟借できた時はすごく喜んでいた。前はマンションの部屋だったからね。 本人は最後まで「どうやったら、全員がプロになれるんだろう」と考えていましたね。直前まで講義も試行錯誤していましたから。 |
新井 | 生涯シナリオを教えることに捧げていたんだね。 |
小林 | まずは「ドラマってこんなに面白いんだ」ってことがあったと思いますよね。もうひとつ大きな想いは「日本中の人に自分の想いや考えを表現出来るようになって欲しかった」というのもあります。 |
新井 | やっぱり、日本人が何も考えず、雰囲気に流されたのは、どうしてなんだろうってことがあるのかな? |
小林 | そうだね。「自分の想いや考えを表現できる人が多ければ、あんな戦争になることにはならなかっただろう」って思っていたでしょうから。それに、自分自身がドラマを作ることで「社会を見る目、人を見る目、ものを見る目」が自然と培われたことを実感していたんでしょうね。 それを考えられたのが、目の前にいらっしゃる副社長「新井一樹」さんで~す(笑)。 |
新井 | いやいや(笑)。 |
小林 | そうね。こういう世の中になってきて、シナリオの伝える力とか、すべての登場人物を想像する他者への想像力とかが大切な気がするから、私もシナリオに関わるのが楽しくなってきたかな。 |
新井 | 確かにありがたいことに、「一億人のシナリオプロジェクト。」でいろんな企業にも研修をさせて頂いてますが…。会社の営業研修をしていても、「お客様のことを今まで考えているようで、考えていなかった」と言われる事が多いから。 そういう意味では「シナリオの技術を活用する事で、もっと想像力が身に付けられるんだ」ってことを知ってもらいたいですね。きっと仕事だけじゃなくて、家族・友達まで想像することにつながって普段の生活ももっと豊かになると思うんです。 |
小林 | そうですね。世の中全ての人が、何かしらを伝えたいわけじゃない? |
新井 | 本当にそうだね。 |
小林 | (笑)。それは…次世代の経営者であるあなた次第じゃないですかね(笑)。 |
新井 | 確かにね。そこまでして続けてきたシナリオ・センターなわけだから、これからもより多くの人にシナリオを書く喜び、ドラマを作る楽しさを味わってもらいたいね。 |
小林 | もちろんですとも! |
「シナリオを多くの人に書いてもらいたい」という思い、そのための波乱万丈。よく46年目を迎えられたなと思います。もう、個人的にはただ一言、私は土下座したくないなっと。そのために、頑張らなきゃという前向きな年頭になったシナリオ・センターの新井でした。