自主映画から商業映画へ
簡単に自己紹介させていただきますと、劇場公開やレンタルで皆さんの目に触れる作品としては、『南極料理人』『キツツキと雨』、最近『横道世之介』が公開されたばかりです。
初めは、家にあったカメラを使って、遊びで撮っていました。映画と言っていいのかわからないくらいのものですね。
『横道世之介』の脚本を書いた前田司郎くんとは幼なじみで、中学時代に彼の別荘にスキーに行きました。そこに小型のビデオカメラがあって、「映画を撮ろう!」なんて話になった。
遊びで撮ったら面白かったんです。それがキッカケで、自分の家にあったカメラでも遊ぶようになりました。
大学に入ってから作品という形で撮ってみようと思い、脚本を書いたのが『オレガノキッチン』という40分くらいの8ミリ作品です。
僕は最初は自分が監督をできるとは思っていなくて、脚本ならひとりで書けるし……と思って書いてみたんですね。
内容は、母親が亡くなって、葬儀もすべて済んだあと、家に帰ってきた家族がその日の夕飯を作るという内容。最初に撮る映画にしてはかなり年寄り臭い(笑)。
以前母が入院した際に、家に母がいないと、誰も何もできないのが面白かった。
どれだけ母親に頼ってるんだと、小学生ながらに実感した体験が元になっています。
この作品は大学の友達とかに手伝ってもらって作ったんですけれども、技術はないし、あまり面白くなかったんですよね。
面白がってくれた人もいたんですが、僕としては全く納得できなくて。それで「もうダメだろう」と思ってしまいました。
大学卒業後は、ポジフィルムの現像のアルバイトをしていました。
ある時、友達の家で鍋を食べようということになった。鍋を囲みながら、「友達が多い人は鍋に詳しいよね」「友達がいない人って鍋が作れるのか」という話になり、ふと思いついたのが、「先生が登校拒否児3人を無理矢理友達にさせようと企て、鍋を囲ませる」というストーリー。
撮ることが前提だったので、あまりお金がかからないよう20分くらいの短編にして製作しました。ブラックユーモアの塊みたいな作品でした。
教師がいる間はぎこちない子供たちが、教師が席を外した途端にコミュニケーションを取り出すという流れは、脚本を書いている最中に思いつきました。
最初はまったく考えていなかったのに、自然とそういうエンディングに結びついたというか。
その感覚が、すごく僕としては面白かった。いい話を作ろうとして書くと大概失敗するんですよね。
自分が面白いと思うことは身の周りにしかなくて、身近な世界を短編映画にして残してきました。
初めて撮った長編映画は『このすばらしきせかい』という作品です。
ちょっと変わったいとこの叔父さんをモデルにして、フィクションにして書いていったら超面白かった。
このように、僕の自主映画は毎回自分の家が舞台になっていました。
そういう風に作っては人に見せ、作っては見せ……と繰り返しているうち、だんだん周りの人が仕事をくれるようになりました。
そのうち、幸運にもお金を出してくれる人が出てきて。
初めて撮ったのは『南極料理人』という作品です。
自主映画を観に来てくれたプロデューサーが、この映画の原作本を持ってきて「これ脚本にしてみてよ」と。
これはチャンスだと思いました。
ただですね、これまで自分の身近な世界を描いてきたのに、いきなり南極ドーム基地の話を書けと言われても、どう考えても無理なんですね(笑)。
仕事になると、自分と違う世界のことを書かなきゃいけないことが多くて、取材が必要になります。
取材はすごく楽しいし、好きですね。南極に実際に行った方にお会いして、いろんな話を聞いたんです。
そうしたら原作にないエピソードをたくさん聞くことができて、自分も詳しくなって、「こういうシーンを映画にしたい」と考えるようになりました。
『キツツキと雨』で林業従事者の方に話を聞いた時もそうでしたね。
取材を進めると話が膨らんで、キャラクターもできていくんです。