シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
3月11日、シナリオ・センター代表の小林です。多くの犠牲者を出した東日本大震災から5年の月日が経ちました。
各地で追悼行事が行われています。 東京では、天皇皇后陛下をお迎えして、政府が追悼式を行っています。
病のお身体をおして被災地に何度もご自身の要望で励ましに出向かれる天皇陛下のお言葉は、心に響くのに、安倍首相の言葉は空々しく響くのはなぜでしょう。
東北に顔をむけていないことが、如実にわかってしまっているからでしょうね。
どんなに言葉を尽くしても、おざなりの気持ちは他人に伝わりません。
復興という掛け声だけで、被災者の方々の心に寄り添っていない国のやり口は、すべての国民を傷つけているだけです。
千年にあるかないかという大きな地震は、これ以上の災害はありえないのではないかと思うほど広い地域で起きました。
たくさんの方の命を奪い、家や生活を奪い、避難を余儀なくし、5年経った今も、何も解決しないまま、まだその傷はいえるどころかどんどん深い傷になっています。
カウンセラーの友人は、精神の荒廃は年々増していると心配しています。
「がっかりして、残念で、くだらなくて、失望して悔しくて。何のために、あの事故はあったのだろう」大熊町の女性の言葉です。(広河隆一「写真記録 チェルノブイリと福島 人々に何が起きたのか」より)
福島の大熊町に住んでいた女性は、事故後わけもわからぬまま避難させられ、すぐに帰れると思っていたのに帰宅の日はきません。帰宅困難地域に指定され、やがて中間貯蔵庫になります。
地震津波という大災害に、原発事故という人災も加わった福島の声は悲痛です。
東日本大震災後、日本は変わると思われました。
5年経っても、変わらない。
人の痛み、被災者の痛みは、自分の痛みではないからです。
考え方見方はいろいろあるでしょう。
同じ災害にあっても頑張れる人もいれば、折れてしまう人もいます。
心から応援したい、手助けしたい人もいれば、利権が自分だけが大事な人もいます。様々な人がいます。すべての人が違います。
でも、ちょっとだけ想像力を働かせてください。
行方不明の家族がいることが、狭い仮設住宅でまだ暮らしていることが、二度と故郷に戻れないことが、故郷から遠く離れて避難していることが、家族と離ればなれになっていることが、将来の見通しもなく暮らしていることが、家も仕事もなくなってしまったことが・・・もし自分だったらと想像してみてください。
もちろん、すべての人と同じ気持ちになれることはありえません。
でも、少しだけ、心に寄り添えるかもしれません。
みんなが100%満足いくことはないけれど、他人の気持ちを想像する力があれば、想像する人が増えれば増えるほど何かが変わるはずです。
お上は、変わる気も変える気もありません。他人の話を聴く力も想像する力もありません。
だからと言って、絶望せずにひとりひとりの想像力を重ね合わせて、小さなことからでも変えていきましょう。
想像力には、創造を生む力がありますから。