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しゃれおつなお店や人々が行きかう街、表参道。そこで働くシナリオ・センタースタッフの見たもの触れたものをご紹介します。

「センターに来て新しい人生が始まった」【突撃講師インタビュー!紺野講師・後編】

突撃講師インタビュー。今回は、シナリオ通信講座を担当する紺野講師です。旦那さんに「投資して」から始まったシナリオ・センターでの生徒生活。そこからどんな風に紺野先生がシナリオ・センターでの日々を楽しんだのか、不良主婦への道のお話です。

講師インタビュー紺野講師:前篇はこちらから

私はシナリオ・センターにきた時から、また新しい人生が始まったような。『私はシナリオ・センターと同じ46歳なんだ』ってそう思うんです。

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新井

通ってみて、生徒さん同士のつながりとか、交流ってありました?

紺野

みんな仲良かったですよ。修了しても、8期生で「八の会」という集まりを作りました。ペンションを借りてシナリオ合宿をしたり、カップルが出来ると応援したりね。

新井

へぇ~いまもゼミの方々はみんな仲良しですしね。ゼミ生の仲の良さって独特ですからね。

紺野

私たち8期に、同じく講師になった中島先生がいてね。彼女が仕切ってねぇ。彼女は、いつも一番前の席でタバコを吸いながら講義聞いていました。当時は教室の灰皿が机に上に置いてありましたから。

新井

「灰皿が机に」。時代ですねぇ…今だと考えられない(笑)。そういえば、講師も吸いながら講義をしていたって聞いたことあります。新井一は吸っていたのかな?

紺野

新井先生は甘いものが専門でしたね(笑)。あの頃は本当に喫煙者が多くて。私もシナリオ・センターに来るようになって、タバコを覚えました。

新井

あれ?一気に、不良主婦じゃないですか。(笑)

紺野

ええ。タバコは夫には内緒にしていましたが(笑)。
中島先生とはお亡くなりになるまでずっと付き合いがあって。よく相談にのってもらいました。夫や息子が亡くなったとき、私の母の三回忌と新井先生の命日が一緒になって葬儀に参加出来なくなった時も話を聞いてもらったりしてねぇ…。

新井 

生涯の友ができたんですね。

紺野

そうですね。よく中島先生といろんな話をしていました。「新井先生ってパワフルな方だよね」とか。それだけに「新井先生が病気になられた」って知った時はびっくりしましたよ。

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新井

「パワフル」ですか。なにか覚えている事あります?

紺野

一つは先ほどお話したように、全身を使った講義。あと、覚えているのは「やろう」と決めたらパッと動くところですね。印象的なのは、夫の転勤で仙台に行くことになって、「これからはゼミに出られなくなる」って話を担当の先生に相談していたら、新井先生がちょうど教室に入ってらして。「だったら、仙台にも教室つくろうよ」って。それはよく覚えています。

新井

ああ、それは僕も知っている大赤字になったヤツだ(笑)。
大がかりなこと、その場で簡単に決めちゃうんですね。

紺野

びっくりしましたよ(笑)。

もっと上手く宣伝すれば良かったって後悔しています。借りた施設のビルにチラシを張ったくらいですからね。英会話とかスイミングスクールとか、施設利用している人しか知りようがなかった。

新井

それじゃあ集まらないのも無理ないですね(笑)。人数としてはどれくらい受けていたんですか?

紺野

20人も集まりませんでした。

新井

でも、それだけ集まったんですね。100人のホールを押えて、集まったのが3人なんて。そんな話も聞いた事ありますから。20人いれば、集まったほ…うではないか(笑)。

紺野

全然ですよ(笑)。でも、新井先生はその20人のために3ヶ月くらい新幹線で仙台まで通っていましたから。「座れなくて、東京から立ったまま、単行本一冊読破して気付いたら仙台だった」なんて仰っていたこともありました。それで、そのままシナリオを教えていましたからね。

新井へぇ…体力あるなぁ。ってか、きっちり赤字ですね。
紺野

新井先生は、商売っ気がなくて無欲な方でしたよね。きっと儲けることよりも、「シナリオを伝えたい」って、気持ちが強かったんですね。そういう意味でも、新井先生を越えられる人は出てこないだろうって思います。

新井

商売っ気がない…それって良い事なのかな?小林代表はいつも大変そうだったからなぁ…(笑)。

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紺野

(笑)。ウチの旦那は、いつも計算ずくでしたから。「計算で私と結婚したの?」なんて聞いたりして(笑)。

新井

(笑)。

お金にキッチリした銀行員の旦那さんと商売っ気のない新井一。コントラストがハッキリして面白いですね。

紺野

ああ、本当そうですね(笑)。でも、新井先生って、脚本家としてあれだけ作品を書いてこられたのに、ご自分の名前をほとんど出さないって。欲のない人だなぁって思いません?

新井

そうですねぇ…。

まあ、東宝の企画部長もやっていたからその兼ね合いで名前が出せないとか。色々あったんでしょうけど。でも、名前出る出ないで、印税がもらえるとか。色んなものがありますからね。そもそも『シナリオの基礎技術』を教えているのも、欲がないかも(笑)。

紺野

全部、種明かしをしていますからね。

新井

昔、脚本家の方がセンターの授業を見て、「よく、こんなにしっかり教えますね」っておっしゃってて。
たしかに脚本家の方からしたら、「景気よく商売敵を作んなよ」って感じかもしれませんね。受ける方としては、「なるほど」って思うんでしょうけどね。

新井一って、紺野先生かすると身近な存在のする先生でしたか?

紺野

うーん、身近というよりは‘みんなのお師匠さん’という感じでした。今日は、新井先生からたまたま頂いた本をお持ちしたんです。今まで何度も読んで、ボロボロですけど。キネマ旬報と映画人名簿。私の宝物です。

写真

新井

おお。すごい! テープで補強してありますね。

紺野

なんか、当時を思い出すとつい…うるうるしちゃいますよね。

 

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新井 

今はあんなイラストになっちゃってますけどね(笑)。

はじめちゃん
紺野 

良い絵ですよね(笑)。

私はシナリオ・センターにきた時から、また新しい人生が始まったような。「私はシナリオ・センターと同じ46歳なんだ」ってそう思うんです。新井先生や中島先生をはじめ、色んな人にも会う事が出来ましたし。何より自分の関わった生徒さんが頑張っていると幸せな気分になりますね。

新井 

「シナリオ」って、ずっと伸びしろがある世界ですしね。これから僕らもドンドンやっていくんで。引き続き、どうぞよろしくお願いします!

 

シナリオ・センターで、たばこを憶えた紺野先生。でも、かけがえのない仲間にも会えた紺野先生。なにより、シナリオにも。みなさんにとっても、シナリオ・センターが素敵な場所になってくれたら嬉しいです。そのために、講師も事務局も日々頑張っておりますので!

 

インタビュー構成:冨金原

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