「シナリオのテクニック・手法を身につけると小説だって書ける!」というおいしい話を、脚本家・作家であるシナリオ・センター講師柏田道夫の『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(「月刊シナリオ教室」)からご紹介。
読書は嫌いだけど小説化になりたい人へ、柏田講師は言います。「読書をしない書き手はプロの作家にはなれません」。それは、小説家になりたいなら小説をよむだけでなく、読み込まないといけないからなのです。今回は作家・後藤明生さんの『小説—いかに読み、いかに書くか』(講談社現代新書)という指南書にも触れながら、柏田流に解説します。
創る側に加わりたいなら「分析」や「研究」を
小説の「描写」についてはひと休みして、小説を書くために、あるいは小説として通用する文章を身につけるために、常に皆さんがやらなくてはいけない「読書」について述べています。
前回(※)も述べましたが、小説家志望者の習作を読んでいて、抱く最たる感想こそが「本を読んでいない」です。ネット時代が加速するにつれて、この思いがますます強くなっています。
私は映像業界、出版業界半々くらいで仕事をしていますが、特に後者で常々話題となるのが「本(小説)が売れない」で、冗談ではなくこのまま減少化が進むと、出版業界そのものが消滅するのでは? と思ってしまうほどです。
その割に「本(小説)を書きたがる人」は、増えてはいないとしても、読み手ほどには減っていないと感じられますので、差し引きしたとしても(特に活字の)読者はどこに消えた? と思ってしまうわけです。
インターネットの時代になって、活字の一般読者が減るのは、これはもうどうしようもない“時代”なのでしょう。ただ、ここで問題としたいのは、一般読者ではなく書き手志望者である皆さんが、「読書」体験を欠落させていることです。
前回(※)の断言を繰り返しますが、「読書」をしない書き手は、プロの作家にはなれません。
さて、作家になるための「読書」の方法ですが、これも実は簡単ではありません。一般読者ならば、自分の好きな作家やおもしろそうと感じた小説、評判になった本を手にとって読み、「おもしろかった」とか「つまらなかった」「途中でやめちゃった」で終わって構いません。
映画やドラマを観るという体験も同じでしょう。創り手側に入ろうとする人であっても、基準となるのは自身の感じ方ですので、そこまでは同じでいい。ただ、そこから創る側に加わろうとするならば、「分析」であったり「研究」といった次のステップにもう一歩踏み込むことが必須となります。
書くことが「放電」なら読むことは「充電」
前回(※)、小説家の浅田次郎さんが「年に300冊本を読んでいる」というのは、一般読者として楽しみながらだけでなく、プロの書き手として吸収するために読んでいるはずだ、と申し上げたのはそういうことです。
書き手たらんとする皆さんが、「読書」そのものを怠っているということはすなわち、作品研究どころか、一般読者の感想の段階にも至っていないことになります。
初心者の小説らしきものを読んでいて、書きたいという思いとかは分からなくはないですが、それ以前の読んでいないがゆえに最低限の「小説のイロハ」的なことも理解していないと思うのです。
すでに故人になられたのですが、作家の後藤明生さんの『小説—いかに読み、いかに書くか』(講談社現代新書)という優れた指南書があります。
この中で、“小説を「書く」ことが「放電」だとすれば、小説を「読む」ことは「充電」だといえる。”という名言があり、かつ後藤先生は、「放電」よりも「充電」の方に重点を置きたいと述べ、“その「充電」はいわゆる名作鑑賞ではない。
なぜなら名作鑑賞は受け身の読み方だが、「充電」といった場合は、受け身ではなく書くことと対等、もしくは「充電」の方が「放電」よりエネルギーを要するかもしれない。”といった旨を書かれています。
つまりこの本は、後藤先生がさまざまな古典や名作を、いろいろな角度から読み解くことで、作者がどう書いていったかを検証する形式になっています。
ただ「読む」だけならばそれほど難しくない(今はそれさえできない人が多いのですが)、しっかりと読み解くためにはエネルギーがいる。
ところで、簡単にいうと読み方にも「速読」「乱読」「精読」「熟読」などなどいろいろとありますね。どういう読み方をすべきなのか?また次回、お伝えします。
※「前回」の内容はこちらのブログ「本は読まないけど小説家になれますか?」/小説家・柏田道夫はこう考える!」をご覧ください。
出典:柏田道夫 著『シナリオ技術(スキル)で小説を書こう!』(月刊シナリオ教室2016年3月号)より
★次回は9月1日に更新予定です★
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