子どもからお年寄りまで、すべての人にシナリオの力を!
あなたの毎日に役立つシナリオの活用例がここにあります。
シナリオ・センターでは2016年4月から月間でシナリオの技術をご紹介する「次の一手!」を開始!
「次の一手」とは、創設者・新井一が遺したシナリオの技術に関する言葉をドドンッ!ご紹介。
何気に描く物語。
シナリオ・センターの課題シナリオ。
コンクール応募作。
書く時に、思い出してみてください。
「なんとなーく面白いシナリオができあがった」を、
「だから面白いシナリオができたんだ!」にするために。
「次の一手!」は1階事務局の掲示板にもドドンと掲示中です。
お気軽にお越しください。
9月の「次の一手!」はこちら!
「 栗ようかん どこから切るか 」
どこから始めるか。
これは最も適当なところから始めなければならないということです。
<女の一生>も、実際は<オギャア>と生まれてから、涙ながらお棺に入るまでが人間の一生です。
その人の年齢にもよりますが、実に八八年間かかるわけです。
それを一時間四〇分か、高々二時間の間に見せなければなりません。
(中略)さて、その選び方ですが、非近な例をとって話をすすめましょう。
それは、ちょうど栗ようかんをどこから切るかということと同じようです。
上の絵は栗ようかんですが、Bの切り口では、右から見た場合、栗がありませんからだめです。
Aのところから切った場合は、栗がちょうど包丁にひっかかり、栗がはっきりわかって栗ようかんだなとわかります。
つまり栗(事件、あるいは感情)のあるところから始まる(切り口)と、栗ようかんの特徴がいきなり説明される結果となります。
栗ようかんのお客は栗のあることを期待しているのです。
ですから、お客の求めるところから出なくてはなりません。これは大事なことなのです。
よくファーストシーンがもたもたしている脚本があります。プロはこれを<水っぽい>といいます。
つまり水で薄まった感じがするのです。
その場合、ファーストシーンのもってくるところが間違っているのです。
どう間違っているかというと、話が遠いのです。
新井 一
(「シナリオの基礎技術」(ダヴィット社)より抜粋)