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清水崇監督が語るファンタジー映画とホラー映画

2014.03.14 開催 THEミソ帳倶楽部「映画『魔女の宅急便』を撮って」
ゲスト 清水崇さん(映画監督)

シナリオ・センターでは、ライター志望の皆さんの“引き出し=ミソ帳”を増やすために、様々なジャンルの達人から“その達人たる根っこ=基本”をお聞きする公開講座「ミソ帳倶楽部 達人の根っこ」を実施しています。そのダイジェスト版を『月刊シナリオ教室』(今回は2014年7月号)よりご紹介。
今回のゲストは、映画監督の清水崇監督。清水監督といえば、『呪怨』などのホラー映画の監督として、ハリウッド版も手掛けるなど大変著名ですが、このとき手掛けられた作品はなんとファンタジー。それもジブリアニメで知られる『魔女の宅急便』の実写映画化。どのようにしてこの映画を手掛けられたのか等々お話いただきました。

ホラー映画の監督がファンタジーを撮る!

僕の中ではファンタジーとホラーは地続きで、同じ世界にあるという気がしています。アメリカのハロウィンのイベントなんか、明るく怖さを楽しんでいますよね。その恐怖の部分を濃縮するとホラーになると思います。

『魔女の宅急便』の実写映画を撮ることになった時に、原作を書かれた角野栄子先生が、僕が監督することを、OKしてくれるのかどうか不安だったんです。

でもお会いしたら「私、ホラーとファンタジーって同じだと思うのよ」って仰ってくださいました。そういう原作者の方なら大丈夫だと思い、僕も今回の映画では、自信を持って取り組むことができました。

僕の場合、ホラーを撮っていても、現場はすごく明るい。録音部に「監督の声うるさい」って指摘されるほど笑っていたりします(笑)。

俳優から「なぜ笑ってるんですか? 私、ダメなんですか?」なんて勘違いさせてしまうこともあります。僕としては思い描いた世界が具現化して嬉しいだけだったりするんですが……。

あとは……仕事ですから、役者さんも真面目な顔をして、白く塗った顔で「おはようございます」って現場にやってきたりする。客観的な視点で見ると、それがすごくおかしいんですよ。映画としては怖く仕上げないといけないんですけどね。ファンタジーとホラーとの境界線はあまりないと思っています。

『魔女の宅急便』実写映画化の話は、実は何年も前から出ていた企画でした。プロデューサーから「ちょっと内密で話が……」と呼び出されまして、「『魔女の宅急便』って知ってますか?」と。

アメリカでも映画化を検討していたようです。でもなかなか実現せず、原作者の角野栄子さんの元に、原作権が戻ってきたんですね。

それで、「東洋を舞台にして、日本でできないか」という経緯があったようです。それが実に20年近く前のことらしいので、原作者からすると、今回ようやく実現できたということになりますね。

しかしいかんせん、『魔女の宅急便』と言えばジブリのイメージが強いんですよね……今日は皆さん、こんなに集まっていただきましたが、宮崎駿監督が来るって勘違いして来た方はいませんか?(笑)僕、今ちょっと不安なんですけど……(笑)。

それに、原作本があるのに、原作よりもジブリの映画で有名ですよね。僕もアニメを観た後で原作を知り、本を読んだ口ですが。

原作は全部で6巻ありまして、『赤毛のアン』のように長く続く作品になっているんです。主人公のキキは、皆さんには女の子のイメージしかないかもしれませんが、6巻では、キキは双子の子供のお母さんで、その子供たちがストーリーのメインキャラクターなんですね。映画を観て興味が湧いたら、ぜひ原作も読んでみてください。

話を戻すと、とにかくそのアニメで有名になった原作の実写化を、ホラー映画ばかり撮っている僕にオファーをするなんて、なんて無謀なプロデューサーだって思ったんですけど(笑)。ホントに無謀な企画だとは思ったんですが、僕は無謀なことが大好きな性分なので、「やります、やりたいです」と即答しました。

その時一応、「僕がどんな映画を撮っているか、ご存じですよね?」とは訊きましたが(笑)。事務所の女性スタッフからは、「正気ですか? 今までのキャリアも全部崩されますよ」と心配していましたね(笑)。

だけどその時点では、実現するかどうかわからない、資金繰りもまだという状態でしたから、それから何年か音沙汰がないままでした。

だからたぶん他の監督の方に話が行ったか、あるいは企画自体がなくなったのかもしれないくらいに思っていたんですが、今から3年くらい前に、「やっと動き出せることになりました」との連絡をもらいました。

