シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。先週末は、東京はすごしやすい陽気でした。すっかり昼間の散歩拒否になっていたはるも、珍しく積極的に行こうと誘ってきました。それでも、地面は結構熱い。靴を履かせたらという友達もいますが、柴犬には下駄ならともかく靴は似合わない。(笑)
今日は、給料日です。シナリオ・センターは人間関係のほとんどがアナログで、お月謝もカウンターでいただく方式ですし、お給料も直接手渡しなのです。
これは、シナリオ・センターのポリシーで、人と人の間を大切にしていきたい、人間を描くシナリオを教えているところだからこそ人との関わりを大事にしたいという新井一の気持ちから生まれたものです。
そんな新井が敬愛していた野田高梧先生の記念館が昨日オープンしました。
場所は、野田先生が、日本映画の黄金期を担った小津安二郎督初め多くの映画人を招いた蓼科高原。「野田高梧記念蓼科シナリオ研究所(新・雲呼荘)」先生が遺された膨大な資料を保存、公開されるそうです。
野田高梧(1893~1968)先生は、小津監督とともに素晴らしい映画のシナリオを作ってきました。研究所は、築25年ほどの木造平屋建てで、野田先生の奥様が晩年過ごされたところだそうです。
野田高梧の年表、雲呼荘を訪れた映画人や地元の人々がパネルで紹介され、日記や脚本の原本も展示されています。蓼科や小津を野田が撮影した8ミリフィルムを修復し、テレビで放映もされているそうです。 膨大な量の資料が残っているため、まだまだ整理がつかないそうですが、貴重な台本や直筆の原稿などを閲覧することができます。お問い合わせは、0266-67-2058
水曜日休館で、午前10時から4時まで。入館料400円です。
夏休みに避暑も兼ねて、日本映画の黄金期を築いた方々の足跡を訪ねてみるのも刺激になることでしょう。
なにより嬉しいのは同時に絶版となっていた野田高梧著「シナリオ構造論」(1952年初版)が、フィルムアート社によって復刊されたことです。
シナリオ技術のバイブルとして、新井も大事にしていた本でした。
小津組の脚本家として、「晩春」「麦秋」「秋刀魚の味」「東京物語」等数々の名作を創り出してきた野田高梧のシナリオ論は、脚本家を目指される方にはご一読をお勧めします。