シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センターの小林です。寒いですね。事務局の中もちっとも暖かくなりません。米子の友達が、雪に閉じ込められていることを思えば、ま、私の方がましだから、仕方がないかと思います。人は他人の不幸で自分の幸せを測ってしまうものなのでしょうか。 (笑)形として
先日、野田秀樹さんの「足跡姫」を観てきました。
片耳が聞こえなくなった私は、最近芝居を観るのもつらいときがあります。聞き取れないんですね、セリフが。特に、野田秀樹さんのお芝居は学生の頃から観ているのですが、野田さん独特の、高音でぺらぺら早口でしゃべる舞台声は、聞き取りにくくので、昨今は、観に行こうかどうか躊躇することがあります。結局は観に行くのですけれど。(笑)
でも、今回は、躊躇なく観に行くことにしました。
私の大好きな勘三郎さんへのオマージュだとおっしゃっていたからです。
勘三郎さんが亡くなった時の消失感はいまでも心の片隅に残っています。その後、勘三郎さんの分まで頑張るとおっしゃっていた三津五郎さんも亡くなり、あの華麗な舞い姿を観ることができなくなりました。
ここ数年、多くの歌舞伎の名優たちが相次いで去って行ったのでした。
十八代目中村勘三郎さんのオマージュとして創られたこの作品は、野田さんの歌舞伎を愛した人たちへの想い、かぶく者への想い、芝居に関わるものの覚悟みたいなものが表れていました。
野田さんのペラペラは残念ながら半分くらい聞き取れませんでしたが(笑)、心に沁みる舞台でした。
最後の場面では、勘三郎さんが立っているような気がして、泣きそうになりました。
肉体が生み出す芸術は残らない・・・でも、私の目には、勘三郎さんの「野田版 研辰の討たれ」や「鼠小僧」「俊寛」「夏祭浪花鑑」の勘三郎さんの姿はしっかりと残っています。
プログラムの中で志の輔さんと野田さんの対談が掲載されていました。落語も消えていくものですが、私の好きな志ん朝師匠、小さん師匠の声も仕草もやはり残っています。
形として残ることのない芸術だからこそ、記憶の底に残るものなのかもしれません。
いつか誰もが消えていくものだからこそ、すべての人の人生は美しい。どんな形でも、誰かの心の片隅に残っていくのだと思います。