ちょうど僕は別の仕事で日米を行ったり来たりしていたので、「お待たせさせちゃいますが……」と返したところ、待ってくださることになりました。

小豆島で見つけたロケ場所

脚本は奥寺佐渡子さんと組んでみたいと切り出したところ、プロデューサーもまさに奥寺さんを想定していた……と。OKをもらえて、すごく嬉しかったですね。

奥寺さんは様々な実写作品や『おおかみこどもの雨と雪』などアニメ作品まで手掛けている方で、実に優秀です。まず奥寺さんとプロデューサーのほうで、原作からどのエピソードをシナリオにするかなどを検討し、上がってきたホンを僕がアメリカで読んで、スカイプで打ち合わせをし、帰国後は、顔を合わせてホン直しをしていきました。

原作に出てくるキャラクターでも、エピソード的に内容を変えている部分もありますが、それは僕が後から直したところですね。

元々が児童文学なので、子供向けの世界観で書かれています。キキが旅立ちの時に「今の私の気持ちがわかる? ワクワクしてるの、贈り物を開ける時みたいにね」という、倒置法を用いたセリフがあります。

口語では、現実の13歳の女の子はこのような言い方はあまりしないですよね。そういう表現がいたるところにあったんです。

でも奥寺さんは原作の世界観を大切にするためにそう書いてくれていましたし、原作者の角野さんが「このセリフはぜひ使ってほしい」と希望されている中に、このセリフもあったんですね。

そういう経緯がありつつ、その後オーディションで主役のキキを小芝風花に決め、「何でも相談してくれ」と話したところ、最初に相談してきたのが「監督、このセリフの言い方はどうすれば……?」と、まさに前述のセリフの言い回しについてだったんです。

「確かに、そうだよね」となり、原作者の大切な想いがあるセリフなので、角野さんには「任せてほしい」とお願いし、何通りか撮影した上で、結果的にこの言い回しは使いませんでした。

ロケ地は悩みましたね。当初、キキの生まれ故郷は、シルクロードの先にある架空の国の架空の街という想定にしていました。海外ロケハンの準備もしていたのですが、様々な事情でそれがむずかしいということになったんです。

ジブリ版ではスウェーデンの街がイメージになっていましたが、アニメや原作で記号化された世界が実写になると、生々しくなってしまう。演じるのは日本人ですし、言葉もメインは日本語。

それで色々悩んだ挙句、スタッフに日本中飛んでもらい、ロケ地を探しました。なかなかピンとくる場所が見つからない中、「瀬戸内海の島はどうでしょう」という意見が出ました。それを聞いて、小島から小島に届け物をするというイメージが浮かんだので、とりあえず見てみようと、小豆島に向かいました。

山の中腹に風車小屋をモチーフにしたカフェがあり、庭先から海が見渡せるようになっていたんです。それまでは女の子が憧れる都会の街にあるパン屋さん、というイメージが強かったのですが、この風車でパンをこね、庭先に店舗を置き、ヤギのお乳と井戸の新鮮な水でパンを作る……といった背景がパーッと浮かんできて、ここでやろうと決めました。

パン屋の主人のおソノさんが「うちのパン屋だってお客さんが付くまでに3年はかかった」というセリフがあります。山の中腹までわざわざお客さんが足を運ぶのは、新鮮な材料で手作りしたパンだから……という設定まで見えてきたんですね。

そよそよと風が吹き、山と海に囲まれたロケ地ですから、演じる俳優さんの気持ちにもいい方向に作用したのではないかと思います。ただ撮影に入ったのが梅雨時期。小豆島に入ってから雨続きで、それは大変でした。

魔法は誰でも持っている

この作品の準備に入るまで、ロサンゼルスで別の仕事をしていたんですが、その時住んでいたアパートから徒歩5分くらいの映画館で、たまたまジブリ特集をやっていました。

「これは観るべきか?」と悩みましたね(笑)。結局アメリカ人の友人を連れて、『風の谷のナウシカ』と『魔女の宅急便』を観直しちゃいました。

貴重な体験ではあったけれど、観終わった後は「うわー、これをやるのか、俺」とプレッシャーを感じました。ただ日本に戻って製作に入ってからは、あまり意識はしなかった。スタッフもキャストも、やっていくうちにアニメに対する意識が抜けていったように思います。

