シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。青空を見ながら、遠く沖縄、九州の空を想像してしまいます。今日も大気不安定とかで各地で大雨とか。
沖縄では台風だけでなく、米軍・政府とも戦っているし・・・残暑はとてもきつそうです。
11年前に生徒さんでいらした森田創さんが、テレビドラマの創設を描いたノンフィクションを書かれました。これが、とても面白い。
もちろん戦前のお話ですが、今の時代を映し出しているようで、とても興味深く読みました。
テレビの放送史は1953年(昭和28年)「JOAK-TVこちらはNHK東京テレビジョンであります」の一声から始まったのは、多くの方が御存じのことと思いますが、それより10数年前に実は1940年(昭和15年)にテレビドラマが放送されていたのです。
森田創さん著「紀元2600年のテレビドラマ」(講談社刊)
紀元2600年ってご存知ですか。神武天皇即位から数えた年号なのです。
西暦1940年がその年に当たり、テレビの実用化は、祝賀記念行事に向け官民挙げての「国家プロジェクト」でした。
「NHK放送技術研究所のスタジオにたつ100メートルのテレビ塔から、上野不忍池の産業館と日本橋三越に向って、無線電波を発射している。」
読みながら、北朝鮮のミサイル発射みたいだなあと(笑)・・・テレビの草創期はそれほどのことだったのですね、放映するということが。
この時放送されたのがテレビドラマ「夕餉前」。
女優の岩下志麻さんのお父さん野々村潔さんら3人の出演者で行われた12分のホームドラマです。
1万ルクスの強烈な照明で、野々村さんの髪の毛や着物が焼けたという撮影エピソードも興味深いものですが、戦争の足音が聞こえる中、現場のスタッフたちがこのドラマの中で体制や時代にあらがい、新しいメディア「テレビ」というものに、その反骨精神を、情熱を注ぎこもうとしていたということがすばらしいと思うのです。
しかし、次の年12月8日、日本は真珠湾攻撃を図り、太平洋戦争へと走り始めたのでした。
多くの人たちに遠くにいても見られる、共に楽しめるテレビをと開発してきた人々の思惑とは別に日米開戦後は軍事目的に転用され、敗戦後、しばらくは占領軍がテレビの実用化を止めていたそうです。テレビの実用化は、それから十数年後でした。
昨今のメディアに関わる方々は、この本を読んでいただきたいと思いました。
森田さんは、今だからこそ書きたかったとおっしゃっていました。
初心に戻って、メディアはいかにあるべきか、安易に迎合せずに、反骨精神とみずからが時代を切り拓くという大事な精神と情熱を、この本から受け取ってほしいのです。
メディアを担うものの精神を、もう一度見直し、肝に命じて欲しいと願います。