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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

Nさんの死

シナリオ・センター代表の小林です。事務局へ突然Nさんのお母様からお電話をいただきました。
通信生だったNさんの訃報でした。
お母様がNさんの遺品を整理していらして、シナリオ・センターで学ばれていたことを知り、なにか作品とかが残っていないかとのお訊ねの電話をしていらしたのでした。

若いスタッフは、Nさんのことを知りませんでした。なぜならNさんは、15年前の受講生でいらしたからです。
確か、基礎は、17年前に亡くなった新井一が担当していたと思います。 それほど昔の方でした。ですが、なぜでしょう。前田編集長、大塚、私も、Nさんのことは、よく覚えていました。
地方在住で、お体が少し不自由でいらしたので通信講座を受講されていましたが、とても熱心な男性で、夏期合宿(現在のサマーセミナー)にも、何回か松葉杖で参加されていました。
コンクールには積極的に挑戦され、新人シナリオコンクールなどにも入選され、月刊シナリオ教室で、インタビューもさせていただきました。
新井教室
お電話をいただいた前の日、たまたま私は、新井一の遺した原稿を探そうと、月刊シナリオ教室のバックナンバーの合本をめくっていました。
その時に、Nさんのコンクール作品と写真が目に留まりました。
Nさんの写真を見て、懐かしいな、どうなさっているのかなと思いながら、ペラペラ流し読みをしていたのです。 

次の日、お母様からのお電話。事務局のスタッフに「小林さん、昔の生徒さんでNさんという方ご存知でしょうか」と訊ねられたとき、思わず昨日の写真のお姿が思い浮かんでびっくりしました。
「もちろん、知っているわよ」、そばにいた前田編集長も、「あ、あのNさんですよね」と。

まだ50代で亡くなられたとのことで、お母様のお哀しみはいかばかりかと思いました。すぐに探しました。
するとまたまた奇跡的に、Nさんの作品が出ている月刊シナリオ教室が合本だけでなく、何冊かバックナンバーとして保存していた中にあり、お母様にお送りすることができたのです。
神様も仏様もチャンといらっしゃるのだなあと無神論者の私が思ったほどの奇遇でした。

Nさんのことを常に思い出していたわけではありません。15年も前に卒業された方ですしね。 でも、人と人とのつながりは、こうしてシナリオというものを通して、綿々とつながっているものなのだとしみじみ思わされた本日でした。

Nさんのご冥福をお祈りしております。

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