キキを誰が演じるか。これはオーディションをしました。新天地に赴くキキ同様、新人にやってもらいたいと思い、事務所に所属しているかどうかは関係なく、まったくの素人も交えて、大抜擢で「キキを見つけた!」という形にできたらいいなと思っていました。

福岡、大阪まで足を延ばし、地元の未経験者の女の子を集めてのオーディションもしました。ただし、その時点ではまだ映画のタイトルを明かせなかったので、「ファンタジー映画のヒロインオーディション、監督は清水崇」と銘打って……(笑)。

なにそれ?って感じですよね。ファンタジーとはいえ、監督がホラー作品ばかりの僕では、血まみれにされるんじゃないかなどと思ったんじゃないかな(笑)。

ですので、2次のオーディションに入った頃に、プロデューサーに「これ、無理がありますよ」と相談して、参加者には内密にタイトルを告げることにしました。

「実はこれ、『魔女の宅急便』のキキの役だったんです」と言ったら、「うわーっ、大変なことだったんだ!」ってみんな驚いていました。その後、オーディションに来る子は、みんな黒っぽい服装にリボンを付けてやってきてね(笑)。

僕はリボンに関しては、当初から「俺がやるなら、リボンは取りますよ」と宣言していました。秋葉原や原宿の物語ならいいけど、架空の町でリアルな13歳の女の子がリボンを付けていたら、ちょっとイタいですよね。頭にリボンを付けて「独り立ちします」って言ってる子は、ちょっと信用できないでしょう(笑)。

そうして3次、4次と、オーディションが進んでいったんですが、実は僕、小芝風花さんではない女の子を一押しにしていたんです。小芝さんは表情が硬くて、お芝居も目立たなくて……。

ところが、最終面接でそれがひっくり返ったんです。面接での彼女の話を聞いているうちに、気になり始めたんです。

不思議な魅力があって、子供っぽい幼稚な部分と、大人っぽい部分が同居しているようだった。独特だなと思いました。あとから聞いてわかったんですが、彼女は小さい頃からずっとお母さんと二人三脚で、フィギュアスケートをやっていたそうです。

普通の子が友達と遊んだりいろんな知識を得ていくような時期に、フィギュアスケート一色で過ごしていた。そうした経験からか、異常な幼稚さを持っている一方、人前できちんと受け答えをしなければいけないという、大人な面を持つ子に育っていたんですね。

この作品は「少女の成長」というテーマが基盤にあります。その上で、角野さんの原作では「魔法は誰でも持っている」というテーマがありました。キキは空を飛べるという魔法を持っている。それは例えれば、僕なら「ホラー映画を作れる」ということ、脚本の奥寺さんなら「映画の脚本を書ける」ということかもしれません。

魔法とはすなわち、自分にはどんなことができるか、ということ。僕がこの原作を好きになった理由は、「たったひとつの魔法しか使えない」という点です。人間ドラマとして考えると、実写だからこそ手を抜けないという思いがありました。

キキだけでなく、これから母になるパン屋のおソノさん、キキを送り出す実家の両親、そういう人たちについてもそうですね。自分がかつて親から言われたセリフを織り込んだりもしました。ホラーを撮ってた奴が、何、全うなことを言ってるんだって感じですけど(笑)。

※You Tube
maidigitv
実写版「魔女の宅急便」予告編初公開!より

怖がりだった少年時代

僕は群馬県出身です。子どもの頃は、怖いもの見たさの気持ちはあっても、ホラー映画なんて絶対に見られないような子でした。テレビで怖い番組が始まると、外に遊びに行っちゃったり。なんでこんな怖い映画を作る大人がいるんだろうって思っていました。

『E.T.』が公開された時、少年マンガ誌に「これがE.T.の正体だ!」みたいな宇宙人の写真が載っていたのを友達に見せられたんです。世の中どうなってしまうんだろう、気持ち悪いなと。「こんな映画、誰が見に行くんだ」って思っていたら、大ヒットしているじゃありませんか(笑)。

映画好きな親戚のおばさんが「観に行く?」って誘ってくれたので、「あんな気持ち悪いの観たくないよ」と答えたら、「あら、怖いんでしょ?」と。負けん気だけは強かったので「怖くない!」と言って観に行くことになりました(笑)。そのギャップもあったせいか、すっかり感動してハマってしまいました(笑)。

