シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。
シナリオ・センター代表の小林です。今日はバレンタインデーですが、悲しいお知らせをしなくてはなりません。
劇作家であり脚本家の森治美さんが、2月6日肺がんのためご逝去されました。享年68歳。
亡くなられて1週間以上たちますが、逝去の報を皆様にお伝えするのは、今日が初めてです。
森治美さんのご容態を、私に訊ねてくださった皆様、だましていてごめんなさい。
8日から12日まで公演された「記憶のパズル」という芝居が終わるまで、数人の者にしか知らせず、森治美の遺言で緘口令が敷かれていました。
ご主人も連日劇場で、辛い想いを胸に秘めながらニコニコと対応されていました。
森治美は、自分の舞台を観客の皆さんには楽しく見てもらいたかった、出演者の方々にはのびのび芝居をして欲しかったのです。
森治美の美学をご理解ただきたく思います。
森治美さんがシナリオ・センターに入られたのは、1978年でした。
現在シナリオ作家協会会長である加藤正人さんを子分のように使って(笑)、いつも陽気に大声でセンターにいらしている姿を今でも思いだします。
私とは、「シナリオフェア」というイベントを行った時にお手伝いくださって、それから急速に受講生、事務局の垣根を越えて仲良くなり、治美ちゃん、幸ちゃんと呼ぶ仲になりました。
もう40年近い月日が流れています。
元気な大声で、講座でもマイクは使いません。
異常なほどの暑がりで、冬でも素足に草履か下駄。
暑い暑いと冷房を北極圏もこれほどかというくらいガンガン効かせ、寒がりの私は、夏の同席はできる限り最小限にしていました。(笑)
オーディオドラマ講座の受講生の方々には、必ず羽織ものを持って授業に臨むようにお願いしなくてはいけませんでした。凍えてしまうほどの冷房でしたから。
その暑がりは身体だけではなく、心も熱く燃えていて、受講生に対して一人一人丁寧に添削し、質問に答え、慕われていました。
昨年の4月末、病院の帰りだと治美ちゃんがセンターを訪れました。その時、肺がんのステージⅣだと告げられました。
ご本人が一番気落ちしていたでしょうに、95歳のお母様のことを心配されて、私が先に逝くわけにはいかないと、他人には言わずにご主人と二人三脚で抗がん剤、放射線など治療を続けていました。
治療中も、抗がん剤を打っても全然気持ちも悪くないし、体力も落ちていないから大丈夫、2017年のスケジュールを入れてくれてOKだよと言われたほど元気でした。
私が芝居より治療だよと怒ったせいでしょうか、元気にみせていたのかもしれません。
1月、芝居の案内時に肺がんだということを、初めて公表にされました。
驚かれた方も多かったかと思います お芝居の本読みには元気な様子で出ていらしたということですが、肺に水が溜まり、そこから急速に悪化され、6日未明ご逝去されました。
森治美さんの遺志で、ご葬儀はせず、親しい方々に見送られて、天国へと旅立ちました。合掌。