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代表 小林幸恵が毎日更新!
表参道シナリオ日記

シナリオ・センターの代表・小林幸恵が、出身ライターの活躍や業界動向から感じたことなど、2006年からほぼ毎日更新している日記です。

長い夏

橋本忍記念館

静かに溺れる

シナリオ・センター代表の小林です。今日の東京は、ここ数日から比べると涼しい・・・32度越えを涼しいと感じる自分が怖いとみんなで言い合っていました。
それなのに、午前中の研修の後、先週は歩くのも大変ですぐ近くのお寿司屋に飛び込んだのに、今日はちょっと足を延ばしてお店を探したりして・・・。
新井と浅田と三人で声を合わせて「今日は涼しいね」と1駅歩いてしまいました。
こういう時に熱中症になりやすいとのこと気をつけましょう。
ネットで「子供は静かに溺れる」というお医者様の話があり、こう暑いと水に入りたくなるし、海やプールお風呂などではくれぐれも気をつけてください。
子どもは声を上がることができないまま溺れるのだそうです。
夏は、水の事故が増えます。

文化芸術

今月19日橋本忍さんが亡くなり、ニューヨークタイムズは大きく取り上げていたのに、日本のマスコミはさほど大きく取り上げていないと・・・業界の中で残念に思う声がたくさん上がっています。
しみじみ日本は、文化果つる国だと思います。フランスの爪の垢でも飲んでほしい。(笑)

脚本家を目指す者で、橋本忍さんを知らない方はいらっしゃらないでしょう。
黒澤明監督の作品を数々書かれていらっしゃることは有名ですが、それ以上に多くの監督とともに名作を生み出されてきました。
もちろん一番に挙げられるのは「羅生門」(50)でしょう。
さすがの私も生まれる前の作品ですが、何度も拝見しました。
こういう脚本は生半可な人間には書けないなあと何度見ても思わされます。橋本忍さん32歳の時の作品ですけれど・・・。すごい。

今さら作品を連ねることもありませんが、黒澤監督とだけでも「羅生門」から始まって「生きる」(52)、「七人の侍」(54)「生きものの記録」(55)「隠し砦の三悪人」(58)「蜘蛛の巣城」(58)「悪い奴ほどよく眠る」(60)「どですかでん」(70)と8本。
「私は貝になりたい」(58)「日本の一番長い日」(67)「真昼の暗黒」(56)など社会派のドラマ、松本清張さんの作品も多く手掛けられていらっしゃいます。

1958年に放映された「私は貝になりたい」は、確かモノクロだったかと思います。
私はまだ小学生になったばっかりでしたが、戦争のむごさ、戦争の理不尽さを覚えながら、子供ながらにフランキー堺さんの名演に涙したことを覚えています。
命令を遂行しただけなのに、命令に従わないことはできなかったのに、絞死刑にされてしまう主人公の「私は貝になりたい」のつぶやきは、心に残るものでした。今でもフランキー堺さんの声が聞こえます。

新井一も、軍部の配給横流しを新聞社にリークして「「事変惑乱罪」という罪で投獄されたことがあり、人は一つの方向へと流れてしまうと、その流れに逆らうことができない、逆らうことは大変なことなのだということ教わりました。
話はちょっとそれますが、新井は、こうした経験も踏まえて、だからこそ、シナリオを描きてもらいたい、シナリオを書くことで自分の想い考えを伝えてほしいと思ってシナリオ・センターを創立したのです。

ものを創る人間は、何を表現したいかを常に考えています。
橋本忍さんの作品は、橋本さんの想い、考えを表現しています。
そして、多くの人に、世界中の人の称賛を浴びています。
日本人だけでなく世界の人々にも感銘を与える、その力こそが、脚本家の力だと、橋本忍さんの功績を拝見するにつけ思わずにはいられません。

橋本忍さんの偉業を知りたい、橋本さんの志を受け継ぎたいと思われる方は、まず神戸にある橋本忍記念館を訪れてみてはいかがでしょう。
橋本忍さんを知れば知るほど、脚本家というものを好きになられることと思います。
合掌。

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