で、周りの大人に何度も連れて行ってもらって、こういうセリフがあったとか、このカットの後にこのシーンが来るからいいんだとか、家に帰ってから、忘れないうちに画コンテを描いたりしました。

サウンドトラックのLPレコード、劇場で買ってもらったパンフレット、映画雑誌の特集を頼りに、展開やセリフを思い出して……。映画のスチール写真って、本編とは違う角度で撮っていたりするんですが、それに違和感を感じて、「映画で観た画と、このスチール写真の人物の向きが違う」ってね。マニアックでしょう(笑)。

それまで映画を見ても、出演者や物語だけに引き込まれていたんですが、劇場パンフレットに、映画にはまったく出てこない髭の男性の写真が載っていたのが目に留まったんです。このおじさん誰なんだろうと思ったら、監督のS.スピルバーグでした(笑)。

「この人が作っているんだ、これはすごい!」と思って。怖がりな僕が、内心ドキドキしながら観に行ったのに、たった2時間後には、僕もE.T.と友達になりたいと思わせてしまう。映画ってすごいな!と思って、それが映画監督という仕事を意識するキッカケになりました。

石堂淑朗監督の破天荒な授業

その後、近畿大学芸術学科の演劇・芸能専攻に進みました。芝居の勉強をしたいと思ったんです。映画に関する何らかの仕事に就きたいなと。もちろん監督が一番やってみたかったのですが、撮影もやってみたいし、俳優になることにも興味があった。

その学科には演劇を目指す学生が多かったんですが、何人かは映画を志向する者もいました。学校に掛け合って、月に2回ほど脚本家の石堂淑朗さんが来てくださいました。授業もそこそこに皆で飲みに行って、いろんな映画の話を聞かせてもらったのがすごく楽しくてね。

シナリオについても教わったわけですが、とんでもない先生でした。僕たちにビスコンティの『白夜』を途中まで見せて、「どうせ君たち、原作小説も映画も知らないだろう。次の授業までに、自分だったらこの続きをどうするか考えてきなさい」。

翌週、「全員違いまーす」。

映画が正解ってことですか?って食って掛かると、「それを言われちゃうと立つ瀬がないんだよね」って、それで授業は終わり(笑)。 

僕らも血気盛んだったので、なんだあのジジイ!ってなりました。自主映画を作った友達が石堂さんに見せたところ、「これのどこがダメだったか、今日の授業でたっぷり教えてあげる」って(笑)。

僕がすごくよく覚えているのは、その友達はなぜか自分の作品に必ずレイプシーンを入れていたんです。すると石堂さんは、そのレイプの芝居がいかにダメかってことを30分くらいにわたって延々と、ネチネチと述べた末に、「レイプシーンがすばらしい映画を紹介しよう」と言って、べルイマンの『処女の泉』を学生に見せて、自分はその間寝ている。そんなことが多かった。

3年生から4年生に上がる前に僕は大学を勝手に辞めてしまったのですが、石堂さんは「内緒で俺の授業だけ来い」と言ってくれたので、受けさせてもらっていました。そんな時に書いた脚本を石堂さんに見せたところ、今までケチョンケチョンにケナされていたのに、初めて褒めてくださったんですね。

それが『家庭訪問』という作品でした。「清水どうしたんだ、学校辞めて良かったじゃないか」って。「お前は追い詰められて力を発揮するタイプだから、そういうやつは一生苦しむぞ」と言われました。冗談じゃないって思いましたけどね(笑)。

そうやって初めて褒められたものですから、僕もこの企画は、書き直しをしながら大事にしていたんです。最初はサイコサスペンス的な内容だったんですけど、これがのちの『呪怨』のキッカケになりました。

ある男の子が学校に来ないので、先生が家庭訪問で訪ねていくと、家の中で子供が衰弱していて……という話の導入部は、『呪怨』でもそのまま使っています。

『家庭訪問』から『呪怨』へ

少しでも映画の現場に近づきたいと思い、新聞の募集広告を見つけ、群馬県が製作した小栗康平監督の『眠る男』に、小道具の見習いとして参加しました。

1日1カット回らない現場だったんですよ。映像詩を丹念に描くような作品でした。季節待ち2カ月とかあるんですね。それで1年くらい合宿生活をして、ようやく撮り終えた。今はそんな撮り方をする現場はめったにありませんから、貴重な経験ではあったんですけどね。

