しゃれおつなお店や人々が行きかう街、表参道。そこで働くシナリオ・センタースタッフの見たもの触れたものをご紹介します。
思った以上に「幸せ!ボンビーガール」でシナリオ・センターが取り上げられていたので、ちょっとびっくりしているシナリオ・センターの新井です。
5/31(火)放送の「幸せ!ボンビーガール」はご覧になりましたか?
若かりしころに、映画館で脚本家の文字を目にし、「脚本家になろうと!」とシナリオ・センターにお越しになった蛭子さんのお話でした。
蛭子さんには申し訳ないのですが、番組でシナリオ・センター代表がコメントしていたように「記録にも、記憶にも残っていない…」と。蛭子さん、ごめんなさい。
更に驚いたことに、番組に出演されていた劇団ひとりさんが、シナリオ・センターの映像が映るなり
「あ、俺が通ってた学校だ!」
とおっしゃったことです。
劇団ひとりさんも通ってたなんて話、初耳です。劇団ひとりさんは、シナリオ・センターの出身ライターが方々が紹介されている時に「えぇ~橋部敦子さんもなの!」と驚かれていました。橋部さんは、劇団ひとりさん原作の映画『青天の霹靂』の脚本を書かれています。シナリオ・センターという共通項があって、びっくりされたようです。まさに、青天の霹靂!
劇団ひとりさんは、すでに芸人を始めていた16歳のころにシナリオ・センターに通っていたそうです。番組の中では、「お笑いも映画もできましたけど!」と自慢げにおっしゃっていました。
ただ、シナリオ・センターには…記録にも、記憶にも残っていませんでした。劇団ひとりさん、ごめんなさい。おそらく、いまのように受講生管理のデータベースができる前だったのだと思います。
「幸せ!ボンビーガール」の中では、「蛭子さんのこと、誰も憶えてないなんて…」とおっしゃっていましたが、それはもう勘弁してください。だって、当時は誰も、あの蛭子能収さんだと思ってないわけですし。それは、劇団ひとりさんも同じです。
誰だってはじめは、無名の初心者ですからね。
これから皆さんもプロになって、「実は私もシナリオ・センターで勉強してたんです!」なんて言ってもらえたらうれしいですね。じゃんじゃん、シナリオ・センターを踏み台にしてください。映画『青天の霹靂』には、かなりグッときていたシナリオ・センターの新井でした。
シナリオ・センター代表 小林幸恵 著 BookBeyond http://bit.ly/Ue2KM7 | ||
シナリオ・センター 堀江史朗 著 BookBeyond http://bit.ly/1kE1pb3『ラジオドラマの書き方』ラジオドラマの第一人者である堀江史朗氏による『ラジオドラマの書き方』。
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