私事ですが
シナリオ・センター代表の小林です。私事で恐縮ですが、昨日は義姉が突然亡くなり葬儀でお休みをいただきました。
実は3月には義妹を失くしており、連れ合いの3兄弟のうち、遺された嫁は私一人ということになりました。 半年間で二人の姉妹を亡くしたことは、本当につらいです。嫁連合を組んでいたほど仲が良かったのですが、もう連合も組むことが出来ません。
今年は、1月に藤本講師を、2月に出身ライターであり友人であった森治美を亡くし、3月の義妹、これで終わったのかと思っていたのに、9月なって義姉だけでなく、友人と恩師を亡くし、なんという年なのでしょうか。大声で叫びたいほど、どうにもならないほど気落ちしています。
人は誰もどんな人だって死んでいきます。
人は皆死に向かって生きているということの覚悟は持っているはずなのですが、感情というものはそう思うようにコントロールはできないようです。
昨日の「コードブルー」(CX)で、救命医の藤川を夫に持つ看護師の冴島が、藤川に救命医を辞めて欲しいといいます。
「大事な人をこれ以上失いたくない」というのが彼女の気持ちでした。 ものすごくわかりました。
遺された者の悲しみほどつらいものはありません。必ず後悔をしながら、想い出にすがってしまいます。
あの時、ああしていれば、こうしていれば、あの時、なんでやさしくできなかったんだろう、あの時、会えばよかったのに・・・次から次へと後悔の念が湧いてくるものです。
だからこそ、自分がどう生きるか、どう人と付き合っていくかということは、大事なのだと思います。
君の笑顔に会いたくて
先日、出身ライターの西井史子さんが、映画のチラシを持ってきてくださいました。
「君の笑顔に会いたくて」
11月の上映ですが、今日の私の気分に添っているようなお話なので、ちょっと早いですがご紹介したくなりました。
宮城県の名取市が舞台です。
2011年、この町の閖上地区は、壊滅に追い込まれました。
あの日から6年半。ですが、被災地の皆さんは、いまだに癒えることのない心の傷、帰ることのない人を待ち続けています。
津波で息子を失った保護司の香苗と息子の親友だった啓太の物語です。
「いいのか?オレなんかが生きてていいのか?」
このセリフは、表現は変わっても被災地でよくお聞きした言葉でした。
この映画は絶望と希望が描かれたお話です。絶望の先にはきっと希望があるはずと信じて。
西井さんは、2011年にも被災地を舞台にした「エクレール お菓子放浪記」を描かれ、フィルムには被災前の東北の姿が遺されています。
人は数字ではない
亡くなった方々は本当に悔しかったでしょう。遺された方々はその想いを一生背負いながら生きていくしかない、自分自身に問いかけながら・・・。
どんな歳月が流れても、心の傷は癒されることがありません。薄れることもありません。
戦争でも、御巣鷹山でも、阪神淡路大震災でも・・・どんなに時が流れようとです。
ですが、お国は、どんな時でも一人一人に痛みがあるというのに、そこでみるのは死者何千人という数字でしかなく、人の形はなく、時が過ぎれば忘れると思い込み、誰一人と寄り添うということがありません。
それが、古今東西変わらない国のあり方です。
浅田次郎さんの「終わらない夏」でも、山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」でも人の痛みのわからない国は数字でしか人を見ていないのです。
「ひよっこ」での「谷田実と言います。(略)ちゃんと名前があります。」というセリフは、私たちひとり一人の個として叫びです。
ひとり一人の気持ちを、叫びを伝えていけるのは、文化芸術こそができることです。
創作を目指す者は、常に人の痛みのわかるものでありたいと思います。