その後、東京に出て助監督の仕事を始めました。周りのスタッフから監督を目指すなら機材のことも勉強しろと言われ、映画美学校に入学。1期生です。みんなすごくアツくてガツガツしていて。生意気な奴らがいっぱいいました。その時の講師は黒沢清さん、青山真治さん、塩田明彦さん、高橋洋さんといった名だたる現役監督の方々でした。

僕としては『家庭訪問』をやりたいと思って、卒業作品選出の映像課題に出したのですが落選。他の人の作品に撮影助手として参加し、フィルムの入れ替えなどをやっていました。ところが、後に黒沢清さんと高橋洋さんに呼び出されたんです。「君の映像課題は凄かった」と。

課題は、各自が自分の脚本の一番見せたい部分を3分に絞って撮って、編集し、提出しなさいというものでした。僕はもちろん、『家庭訪問』の一部を撮ったのですが、映像化にあたって、土壇場で脚本を書き直しました。

そこで突然、死んだお母さんを幽霊として蘇らせたことで、ジャンルが変わったわけですが(笑)、袋詰めの死体だったお母さんが、階段を這いずり降りてくるシーンを撮って出したんです。

それを黒沢さんや高橋さんが評価してくださって、他のプロデューサーにも紹介してくれて、『呪怨』にたどり着いたというわけです。

『呪怨』は最初はVシネマで、しかも2本撮りでした。予算が全然なかったので、普通は2~3人の出演者で、ごく限られたシチュエーションで物語を作っていくのですが、僕は新人で何もわかっていなかったんです。プロデューサーからは「怖ければ何でもいい」と言われていて発想は自由でした。

学校のシーンがあって、何軒もの家が出てきて、不動産屋のシーンもあって。撮影期間は10日。1本75分から80分の作品で、1本当たり実質5日しか掛けられない。撮休を踏まえると、1本あたり4日半。そんな状況でバタバタと撮りました。

サム・ライミ監督からリメイクの話

このVシネマを観たアメリカの監督、サム・ライミから、リメイクの話が舞い込んできました。この頃には日本でも口コミで伝わって映画化が進行していたので、それを観てから決めてくれと。どうなるかわからない話だったので、あまり信用していなかったんですね。

僕が怖がりの中学生だった頃に、友人から見せられた『死霊のはらわた』のサム・ライミ監督です。光栄なことなのですが、正直、この業界では企画の売りとして、名前貸しのみでビッグネームを出してくることも多々あるので、「どうせ本人は観ていないんだろう」なんて斜に構えていたんですね。

でも、説得され、『スパイダーマン2』撮影中のサム・ライミのところに行きました。すると、「あそこはどうしてこうなるんだ」とか、「清水、あそこは笑いの要素を狙っているだろう」とか、日本のファン以上に詳細で的確な感想や質問を投げかけてくれる。この人とだったらいけると思い、リメイクの監督を引き受けました。

なんか、急にモテ期が来たみたいな感じでしたねぇ(笑)。家族の中で僕だけパスポートを持っていなかったのに、いきなりハリウッド映画でしたから(笑)。

アメリカ人が求める「サプライズ」と、アジア人の好む「スケアリー」との差には戸惑いました。日本人は背後にいつの間にか立っているってだけで怖いじゃないですか。ところが向こうの人は、アタックしてきてこそ怖いって言うんです。

出てきて、攻撃してくるのを見て、ワッって驚いて、その後笑う。一概には言えないですけど。『呪怨』のリメイクは、もうオリジナルを作った上で引き受けたことなので、散々口論した上で、アメリカ人に向けて、彼らの好む怖さも取り入れて作りました。

ホラーに必要なのはリアリティ

ホラーと笑いって紙一重な部分があって、僕はそこが好きなんです。『怪奇大家族』っていうテレビドラマ、もしビデオ店で見かけたら手に取ってみてください。

『呪怨』の1と2を撮っている最中に、同じ会社の豊島圭介監督と意気投合して、普通なら通らないような企画を、自分たちのお金で撮っちゃおうと自主製作し、下北沢でこっそり上映会をしていたんです。

そうしたら、そこにたまたまテレビ局のプロデューサーがいらしていて、「ああいうテイストをうちの深夜枠でできませんか」って言ってくださった。深夜枠で連ドラが出来るなら、ホラー作品で『サザエさん』をやりたい、と思いました。それがこの『怪奇大家族』です。

