お店の対応
シナリオ・センター代表の小林です。昨日、柚木さんと原田さんとランチしたお店から電話がかかってきました。なにごとか・・・なんか忘れた?とか一瞬頭をよぎりましたが、そうではなくネックレスが落ちていたというご連絡でした。
ふと首元に手をやるとナイ!確かにナイ!私のネックレスがなぜか落ちていたらしいのです。
電話口では、とても親切に「お送りしましょうか」「いえいえ、そんなお手間は」「手間ではないですよ」「帰り道なのでいただきに行きます」「そうですか。では、何時でも大丈夫です。お待ちしています。」
そんなやりとりの後、9時過ぎに仕事を終えてお店によると、ちょうどドアから私たちを給仕してくれた男性がでてきました。
でも、その方は、私をみても挨拶もせず通り過ぎていきました。
お店にはいると、女性が飛び出してきて、「小林様、ご足労おかけしました」
金庫の中から「これでよろしいですか」と出してくださったのが、切り込みを入れたボール紙にネックレスが下げてあり、奇麗なイラスト入りの透明な袋に入っていました。
細いチェーンだったので、こんがらからないようにしてくださったのです。
「おつけしましょうか」「いえ、プレゼントをいただいたみたいで嬉しいのでこのまま持ち帰ります」「そういっていただけると嬉しいです。椅子の間に落ちていたので気が付くが遅くなって本当に申し訳ありません。お帰りになる前に気がつけばよかったのですが・・・」
久々に気持ちの良い素敵な応対に会いました。疲れも吹っ飛ぶような優しい笑顔の若いお嬢さんでした。
相手を思う気持ちがこの若いお嬢さんの対応からにじみ出ています。
長々と書きましたが、こうした心配りはなかなかできるものではありません。
相手に対する想像力がなければできないことです。 昨今、嘘つきに大言壮語の輩ばかりみているせいか、社会全体がごわごわしているような気がします。
ちょっと他人の気持ちになってみる。そんな人が増えたら、混んでいる電車でも、ベビーカーのお母さんにも、杖をついているお年寄りにも、優しくすることができるはず。
すれ違いざまの「ごめんなさい」とか「失礼」という言葉や、「ありがとう」「こんにちは」も自然と口をついて出てくるのではないでしょうか。
やさしい街東久留米
出身小説家の今映画「猫を抱くもの」の原作者として話題の大山淳子さんが「私だけの東京・2020に語り継ぐ」という6月20日の毎日新聞のコーナーで、ご自分の住んでいらっしゃる東久留米のお話しをされていいます。
子どもの頃お父様のお仕事で全国各地を転々とされ、ご両親は退職後東久留米に住まいを作りました。
その後離婚をされて、娘さんを連れて実家のある東久留米に帰られるのですが、ちょっと抜粋させていただきます。
『不本意な出戻りでしたが満開の桜が迎えてくれて、娘も「みんな学校で優しくしてくれる」とすぐになじんでいきました。保護者の職業も様々で公務員の方もいれば、魚屋さんもいる。農家の方が「大根抜いてきた」と言いながら授業参観に来る。その多様性、懐の深さが、本当にありがたかった。
その後パート先で今の夫と出会い、夫の母に「やりたいことをやりなさい」と背中を押されて、書く道に進むことができました。夫は自分の家を引き払い、東久留米に引っ越してくれたので、人生の第2章となった幸せな作家生活はすべてこの街が支えてくれています。(中略、野良猫が少なくなったお話しから)
都心部では、そんな窮屈な場所が増えているのでしょうか。結婚して子どもを産んだ娘が、家族で東久留米に引っ越してきました。「この街の人はやっぱり優しい」と娘は言います。(中略)
ベビーカーを押している時にちょっと手伝ってもらったり、スーパーで子供に声かけてもらったりといったような日々のふれあいがあります。
もしかしたら今はなくなりつつある昔の東京の姿が、まだ残っている街なのかもしれません。
いろいろな場所を転々としてきましたが、今ではすっかりこの街がふるさとになりました。きっと、もうここを離れることがないと思います。』
東久留米が大山さんの故郷に、終の棲家になるのは、街の人々の優しさにふれられたからです。
こうした、ちょっとした心遣い、ちょっとした言葉かけが人との結びつきを、気持ちの良いお付き合いを創っていくのです。
「相手を想う心を相像力といいます」と瀬戸内寂聴さんは仰っています。
想像力を広げて、やさしい社会が生まれると嬉しいのですが。