貧乏映画はお好き?
映画好きな友達の中に、「映画は貧乏物語に限る!」と力説する人がいる。
本人が結構リッチな奥さまなので、ちょっとアレな気はするが、「貧乏はドラマを生む。そこが魅力なの」という言葉には納得する。
貧しさが理由で人は争い、こじれ、離反する。反対に貧乏が核になって家族や恋人が結束したりもする。貧乏には洞察や諦念や笑い(貧乏ギャグ)も付いてくる。たしかに貧乏は人間ドラマを引き起こす大きな要素だし、映画だけでなく人生を深く味わうためには「必要条件」ですらある。
また貧乏は、社会を映す鏡という部分もある。
貧乏は個人の資質(働くことが嫌いなナマケモノさんとか家から一歩も出たくない恥ずかしがり屋さんとか)も原因になるとはいえ、やはり社会構造そのものが生み出す部分が多い。それなのに、さまざまな条件が重なって暮らして行けなくなった人々に、「ハイ、自己責任ね」と言い放つのって、あんまりだよね。
私が日本映画の監督で一番惹かれるのは成瀬巳喜男。映画評論家の淀川長治氏は「成瀬は好きか?」と聞かれ、即座に「いやよ、あんな貧乏くさい監督」と答えたそうだ。ヘン、私はそこが好きなんだよっ。
えーと、こんな短い文章の中に、貧乏という言葉を10回も使ってしまい失礼しました。
1990年に41歳で自死した作家・佐藤泰志の小説を原作にした「函館三部作」映画の3本目、「オーバー・フェンス」(2016/山下敦弘)について考えていたら、なぜかそうなってしまったのです。
(ここでの「貧乏」は、「収入が少なく生活が豊かではない」という客観的な状況、「清貧」に近い意味で言っているので、「政治的に正しくない発言(差別用語)」と取らないでいただきますよう、伏してお願い申し上げます。)
人生をあきらめた男と揺さぶる女
白岩義男(オダギリジョー)は妻や生まれたばかりの子どもと離別、東京から故郷の函館に帰って来た。失業保険を貰いつつ職業訓練校に通い、実家と連絡も取らずアパートで独り暮らしをしている。
同じ訓練校建築科の代島(松田翔太)に誘われキャバクラに行った義男は、そこで奇妙な「鳥の求愛ダンス」を踊るホステスの聰(蒼井優)と出会い、二人は惹かれあう。エキセントリックな聰と付き合ううち、人生をあきらめていた白岩の心に変化が生まれる。訓練校のソフトボール大会で、バッターボックスに立った白岩の目に映ったのは聰の姿だった…。
オダギリジョーという俳優って、顔もガタイもすごくいいのに、なぜかもひとつ印象が薄い。「ゆれる」、(06)「FOUJITA」(15)などの映画の主演もしてるけど、なぜかいつも「うわの空で演じてる」って感じがする。
しかしこの映画では、その「薄笑いしながら、横目使いで人生をやり過ごしている」というオダギリジョーの「感じ」が、主人公の白岩にピッタリ重なって、妙にリアリティーがある。
こんな白岩の心にズカズカ踏み込んで揺さぶる聰役の蒼井優は、情緒不安定な女性をうまく演じすぎ、ちょっと怖い。しかしこの役は、やはり彼女しか考えられない。
体を重ねたあと、聰は白岩に対し「そんな目で人のこと見ないで!見下さないでや!」と激昂する。窓ガラスを割り激しくいさかう迫真のシーンでは、蒼井優は俳優としてではなく、オダギリジョー本人の目つきに怒り狂っているように見え、思わず手に汗握ってしまった。
余談ですが、「ヤリマン」って、世の中で最も厭な言葉だと思いませんか。この映画でも必要なセリフだったのかもしれないけど、嫌悪感で身震いした。女性に対して最大の侮蔑の言葉として、今後ゼッタイ使うのをやめてほしい。作家のみなさま、ほんっとにホントニよろしくお願いします!!
※You Tube
CinemasNEWS 映画『オーバー・フェンス』予告編より
こんなはずではなかった人々
「オーバー・フェンス」の原作者、佐藤泰志の作品は不明にして読んだことがなく、2010年の「海炭市叙景」(熊切和義)を見て、初めてその存在を知った。
その後ドキュドラマ「書くことの重さ~作家佐藤泰志」(2013/稲塚秀孝)を見て「まさにあの時代の子じゃん」と身に沁みるように理解できた(顔は若い時の横山やすし似)。早熟な才能、ジャズ喫茶、学生運動、同人誌…こういう作家志望のヒト、まわりにいたいた…と思い出してしまった。
たいていサッサと就職し、結構出世したりしてるけどね。そうした器用な転換が出来ず、ただじっと時代と人を見つめ続け、書き続けてきた佐藤泰志には、怖いぐらいに時代の行き先が見えていたのかもしれない。
彼の作品を原作にして、個性が違う3人の監督が取り組んだ3つの映画に「金持ち」は出てこない。そこに登場するのは、懸命に人生と闘っているのに、いつの間にか「豊かな普通の人生」からはみ出し、「こんなはずではなかった…」と、呆然とする人々ばかりだ。
1作目の「海炭市叙景」では、造船所の閉鎖に象徴される日本の産業構造の転換が出て来る。容赦のないリストラが実行され、映画の中の兄妹のような大量の失業者が生まれた。市街地再開発のための立ち退きを迫られる高齢者や、夫の稼ぎだけの暮しが嫌で浮気に走る主婦など、日本の構造変化は、容赦なく(主に地方の)人々を踏みにじっていったことが実感できる。
2作目の「そこのみにて光り輝く」(2014/呉美保)では、やはり仕事のない地方都市の状況、家族に長く病む人が出た時の家庭の壊れ方、教育の欠如が若者に与える影響などがリアルに伝わる。
そして今回取り上げた「オーバー・フェンス」にもまた、ドラマの陰にいくつも社会構造の問題が見え隠れする。白岩の家庭が壊れた原因には、「夫は長時間労働で家庭に不在、それによって追いつめられた妻による幼児虐待」があったと想像できる。
職業訓練校の生徒たちのあまりのやる気のなさには「ここを卒業しても仕事などない。技術を学んでも空しい」という訓練生の絶望がある、働きたい人々に仕事が供給できないという、さらに進んだ地方都市の産業の衰退と、人の心の荒廃がある。
佐藤泰志が描いた見た4半世紀前の問題は、いまだに解決されないまま…というより進行してる。それを描き続けた彼はすごい作家だったし、その価値を見直し、映画化した人達を尊敬します。
改めて「貧乏映画」の面白さを実感したしね。
★こちらのコーナー、次回は12月の第1火曜日に掲載いたします★
映画『オーバー・フェンス』データ
上映時間:112分
製作年:2016年
製作国:日本
監督:山下敦弘
脚本:高田亮
配給:東京テアトル
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