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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

見えていないものを想像する

シナリオ・センター代表の小林です。昨日は、ミソ帳倶楽部で坂口理子さんがお見えになり、時を同じくして、羽ノ浦和美さんがおいでくださいました。今日の日記はちょっと長くなりそうです。(笑)
 しあわせなら手をたたこう

羽ノ浦さんは、7月31日日曜日午後7時から放映の、NHK戦後71年夏のスペシャルドラマ~BS1スペシャル「幸せなら手をたたこう~名曲誕生の知られざる物語」~を執筆されました。
しかも、書かれた
だけではなくドキュメンタリーパートのインタビュアーとして、またナレーションも担当いらっしゃるそうです。

「幸せなら手をたたこう」は、1964年東京オリンピックの頃坂本九さんが歌い、大ヒット、誰でもが知っている世界中に愛される名曲となりました。
この曲の作詞をされた方が、なんとご親戚のおじ様木下利人さん(現在82歳)だったということを知った羽ノ浦さんは、この名曲が生まれた驚きの経緯をおじ様から聴かれ、多く人に伝えたいとフィリピンまで取材に行き、ドラマの脚本を描きました。

1959年、大学院生だった利人さんはフィリピンに農村復興ボランティアとして参加。終戦から14年経って訪れたにも関わらず反日感情に溢れていました。
太平洋戦争で、日米の激戦地となったフィリピンでは100万人以上の無辜の民が戦闘に巻き込まれて犠牲になったからです。
そんな状況の中でボランティア活動を真摯に続けるうちに、お互いを理解するようになり、戦争で心に傷を負った青年が言いました。
「僕たち友達になろう。そして二度と戦争が起こらないようにしよう」
この歌は、利人さんと損青年の「平和の誓い」から誕生したのでした。 

無名の学生の歌を国民的人気歌手坂本九さんが歌うという巡り合わせも含めて、ドラマとドキュメンタリーとで綴った平和への歌「幸せなら手をたたこう」ができました。
羽ノ浦さんは、あらゆる角度から描かれ、インタビューとしてナレーターとして心を込めて視聴者のみなさんに、フィリピンの人々との「平和の誓い」を伝えていきます。
日本が何をしてきたか、何をすべきかを考えさせるドラマでもあります。是非ご覧ください。

坂口理子ミソ帳

昨日、ミソ帳倶楽部で坂口理子さんに、シナリオが実際にどういう映像になったかを教えていただきました。
シナリオライターはなにをすべきか「シーンを描く」のだということがとても明確に伝わってきて、とてもよい講義でした。
もうひとつ「いとの森の家」で樹木希林さんに「もっとチャンと書いて!」と言われて、踏み込んで書き直したというお話には、脚本家としての姿勢を問われる大事なことだと思いました。

樹木希林さんが告白するシーンです。(相手役のセリフは抜いています)
おハルさん「戦争は人の持つ善悪の価値観まで変えてしまいます」
「私はアメリカに渡っても、日本という国を大切に思い、戦争が始っても自分は日本国民だという思いで日本に味方していました。ところが・・・ある日、収容所で仲良くしていたご夫妻が、息子さんをアメリカ兵として出兵させたのです」
「二世の息子さんの国籍はアメリカ国籍でしたから。ですが、日本に味方する人たちはみんな、その御夫婦をアメリカの犬と罵るようになりました。もちろん、私も」
「それだけではありません。家の前に糞を撒いたり、死んだ蛇を置いたりして嫌がらせをしたんです。そして、墓穴を掘って「日本への反逆者」と書いた墓石を建てたりしました。その墓穴を掘ったのは私です」
「恐ろしいことですが、当時はそれが正しいことだと信じていたのです。悪いのは心変わりしたあの人たちなのだと思い、これっぽっちも疑いませんでした。・・・でも、今思えば、差別し、いじめることで自分のことを守っていたのだと思います」
「やがてご夫妻は過激な人たちに暴力を振るわれるまでになり、ある日、自ら命を絶たれました。戦争が終わるのを待たずに」
「戦争が終わって、私は急に自分のしたことが怖くなり、逃げるように日本に戻ってきました。でも、収容所の粗末な小屋の柱に紐をかけ、二人揃って首を吊っていたその姿が、どうしても忘れられないのです」
「・・・私は、人を殺めたのも同然です」
樹木希林さんの内面から吐露したようなセリフに、坂口さんは自分が描いたセリフとは思えないほど圧倒されたそうです。

坂口理子さんは最後に、「シナリオは魔法です。こんなカッコいい人がいたらいいなあと書くと、なんとその人が映像に出てくれるんです。でも、呪文を唱えるだけでなく、ちゃんと映像までもこぎつけて、叶えてください」

脚本家は、ストーリーテーラーではありません。目が離せないシーンを描く映像のプロです。そのためには、豊かな想像力と大きな作家の目をもって、シナリオを描くことこそが、ドラマを豊かなものにするのだと思います。

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