「次の一手」とは、創設者・新井一が遺したシナリオの技術に関する言葉をドドンッ!ご紹介。
何気に描く物語。
シナリオ・センターの課題シナリオ。
コンクール応募作。
書く時に、思い出してみてください。
「なんとなーく面白いシナリオができあがった」を、
「だから面白いシナリオができたんだ!」にするために。
「次の一手!」は1階事務局の掲示板にもドドンと掲示中です。
お気軽にお越しください。
10月の「次の一手!」はこちら!
「 ピカソも デッサン 」
現代絵画の巨匠ピカソも、世間に発表されているようなもの、
例えば「ゲルニカ」のような、トラックでは運べないような大作を、いきなり、最初から書いてはいません。
常日頃は、非常にリアルなタッチでデッサンをしています。
あの位の巨匠になっても、デッサンを続けているのです。
巷間では死ぬまでデッサンを書き続けていたと言われています。
そのデッサンということは一体どういうことなのでしょうか。
デッサンは、木炭紙の上に、鉛筆などの簡単な筆記具で、
リンゴとか人物の手とか、肘だとかを書きますね。
何が、巨匠をして最後まで書かしたのでしょう。
デッサンとは、常に対象物を見つめる、そしてその対象物を正確にとらえ、
そのとらえた対象物を、正確に紙の上に再現する仕事です。
正確にとらえる、と言いましたが、実は簡単なようで、なかなか正確にはとらえられないものです。
リンゴのように動かないものでも、再現するために見つめるとなると、おいそれとは行かないものです。
まして、ドラマで世の中の動き、登場人物の心理など、正確と思っても正確にはならないものです。
なぜならば、デッサンをやるのだからと言っても、人間には先入観、既成概念といったものがあり、
そのままの正確さは難しいのです。難しいからやるのです。
そして、この線だなと頭にイメージ化したものを、今度は、自分の頭に浮かんだ線を紙に、
これ又いかに正確に書けるか、実際に書いてみるのです。
目から腕です。
この場合、デッサンでは別に色をつけません。姿をはっきりと見極めることが、この場合必要だからです。
二十枚シナリオはデッサンです。
いきなり商品にするものでもありませんし、発表を本番とするものではありません。
自分の眼がしっかりと人間を、
人生を見つめるためのその特長を正確にとらえるための手段であり、稽古です。
その正確につかんだ人間というもの、または生活などを観念的な眼や頭でなく、
腕で描写するためのものです。
いつも生活している生活さえ、実ははっきりつかんでいないものなのです。
新井 一
(「二十枚シナリオの学習方法について」より抜粋)