ホラーとかファンタジーを作る際のポイントは、生活の中にうまく入れていくことだと思います。

『呪怨』や『富江re-birth』でもそうでしたが、ホラーやファンタジーなどの非日常の要素が介在してくる場合、日常にありそうなことは、なるべくリアリティをもって描くように意識しています。そのベースがしっかりしていないと、非日常の出来事が登場した時に、受け入れ難くなってしまう。この点を僕はいつも気にしています。

現場で俳優さんに「この人物は、怖いと思っているのに、なぜ確かめようとするんですか?」ってよく聞かれることがあります。そんな時、「そっか……ホラーだから何でもアリか」などと言われると、ムカッときます。ホラーを馬鹿にし、自身の心情の芝居すらナメて掛ってるのか!……と。

映画『リング』の脚本を書いた高橋洋さんは、ト書に「タカシは恐怖に負けた」といった表現を使います。怖いから確かめざるを得なくなる……確かめない限り、恐怖は延々とより一層広がってしまう、といった気持ちでしょうか。

そういうことを踏まえて演じてほしいですし、虚構を描くからこそ、大切なリアリティや魅力的な人物や心情があるんです。さっきの、キキのリボンを外したいっていうのも同じで、バランスを取りつつも、どこまでリアリティを持たせるかってことですね。

※You Tube
呪怨2 ビデオオリジナル版(予告編)
YouTube ムービーより

テーマはぶれずに持ち続けよう

『呪怨2』の、朝ご飯のシーンで主婦が突然フライパンで夫を殺すシーンがあります。ネタバレなんですが、『サイコ2』のラストシーンへのオマージュです。

子どもの頃に怖がりだったからこそ、いろんなことを想像しちゃう。「あの階段の曲がり角から手が出たらどうしよう」とか「髪洗ってる時に後ろに誰かいたら怖い」とか。自分が子どもの頃に怖かったことや妄想し、刺激を受けたことなどが多々ネタになっています。

そういうことを羅列していくと、全部をひとつの映画にはできないとしても、いくつもの家族が登場する、壮大な世界観が出来上がっていくんです。

その時にふと思い当たったのが、大好きなポーランドのキェシロフスキ監督がテレビ映画として作った全10篇による『デカローグ』という、十戒をテーマにした作品。全然ホラーではないんですけど(笑)。

1話完結で10の人間関係を描いているのですが、たとえば1話の主人公が5話の主人公とエレベーターですれ違ったり、というように、各エピソードが、ある大きい団地でくくられているんです。

バラバラに見ていると気付かないけど、続けて見ると気付く。ある時銀座の映画館で一挙上映するというので、一日かけて全10話を観ました。で、このやり方は使えると思いました。

バラバラに見えるエピソードが、実はある呪いの家を中心につながっていた、というのを作ろうと。このように、まったく違う種類の映画から発想が浮かぶこともあります。

僕は監督をして自分でも脚本を書きますが、文章表現が苦手です。筆は遅いし、脚本を頼まれて締切はいついつですって言われると、なかなかそれまでに仕上げられない。

脚本家の頭に浮かんでいるものと、監督の考えていることは違うと思いますが、なるべく自分で最初に掲げたテーマ、何を描きたいかということをブレずに持ち続けることが大事です。

でも、本当にキャラクターがイキイキし始めると、想定外の方向に物語が進んでいくものです。そういう瞬間がきたら、筆の力に乗って最後まで書いてみるべきだと思います。

何かの力が宿っていると思うし、僕も『家庭訪問』の時に初めてそれを経験しました。そのためには、とにかく書いて作り続けるしかないのでしょうね。

〈採録★ダイジェスト〉THEミソ帳倶楽部――達人の根っこ
「映画『魔女の宅急便』を撮って」
ゲスト:清水 崇(映画監督)
2014年3月14日採録

次回は9月10日に更新予定です

プロフィール:清水 崇(しみず・たかし)

1972年群馬県生まれ。近畿大学文芸学部で演劇を専攻し、脚本家・石堂淑朗氏に師事。小道具、助監督を経て、3分間の自作映像を機に黒沢清・高橋洋監督の推薦を受けて監督デビュー。2002年、ホラー映画『呪怨』がヒット。サム・ライミ監督プロデュースの元、 USリメイク版でハリウッド・デビューし、全米興行成績ナンバー1を記録。主な作品は『呪怨』シリーズ、『魔女の宅急便』『9次元からきた男』『こどもつかい』など多数。

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